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前向きなふりをして生きることに疲れてしまった

前向きであることは、必要でいいことだ。
そうすることで得られるメリットはとても大きい。
他人から見てもその姿は気持ちがいいだろうし、いい印象を持たれやすくなる。
何か同じことが起きた時でも、前向きである方がコスパや効率がよく対処できるし、それがまるで正解のように感じられる。
だけど根がネガティブな私は、そうやって毎日頑張って頭を嘘で満たすような生活に疲れてしまった。

前向きに見える人も、きっと前向きでないことは多々あるのだと思う。
でもだからこそ、前向きである人は無理をして前向きに見せているのだから、私もそうしなければならない、といった強迫観念のようなものに襲われる。
本当は、今よくわからないけれどすごく苦しいこともあぁ苦しいなぁ辛いなぁって思いに耽る時間が必要な状態で、それでもこんなこともできているし特段苦しくなる要素なんてないんだから苦しいのは幻想だと言い聞かせて表面だけで走ろうとする1ヵ月くらいを過ごした。

結果、ガタがきた。
本心は落ち込んでいるまま、でもこんなこともできたし大丈夫だと自分に言い聞かせたのは、心から自分がそう思って納得していることではない。
もっとちゃんと落ち込む時間が必要だったし、そうしないと自分を保てなかった。
無理をして表面だけ前向きに見せても、根がネガティブだからそこを無視し続けると歪みが出る。

今日の飲み会は結構話せたし大丈夫だったとか、今日の外部の方への対応はそこそこ感想もすらすらと言えてスマートにやれたのではとか、そう思えた日だって、だから私が今よくわからなく苦しいのは気のせいだよ、というわけではない。
何ができてたって苦しいのは苦しいし、苦しいことを認めないのはより苦しい。

こうなると大抵自棄になってしまって、どんなに苦しくても無理をして前向きにならないといけないなら人生から降ろさせて、という気分になる。
そうすると恋人が、変化は苦しいものだから前向きに変わろうとすることが苦しいのは仕方がない、そうやって苦しんで自分を麻痺させていくしかないという半ば自滅行為のような言葉を並べたことに、それがいいと思うなんて言い出してしまうから、世の人はどう人生のバランスをとっているのか本当にわからない。

だけどきっと、私は落ち込む時間が必要だ。
無意味かもしれないし、コスパが悪いかもしれないけれど、そういう強引さで押し通せないほどに、自分のネガティブが強いから。
落ち込む時は頑張って落ち込むことから目を背けるよりも、もうとことん落ち込みに浸ろうと、そうすることでなんとか回せるならそれがいいと思っておこう。

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