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共同親権について思う。

私は、婚姻歴がありません。
子どももいません。
しかし、この共同親権については反対だ。

結婚をしたい時期もあったし
したくない時期もあった。
こんな私でも、所謂プロポーズというのもされたことがあったし
事実婚的な関係の人もいた。
何度か嫁にいきかけたこともあった。
(結局いってないけど苦笑)

そもそも私は、結婚に対して夢が持てない。
歪な形ではあったであろうけれど
家族から愛されて育ったと思う。
だけど、幸せな家庭ではなかった。

42歳になった、現在迄で
父親と呼ぶ立場の人は3人変わった。
こういうと、私の母が
少しばかり変わった人のように思うが、
母は愛情深く普通の人だ。
ただ少しだけその頃は若すぎたのだと思う。

私が、結婚に夢が持てないと思うのは
幼少期~多感な思春期に渡って
生活を共にした義父の存在と、自分の恋愛遍歴に
大きく影響されているだろう。

眠っている夜中に、幾度となく繰り広げられる大喧嘩。
正直、子どもが目にするような喧嘩ではなかったし
母はいつも手を挙げられていた。

義父は女性にだらしない男性だったので
今考えれば、母の嫉妬や義父の素行の悪さから
喧嘩に発展したのであろうというのは
容易に想像はつくし
義父は見栄っ張りで、家にお金を入れない。
金銭面でも揉めていることも多かった。
そして、母はとてつもなく気が強い。
それが、お互いに
ヒートアップして喧嘩に発展してきたというのが
正直なところであろう。

当時、うちにはガラスでできた
一昔前のミステリードラマに出てくるような
ガラスの灰皿があった。
(凶器に使われるようなもの)
手に持つだけで、ずっしり
頭に一振りで人が死ぬであろうというのは
想像に容易いものだ。

ある日 、その灰皿で母が義父にぶっ飛ばされたことがあった。
殴られるではなく、ぶっ飛ばされるが相応しい言葉に思う。
大きな物音がして
飛び起きてリビングに飛んでいったら
辺り一面血の海だった。
母は顎から大量の血を流し、そばに落ちていたガラスの灰皿は割れていた。

手を出した義父は、救急車を呼んでいたが
それはとても滑稽な光景に見えたものだ。

他にも、そう思う要因は多々あるのだが
そんなことが日常茶飯事に起きていたので
私は結婚に夢が持てない。
(他の要因は別記事に書いていきます。)

共同親権については、こんな義父であっても
主張した場合は
共同親権が持てると思うとぞっとしてしまう。

DVを受けた人、虐待から子どもを守るために離婚した人
途方もない苦労の末、配偶者から命からがら逃げたのに
また恐怖を味わないといけない。
そんなおかしな話があるだろうか。

これは、私の体験談なので
全員がそうだと言わない。
けれど、モラハラを受けると人の脳は、停止してしまう。
考えることを放棄してしまう。
それだけのストレスを受ける。
逃げ場がないので、自分を責め出す。
自分は何も悪くないのに…。

そこからやっとの思いで立ち直ったはずなのに
また同じ恐怖を味わい
同じストレスを受ける。
子どもを守ったはずなのに
共同親権がはじまれば
その子どもを守れる保証はない。
何故なら、その悪魔はそういう性質を持っているのだから。

例えば、今まで養育費を一円も入れず連絡も取れず
無責任な行動をしてきたのに
共同親権が施行されてしまえば
その無責任な奴にも親権が持てる。 
週末の何日だけ、大切なイベントだけ
何もしてこなかったくせに
そんないいところだけかっさらって
今まで一人一生懸命子を育ててきたその人は
どこにもぶつけられない憤りを抱えなければならない。

この法案はおかしい。
今、一生懸命子どもを育てている一人親の尊厳を壊してしまう。
法律が、トラブルの元を作っているように思う…。


幸せな家庭で育った人には想像がつかない世界が
この広いようで狭い世の中には、確実にある。
家庭という狭い監獄の中で
日々、心を自分で殺しながら
息を潜めている人が数え切れないほどいる。
そこからやっと這い出て来たのに
その手を足で踏むような法案に、共同親権はなる。


ここに自分の考えを書くだけで
何もできない自分が歯がゆくありますが
自身の経験や、体験、こんなことを考え
共同親権反対にオンライン署名をしました。
こちらからオンライン署名ができます。

親子に優しい社会でありますよう。









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