見出し画像

コーチング セッション#6

最近、新聞を読むようになった。
社会から置いていかれないようにするため、知性ある人でいるために世の中の動きを知っておくため。
それ自体は正しい行動だったと思うし、これからも社会の一員としてそれは続けていきたいと思っている。
メディアの言葉が正しいかどうかは、判断しなければいけないとわかってはいても、そのために必要な情報は膨大だから、ひとまずここから始めてみればいいのだろう。

今日はそんな前回の振り返りやそこから起こしたアクションとしての情報収集からスタートして、自己の根本的な課題は何かといったことにフォーカスを当てた。
私は自分のことを、淡泊でいて欲しがり屋さんだと思っているようだ。
ずっとのどが渇いているのにもらった水を身体にかけてしまう砂漠の旅人のような、そんなイメージだ。
人からみたら私はこう見えるだろう、という姿は同じところの良い面だけを切り取ったような感じがして、私はその同じところの悪いところばかり見てはだからダメなんだと思いつつも、本当に心から自分がダメなのだと思ってはいない。

仕事に求めるものを考えていく中で、一番は社会的居場所なのだと感じた。
そうなると周囲と打ち解けることが必要な一方で、相変わらず自分から壁ばかりつくる。
問題なのはそうなると相手次第でどうにもならなくなるということで、なんなら今は相手は踏み込む気が合ったのに拒絶し続けた状態といえるような感じなのだと思う。

1年後になりたい姿を問われて、出てきたのは主体的に行動できることだった。
相手に要望される前に、必要なことを考えて提供できる状態であること。
だけど正直それは、それなりにやれていると思っている。
物事の大枠を掴むまでに人より時間がかかって動けない状態が初期には続いてしまうけど、その段階を超えればある程度そこはいける分野になっている筈だ。
ただできていないと感じてしまうのは、やっぱり会議で発言できないとかになってくる。
もう少しとっかかりやすいところだと、抜け漏れをなくすなども出てくる。
これに関しては1変更があった時に5変更をしなければいけないところ、4つしか変更せずあともう一つ変更しなければいけなかったことに気が付くことができない、といった問題なのだけど、打つ手が正直わからない。
あとは、立ち居振る舞いが子供なのでそこを大人にアップデートする必要がある。

実際に周囲から何が足りないと思われているのか、主観以外の部分でどうなのかはわからない。
わからないからこそ話す必要があって、ただ話すには信頼関係が必要になってくる。
上席は異動が決まり、その上も変更が決定しているしなんならそもそも顔と名前が一致していなかった。
ただ一度周囲と求められていることや不足していることの話をすることで、機会損失を減らせるならそうすることが正しいのだろう。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。