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お金のブロック21 ~物々交換~

今僕が生きている世界、人が生きるにあたっては、間に「第三者」が介入していることがほとんどだ。

けどこれは、裏を返せば、「人は第三者の存在なしには生きられない」ということである。

じゃあ、世の中がいい意味でも悪い意味でもひっくり返って、この第三者、あるいは、第三者が運営するシステムが消滅してしまったらどうなるのだろう?人はどうやって生きていくのだろうか。

僕は、

物々交換で生きていくのかな?


と思っている。

もし、このようなシステムが消滅しても、僕ら農家は、田んぼや畑でなんとか作物を作って、山から水を引いて、場合によってはイノシシなど捕って食べていくだろう。薪も作るかな。

けど、魚はない。

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そうなると僕は米を軽トラに積んで浜に向かい、漁師さんに「米と魚を交換していただけませんか?」とお願いするだろう。

漁師さんは大丈夫。海の恵みという交換財を持つから。

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じゃあ、街の人はどうなるんだろう。
ご商売をやっている方なら、「じゃあ、お米とダウンジャケットを交換しましょう。」とか、「水と焼酎を交換しましょう。」とかになるんだろうな。

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けど、これらの交換財を持たない人は、こう言うのかもしれない。

「お金でもいいですか?」


と。

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このロジックで考えた時、ふっと、

お金って「目的」じゃなく何かの媒体じゃないか?


と思えたのだ。

よく、お金って、感謝のエネルギーだというけど、そうとも言えるかな。物々交換の感謝の気持ち(エネルギー)をお金で表す。

だから、お金そのものにフォーカスしてしまうと、エネルギーは循環せず、従って、お金自体が来ないことになってしまうんではないか。

言い尽くされた結論かもしれないけど、すっと肚に落ちたことだったので、noteしてみました。




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