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「楽しさ」が全てじゃない

大学が京都にあるので、
三年前くらいから京都に住み始めた。


京都はそこまで都会でもなく、
美味しそうな飲食店や小洒落たお店がたくさんある
古いものと新しいものが混在している場所。


私は普通にバイトと大学の授業を頑張り、
普通に将来の仕事ややりたいことを考える普通の大学生。


周りのみんなもそう暮らしているように、ちょっとやそっとしんどいことがあったって、これは誰もが経験することで、毎日「頑張ろう」って思えた。


そんな大学生活の中で何度か、宮津や舞鶴、伊根、和束など京都の田舎の方へ行って農業体験や漁業体験をさせてもらう機会があった。


一ヶ月にも満たないそこでの生活はとても平凡で穏やか。


やりたいことをやって、勉強したいことを勉強して、やらないといけないタスクをこなすちょっと忙しめの普段の日々もとても充実していた。


でも田舎に来ると、私はシンプルになる。そして考える。


充実していると思ってた。

確かに充実している。

でも、ふと、こうも考えられる。

私にとって

「充実=時間をうまく使うこと」

になっていたということ。


責任感が強くなんでもちゃんとこなしたい自分の性格が結果的に自分を追い詰めてしまってる。わかってるけど、性格だから急には捻じ曲げられない。


もちろんそれだけではない。だけど、そういう時間の流れに身を置いていると、気づいていてもそこから逃げ出すことが難しい。


だから、私はよく田舎へ行く。自然の中へ行く。


だからと言って今の生活から逃げ出したいわけじゃない。
休息した後いつもの生活に戻る時は心が軽くなって晴れ晴れとしてる。



ただ、私には人より多めにガス抜きが必要なだけ。



京都はいろんなイベントやいろんな素敵なコンセプトを持った場所がたくさんある。でも、色々感じて全てを受け止めようとしてしまう私にとっては、時に必要以上であることも多い。


楽しいことって良いことでもあるけど、スマホみたいに、必要以上でもある。楽しさがないと生きていけないけど、楽しさを必要以上に求めたり、常に楽しさを求めてしまうと、逆に楽しさっていう幻想に取り憑かれてしまう。



程よく適当に生きることって難しいね。

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