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キャリアカウンセリング セッション#10

2ヵ月以上の日を空けて、とても久しぶりにカウンセリングを受けた。
前回の記録を見返したら、前に受けたのは出張直後らしい。
月日の早さと自分の変わらなさを強く感じる。

今回話したのは、考えて行動できる人になるには。
丁度その日、社内報のコンテンツに関する急遽始まったアイデア出しで、ひとつもアイデアが出せなかった。
そういう例を考えてみると、前職の会社引っ越しの時や連れて行ってもらった他部署との他国祝日対応会議など、数人で話し合う際に意見もアイデアも何も出せなかった例が複数思い当たる。
そういう場面に、私は滅法弱い。

なぜ言えないのか考えてみると、想像力が足りないのではないかと感じていた。
ただ、想像してわかるにはある程度物事を知っていなければいけなくて、そこは経験がものをいう部分でもある。
一人になって後から考えたり、検索して出てきた答えを応用したり、そういうことなら、できる。
だったら今やるべきは、自分の中のストックを増やすことなのではないか、という結論になった。

20代だから、色々なことに挑戦して、意味がないと感じることも幅を広げてやってみて、しっくりくるものを探していいんじゃないかと言われた。
これが30代や40代になってくると、また違うことをいうだろうけれど、今はまだ若いからそういう時期だ、と。
最近の私は、27歳という言葉のもつ大人っぽさに圧倒されている。

考えて行動できる人は、目的が明確で言葉を使うことがうまい、ように見える。
それは裏を返せば、承認欲求が強く自分を見てほしい姿の現れだ。
なにがいいとか悪いとかではなくて、私はそうなりたいわけではないのに、そうできる彼らに引け目や劣等感を底なしに感じている。

意味や目的がもてはやされる今、そうしないことも悪いことではない。
部屋にお花を飾る人になんのためにやっているか、無意味なのではないかというのはなんだか冷酷な人に思える。
本人がそれで幸せになれるなら、それは豊かな彩だ。
それがわかっていてなお、自分にあてはめることができない。

みんなちゃんと考えているからあなたのように浅はかな答えしか出てこない状態でない、といった趣旨のことを最近恋人に言われた。
もしかしたら、意図が全然違うかもしれないけれど。
でも明確になっている人はそれでいいけれど、私は明確になっていないから、それでも動いていることに意味があるのだし、その中で明確になることを見つけていけばいいのだと、今日カウンセリングで言われた。
なるほどなと思う私は、自分の中から出てきたわけではない言葉に少し心が軽くなる。
自分の内側の言葉だけではある種、限界がある。

考えて行動できるようになるための材料を探すため、まずは知見を広げることをテーマに取り組みたい。
意味がないと思ってしまうようなことも、意味をみつけられなくても大丈夫。

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