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地域を”経済”ではなく”文化的価値の多様性”という評価軸で測ることはできないか?


こんな記事が出てました。さくっと言えば、都市の繁栄には経済価値だけでは測れない要因があるということ。ブルデューの文化資本という概念を導入して、経済以外の評価軸が都市にありうるのではないか? ということを数値的に証明しようとする試み。

ローカルの仕事をしていると、やはり一番言われるのはお金のこと。アート関係の仕事をしていると、よく、実際にローカルビジネスを立ち上げている人から、「それだからアートはだめだ」とか、「助成金漬けでモラトリアムだ」などと言われる(というか、僕がよくアート関係者に言ってる)。

一方で、まちづくりをしている人の多くも補助金や助成金にずいぶんと浸っている。浅漬けどころの話ではない。だから、いっときのコミュニティデザインブームは、実はアートプロジェクトと相性がよくて、アートプロジェクトとコミュニティデザインは何が違うの? という議論が、アート関係者の間でなされることが多い。僕自身、京都で劇場と一緒にローカルメディアをつくるプロジェクトを去年やって、アートじゃないって言ってるのに、アートっぽいと誤解されてしまう(今年はアーティストが入って作品づくりが行われる。ここには僕は全体のディレクションで関わっているわけではない。一部関わってます)。

補助金や助成金をアートに使うのはだめで、まちづくりに使うのはいいとされる感覚もどうかと思うけれど、逆に最近の芸術祭ブームのように、打ち上げ花火的に数億のお金をよくわからない現代アートに使うのはいいけれど、単純な数値目標(来場者数、経済効果)だけでイベントの結果を測ろうとする感覚はあまりにもお粗末だと言える。「よくわからないクリエイティブなもの」にお金を出して、その評価の指標自体がまったくクリエイティブじゃないことに、日本の闇を感じる。

先日、EDIT LOCALのイベントで4名のゲストを呼んでトークイベントを開催したが、第二部でいわきの小松理虔さんと、岐阜の園原麻友実さんを呼んだのには理由がある。

海のいわきと、山の岐阜。まったく風土も人柄も違う二つの地域で、まさに地元の様々なコミュニティをかき混ぜながら活動しているお二人の話を聞くと、昨今のゆるふわローカルや、笑顔で素敵な写真があふれるソーシャル界隈からは見えてこない、泥臭い活動こそが、口当たりのいい”クリエイティブ”ではない、本当の”クリエイティブ”であることがわかる。

園原さんは、今年出た以下の本でインタビューした際まさに、移住者の数とか、若年人口の増加とか、評価基準の貧しい地域づくりという領域において、「私たちは新しい数値目標を探っていきたい」と語っていた。

では、そんな新しい評価基準とはなんだろうか? これまで、僕自身アートを介して地域に関わる際に、アートこそが、業界中心的なピラミッド型の、単一の評価軸でしか物事を測れない世界だということをなんども実感してきた。メディアの数が少ないので、多くの関係者が評価するものにみんな擦り寄っていくのは仕方ないと思っていた。

でもこれって、たぶん、多くの人が権威あるメディアから流れて来る情報を鵜呑みにしてしまうという、「発信者」と「受け手」の非対称な構造がそうさせているのだと思う。これこそマスメディアが強かったこれまでの日本の文化”受容者”のマインドセットだろう。

これは、「都市」と「地方」という非対称な構図を内面化してしまうマインドセットと同じだ。ローカルがブームなのはいいけれど、それをすべからく都市にはないライフスタイルを味わえる”客体”にしてしまってはいけない。ローカルが面白いのは、都市の影としての「地方」だからではなく、小松さんが言うところの「絶望しかない」場所だからこそクリエイティブなアイデアを試せる最前線にあるところである。

その際導入すべきなのは、マスメディア的ではない地域の評価軸だろう。つまり、都市の反義語としての地方ではなく、他のあらゆる地域と異なるものとしての地域の価値を発現する必要性だ。

それを一言で表すなら、様々な評価基準によって生み出される”文化的価値”の多様性を地域内にどれだけ保存しておくことができるか、ということだと思っている。生物多様性がその地域の生態系を維持する強度を生み出すのと同じように、文化的価値の多様性が、災害や経済の低迷、人口減少やインフラの老朽化といった様々な地域課題にも耐えうる地域の強度を生み出す、という考え方である。

それは、職業の多様性ともつながってくる。大きな工場と、合併して大きくなった自治体だけではない働き口、稼ぎ口をつくること。でもいつも、ここで「文化」か「経済」かの論争が始まる。もちろん、経済は大切だから、とにかく中心市街地のシャッターを開ける事業を生み出すことは必要だ。でも、その際に飲食店だけでは地域の”文化的価値”の多様性は生み出せない。

ここで、稼げない事業を排除する思考はよくないと思う。稼げなくても、地域内の新しい文化的価値を発現するコミュニティや活動はあっていいと思う。ボランタリーなコミュニティや活動が、数年間熟成されることで新しい地域イメージを発信する主体に変わることもある。重要なのは選択と集中ではなくて、分散的な投資と、ブームに流されることなく複数の価値観を受容し組み合わせ発信するという、ローカルメディア的なマインドセットを醸成することにある。地域の”文化的価値”とは例えば以下のようにプロットできる(適当です)。

・職業の多様性(公務員、企業社員、NPO職員、伝統産業職人、農海産物生産者、飲食店店主、その他起業家、フリーランス……)
・コミュニティの多様性(商店会、自治会、青年会以外の有志の活動体。例えばアーティストグループ、音楽活動などを行うコミュニティ)
・文化活動の多様性(伝統芸能、お祭りなど以外の新しい文化活動。例えばものづくり体験ツアーなどのアクティビティ)
・公共施設の多様性(役所庁舎、公民館、美術館、劇場、商業施設、商店街のフリースペース、コミュニティスペース、寄合所、将棋会館……)
・その他、自然環境の多様性、歴史や史跡など文化資源の多様性、生態系の多様性を組み合わせ、多様な資金(助成金/補助金、融資/投資、自己資金、お金とモノ・コトの交換……)を用いてプロジェクト化する

これらがまんべんなく、きめ細やかに、たくさんある地域/都市は端的に”強い”と思うのだけれど、どうだろうか。たぶん、このうちのどこかが足りないと、どの地域も感じているのではないだろうか。ところが今は、「経済派」も「文化派」も共に、マスメディア的なブームに乗っかるばかりで、最近流行りのバズワードにあてられ、そこに大金を集中投資する。これからのまちづくり/文化イベントは○○だ! と、流行に敏感な意識高い系の人にこれが多いから始末に負えない。もっと、小さい潰されてしまいそうな”価値”の芽をなるべく多くプロットし、これまでにないやり方で数値化し、それぞれに小さく人と資金をあてがって都度組み合わせるほうが、これから起きる、予期せぬ危機に対応できる”地域の強度”を生み出すことにつながるだろうに。

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影山裕樹

編集者、合同会社 千十一編集室 代表。著書に『大人が作る秘密基地』 『ローカルメディアのつくりかた』、編著に『あたらしい「路上」のつくりかた』『ローカルメディアの仕事術』などがある。山下陽光、下道基行とともに「新しい骨董」の活動も。http://sen-to-ichi.com

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コメント1件

最高な文章ですね。次の更新も楽しみにしています!!
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