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自己受容と成長の対立

ありのままの自分を受容しようというメッセージと自己の能力を成長させようというメッセージは、どこか対立するように思えてしまう。

多分本当はそうではない。
今ある自分を受容した上でさらなる成長を目指していくというのが理想像で巷でよしとされていることだ。
だけど現実はそんなに、理想通りには進まない。

自己受容って、ありのままの自分を受け入れて認めようということだと思うのだ。
それは必要で大切なことだとは思うのだけど、それならありのままの自分で大丈夫なのだから、成長という苦しく棘だらけの道にわざわざ進まないのではないんじゃないだろうか。
成長を求めるのは、今のままの自分じゃダメだからそこを補っていくためのように思えてしまう。

成長が本来意図しているところは、今のままでも大丈夫だけどもっと良くなったらこんないいことがあるよ、ということなんだろう。
今のままでも十分だけど、さらなる高みを目指そうと。
でも果たして、どれくらいの人がそこに躍起になっているんだろう。
一生懸命自己肯定感を上げようとしたり自己受容をすることに頑張っている状態でその成長を目指すのは、随分と苦しく大変なように感じる。

自己受容できている人がなんなくそこをクリアして成長に向かうのを横目に、そうしないままその前の段階でつまずいてボロボロになっている自分を見ているのは悔しく、現実から逃げ出してしまいたくなる。
これをしないと成長しないでしょうと言う言葉は、あなたはこれができていないのになんで大丈夫と思おうとしているの?という責めのように聞こえてしまう。

できていないからできるようにする、それは必要なことだけど。
できていない自分でも大丈夫、そう言えるようになってしまったら、できるようにするために頑張ろうって思えるだろうか。
自分を受け入れた上で、大丈夫な自分をさらに成長させると思える人は、どういう考え方の工夫を、少し無理をしてやっているんだろう。

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