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「もう幸せになれる未来なんてないと思うんです」

復職後初回、心療内科の診察室で、少し落ち着いて仕事に行くことができていると言った私はその言葉の直後にこう打ち明けた。
正直なところ、本心はここから動いてくれない。
これから先どうしたら幸せになれるのか、私は本当にわからない。

どうしてそう思ってしまうかという話を少しして、そのまま帰りの電車に乗った。
いくら考えても昨年までの自分が持っていたような幸せは、これから先永遠に手に入らないように思えてしまう。
日常を共有できる誰かと共に過ごせる日々は、"別のどこか"では決して見つからないように思う。
あの頃の異常なほどのきっちり感も、数字ひとつのケアレスミスで書きようのない理由を長々と書かなくてはいけないミスレポートも、それが普通だった私にとって手の上からボロボロ零れ落ちてしまうただひたすら落としたくない出来事に見える。
そんなことを言ったらきっと、全然いいことじゃないでしょと笑われるのは目に見えているのだけど、今はそれが世界の全てだった頃に戻れないことが不幸に思えてしまう。

これはもう、ただの懐古厨なのだと思う。
私がかつていた場所は、あまりのきっちり感から他の部署から絶対そこにはいきたくないと言われることも多かったし、実際そこから出てここの外はいいよと言っている人もかなり多かった。
それでも基準は、一度つくってしまったらある程度固まってしまう。
他の人がどうして環境の変化に上手く順応できているのか、今の私は本当にわからない。
変化の全てが、とにかくモンスター級のストレスになって襲い掛かる。
大人になるということは変化に弱くなることだと、今でも私は頑なにそう信じている。

転生している人はたくさんいるし、純粋にすごいなと思う。
ただ何故その人たちがその変化に対する苦しさに打ち勝てているのか、今まで日常だったことがなくなってしまうことで壊れずにいられるのか、どう頭を捻っても答えが出ない。
時間の使い方も、メールのフォームも、タスク管理の仕方も、自由度も丁寧さも、全ての違いが苦しい。

郷に入っては郷に従え。
それは本当に正しい。
私が今どうしても捨ててしまいたくないと思っている昨年までの"常識"は、ここでは全く通用しない。
昨年の私はそういうことを、端から理解できていなかった。
この先仕事を戻しても全く一緒はありえなくて、ある程度国際的にフォーマットが定まっている業務でも、やっぱりそこにはそこの独自のルールや風土がある。
基準を戻すことは、もうどうやってもできない。

幸せになるには基準を戻すことが必要条件だという思い込みが捨てられない以上、このままではどうしても幸せになれないと思い続けてしまう。
どうにかこの前提条件を捨てて、自分の人生を歩きなおせる思考にシフトしなければならない。
でもそれは一体どうしたらできるのか。
答えの見えない問いのヒントは、まだまだなかなか見えてこない。

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