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刺激に気付き、考える

現在、7月末の吹奏楽コンクールに向けて練習をしている。
毎年のことなのだけど、先日はホールを貸し切っての練習が開催された。
その時に指揮者が、人間は刺激に気付いて考えることで成長する、といったことを口にした。

彼自身もそれは最近何かで聞いたことのようで、その場で語られた言葉の意図は、音程や音の処理の仕方などの"変化"に"気が付いて"それがなぜか・どのような意図でおこなわれているのか"考える"といったものだった。
これは結構色々なところに当てはまりそうだなと思い、練習が終わってからも考えていたのだけど、汎用性が高く日常に応用できるなと感じた。

やもすると、日常はルーティンに感じられる。
それはその人の置かれている状況によって程度の差はあるけれど、ある程度はルーティンでまわせる人が多いのだと思う。
そうなると、日常に馴れて中で刺激が必要になってくる。
ルーティンだけの中にいては思考放棄に繋がりかねないし、人はある程度刺激を求める生き物だ。
そんな時、日常にある変化に気が付けるかどうか、意図してつくられたものであれ偶発的に起きたことであれ、そこに気が付けるかどうかがまず第一歩になってくる。

刺激に気が付くためには、普段からきちんと周りを見ておく必要がある。
私はここがかなりできていないのでまず気が付けることに重点を置かなければと思っているのだけど、細部まできちんとわかって見られているからこそ変化に気が付くことができる。
気が付けないとそのまま見過ごしてしまうことが、気が付けることで次のステップに進むチャンスとなる。
そうして次に必要になるのが、その気づきから考えることだ。

変化が起きたことに気が付いて、それに対してなぜ起きたのか、なぜ必要になったのか、何を意図してそれが行われたのか、考える。
気が付かないと、考えるところまで進むことがまずできない。
そして気が付いて考えたところまでいくと、自分の言葉で語れる物事が増えたり、自分の理解やできることの幅がぐっと広がったり、といった成長の段階に足を踏み入れられるのだと思う。

まずは気が付くところから。
周囲にアンテナを張って物事を見渡すところから。
そこから初めて見えてくる世界は、同じ世界でも少し違った景色が見えるかもしれない。

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