見出し画像

#1 青年海外協力隊_きっかけ

留学が始まるまでは、青年海外協力隊の活動、協力隊を通じで得た経験などを振り返りたいと思います。
今回は協力隊に参加したきっかけなどを紹介させいただきます。


参加へのきっかけ

協力隊を知ったのは社会人として働き始めて2年経過した頃でした。
新卒は恥ずかしながら、就職活動では特に軸はなく、最終的には紹介で決め入社しました。入社後は仕事自体は面白く、大きな不満はありませんでした。一方で、英語すら喋れないのに漠然と海外で仕事をしたいと考えていました。そのときに外国語の主流である英語より、大学在学中にほんの少し習った仏語のほうが道が開けるのではないかと考え、どちらを取り組むか悩んでいました。

※大学時の専攻はフランス文化文学専攻でしたが、スポーツ推薦で入学したため自動的に専攻は決まってました。そのため、当時はやる気はなく基本的な仏語の動詞の活用も覚えず卒業しました。

その様な状況の時に、ちょうど協力隊の募集シーズンだったようで、偶然にも電車で協力隊の広告を見て、協力隊の存在を知り、ラグビー隊員があることを知りました。募集案件はマダガスカルしかなかったため、仏語を取り組むことを決め応募しました。

※マダガスカルの公用語は仏語と現地語の2つです。当時はマダガスカルでは普通に仏語が使用言語だと思っておりました。実情は仏語はほとんど必要なく、現地語がほとんど。生活の中で仏語を使うのは数字ぐらいです。現地での仏語学習についても今後振り返りたいと思います。

選考について

応募を決めてからは、説明会へ参加、ラグビー隊員のことを調べたりと準備に取り掛かりました。志望動機としては、ラグビーで培った経験をラグビーの発展へ貢献したいなどよくある志望動機だっと思います。要件の指導経験については、正直なところ具体的な指導経験がありませんでした。そのため大学在学中に数回行ったスクール訪問を指導経験としました。さらに、幸か不幸か大学ではコーチが少なかったため、上級生時に新入生への指導をしていたとして、経験に含めた記憶があります。以上の薄い指導経験だったので、応募しても他候補者と比較されて落ちるかなぐらいの感覚で受験しました。

協力隊の選考は1次(書類選考)、2次(面接)で構成されています。また、1次締切後、合否発表後など選考状況が公表されます。応募締切後の状況を確認すると応募者は私のみでした。そのおかげか書類選考通過でした。面接は人物と技術に関することが1回ずつ計2回あります。人物に関することはJICA関連?の方、技術は日本ラグビー協会の方でした。技術面接はラグビーに携わる方であれば、誰もが名前を知っている方が担当でした。面接時は私の経験を話すなど恐れ多いなと思いつつ、面接を受けたことをうっすら覚えております。そして面接も合格を頂き、2017年2次隊としてマダガスカルの派遣となりました。

後から知ったのですが協力隊自体は人気はあり、他の職種については何回もチャレンジするという人も多くいる中、他に応募してなく、1回で受かったのは幸運だったと今は思います。

最後に

正直なところ、受験時の私は他の方と比べると協力隊にすごい熱意があったわけでなく。語学をやりたいなど、仕事から少し逃げのような形で協力隊に応募することを決意し、受験しました。さらにラグビー指導についても熱意があった訳でなく、「なんとなくおもしろそうだな。」と思っての応募でした。ラグビーに携わりたいというより、ラグビーを通じて語学を習得したいというのが本音でした。
合格時は、帰国後は仏語を活かして仕事ができればぐらいを考えていました。協力隊の2年半が大きな影響を与えて、帰国直前から選択しなかった英語を再びするようになるとは思ってもいませんでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?