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#13 青年海外協力隊_日本遠征まで

2019年6月に2週間ほどオリンピック事前合宿ということで、岐阜県郡上市にてマダガスカルチームがラグビー合宿をしましました。今回は経緯と行くまでを紹介させて頂きます。

話の始まり

1年目の終わりごろに大学生の時に良くして頂いたコーチから連絡がありました。内容としては岐阜県郡上市で働いてて、コロンビアとオリンピックホストタウンを締結して、コロンビア女子チームが郡上で合宿をしたということでした。当時は軽いノリで来年はマダガスカルもお願いします!と返信したと思います。そして新チームが始動した頃、マダガスカルと郡上市のホストタウンおよび日本遠征の話をして頂きました。一方で遠征費用を全額負担することとは厳しいとのことでしたので、その問題を解決する必要がありました。難しそうだなと思いましたが、心当たりは少なからずあったのでお願いしてみることにしました。

というのも、任期中は首都隊員らしくなのか、JICAのみならず現地の日本企業の皆様に可愛がって頂いてました。なので、ほぼ週末は日本人の方々にご馳走になっておました。ちなみにJICA関係者以外は大企業のマダガスカル事務所長など、日本にいればなかなか付き合いのない方々でした。その際に日本遠征の支援をお願いしました。結果としては難しいとの判断でしたが、この関係があったからこそ、大きな進展はないものの少し話を進めることができたのかなと思います。

やっぱり厳しそうだなと思いっていましたが、ある日、JICA事務所の方からマダガスカルで事業される企業の担当者が話を聞きたいということでした。というのも、マダガスカルでラグビーを調べていたら世界日記を見つけて頂いたようでした。企業としてもラグビーとの関係が深かったので、良いチャンスだなと思い、お会いしてマダガスカルラグビーの説明の後に日本遠征をプレゼンしました。現実は、企業のラグビー関連のリソースはは2019年ということでワールドカップ日本大会に注がれており、こちらも厳しい様子でした。

そして、最後は前職の会社で就職にお世話になった方に相談しました。というのも、前職の親会社は誰もが知っているのような大企業で社長は同じ出身大学、そしてラグビー部でした。なんとかたどり着ければ支援を頂けるのでないかと考えたり。たどり着く前に、ありがたいことに就職のときにお世話になった方が前職の会社に交渉して頂いて支援を頂けました。

最終的には、3社に相談して3社から何かしらの形で支援を頂くことができました。郡上市にこまめに報告していたおかげかホストタウンを締結して頂きました。そして3社とご縁があったからこそ話が繋がり実現したかと思います。ありがとうございました。

選考過程にて

日本遠征が決まったのが2019年3月頃だったかと思います。前回、少し触れましたがチーム力を上げるために、参加選手を絞って行きたいと伝えました。連盟からは選ばれなかった選手のモチベーションが落ちるということでNG。そして日本に行くまでに想像を超えること、コーチとの大バトル?がありました。

コーチとの選考

当時はローカルコーチ3人と一緒に指導していました。当然のごとく費用の関係上、行けるコーチは1人です。とはいってもヘッドコーチが日本へ行くことは自然な流れです。アシスタントコーチと選考についてかなり揉めました。ヘッドコーチは日本へ行きたいから、あなたの選考には反論しない、彼は日本へ行きたいだけだ。などヘッドコーチがいないところで言われ続けました。
マダガスカルは国の経済的にも海外へ行くということが難しいです。さらにアフリカでなく、馴染みのあるヨーロッパでもなく、アジアの日本です。一生に一度あるかないかの機会だと思います。私としても彼の日本へ行きたい気持ちも理解できますが、ヘッドコーチへの批判が凄かったというのが印象です。

妊娠問題

出発の1週間前ぐらいに遠征メンバーを発表しました。通例のようですが遠征メンバーは健康診断を受けるようです。ここで選んだメンバーの1人の妊娠が発覚。個人としては前述したように「もっと事前に選考して発表してれば、本人も気を付けてただろ。ほらみろ」的な本音が少しありました。そして、当然のごとく代わりの選手を選ぶ必要があります。該当選手について振り返ると、確かにスタジアムに来ても見学のみの日があったり兆候はあったような気がします。

そして追加で選んだのが、ラグビーあるあるなのか遅刻する、素行は良くないがラグビー能力が高い選手です。最初の選考段階でも個人として提案してましたが、他のコーチから素行でNGでした。状況も状況なので連盟に呼び出し事情を説明、メンバーに選ばれたことを伝えしました。にもかかわらず、翌日の練習は連絡なしの欠席。後日、他のコーチが事情を確認すると家族の問題があったようで練習に参加できなかったようです。

ちなみに妊娠した選手は、以後の15人制の練習にも参加してました。コーチにもう来なくていいよと伝えましたが、コーチからは「その問題は解決した」というよく理解できない一言。そんなに簡単に中絶はできないと思いましたが、本人に直接確認することはしませんでした。その後の任期中も元気よくラグビーをしてるというよくわからない状況でした。

最後に

7人制の練習を1月から始めましたが、すぐに8月に15人制の国際大会があるということで15人制の練習も並行して行うことになりました。グランド、ボール、人数の関係上、同時に教えることは無理でしたので午前を2回に分けて、日本遠征までは同じコーチ陣で指導することになりました。とはいっても内容としてはに7人制、15人制のための練習というよりラグビーの練習でした。2回に分けても練習内容は一緒ということで、気持ち的に単に練習を繰り返しているようで厳しかったです。そして誰でも15人制選考に参加できるという制限がない状態。選考というより練習会に近い状態でした。ボールも人も限られているので厳しい状況でした。

日本遠征を企画実施できたことは大きな功績だと思いますが、私自身は週末に日本人の方々と楽しく過ごして、やりたいこと話してただけでした。そのため、実現に関しては私自身何もしてなく、周囲の方々に恵まれ、またラグビーワールドカップ、オリンピック開催の恩恵を受けただけでないかと感じています。本当にご縁に感謝しています。

少し長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。
次回は日本遠征を紹介させて頂きます。


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