自信は傲慢か

"自分を大切にできるのは自分しかいない"と言う。
自信を持つことはポジティブなことで、自分が自分に対して自信を持つことでセルフイメージが良いものとなり、そこへ経験が強化されていく。
誰が何と言おうと、自分だけは自分を褒めてあげる必要があって、たとえ人が自分のことを悪く言おうと、それを真に受ける必要はないのだ、と。

それ自体、言いたいことや論理は正しいと思う。
だけど、それは傲慢ではないのだろうか。
自信を持つことはとても大事なことだし、自分に自信を持つことでよりできることを増やせたりコスパの良い成長機会の体得に繋がる。
それでもなお、それが本当にいいことなのか、今でもまだ納得がいかない。

自分に自信を持つことは、謙虚さと対立するように思えて好きではなかった。
ただ自分のことを誰よりもできないやつだと口で言ってバリアを張りながら、心の底では自分のことを平均よりできるやつだと認識していた。
自信がないといい自信のなさに悩みながら、自分の中にある自信を汚らわしいからと押さえつけていたのだと思う。
それを続けると今度は、周りの人が自信を持っている発言をすることに対して物凄く苛々し始める。
あなたはこれができないのにどうしてそんなこと言えるのか。
こんなできていないところもあるのになぜ。
勿論人間は完璧にできないし、できる部分にだけ自信を持っていたらいいのだとわかってはいるのだけど、それでもその状態で自信を持っていると外に表出させてしまう人たちに、謙虚さが足りないとか傲慢だとか感じてしまっていた。

最近、褒められることが多い。
仕事が速いよねとか、しっかりしているよねとか。
言ってもらえること自体は嬉しいし、そうなるために考えて行動しているから結果が出ていることにはなると思う一方で、でもその状態だって別の人から見たら全然できていない状態なのかもしれないなと、ふと思う。

褒めてくれることの多い人の一人が今日、私は褒めて伸ばす方針で行こうと思っていると言っているのを耳にした。
あぁこの人は本当はいいとは思っていないけど褒めて伸ばす方針だから悪いところはあえて指摘せずに言ってくれているのかもしれないな、と思ってしまう。
悪いところは言わずに、いいところだって本当は大して良くないけど他に特出するようなこともないから言っているだけかもしれないのに。
本当はすごくできるわけじゃなくて、若干できるかもというレベルのことを、自信があるなんて言ってしまったらそれこそ傲慢だ。

やっぱり自信は傲慢と紙一重のように思えてしまう。
自分自身に対しても他者に対してもその考えは自動的に進んでいって、不必要に苛々することが多い。
本来であれば自分に対しては客観的に分析して部分的に自信を持てるところを見つけて、他人のそれは肯定できることが望ましい。
だけど。
傲慢さは何よりも避けたく嫌いなことだったりもするからこそ、その恐怖心がゆえ、自分に自信が持てないままだ。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。