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あの日の続きが本当に終わる

東京の裏通り、個人経営のバーのカウンター席で、おでんをつつきながらワイングラスを揺らす。
隣に座っているのははたちやそこらの頃好きだった人で、なんなら当時の私が物凄く羨ましがるようなシチュエーションだ。
だけど二人で笑いながらふざけて話す時間とは裏腹に、私は彼のことを好きだったことすら、単なる自己愛の曲がった結果なように感じていた。
きっと彼とはもう会わないし、会えないし、会いたいと思わない。
私は彼が好きだったわけではきっとなくて、自己に関心が向きすぎるせいで、彼が見せてくれる自分の認識できていない自分のことがもっと見たくて、そのせいで彼のことを好きだと思っていたのだろう。

終わった恋のことを、何年も手放せなかった。
別に今物凄く好きとかはないものの、どこか特別で居続けることに変わりはなかった。
だけど、時間が経てば人は変わる。
私は自分の感覚にあの頃より気がつけるようになっていたし、彼は彼の得意なことをあの頃より極度に得意としていた。

この人の物言いに本当は苛立つこともあったのだなと、この人の論理の進め方に置いてかれたくなくて無理をしていたこともあったのだなと、そんなことを思いながら、自分がそう感じることに違和感すら覚えず、彼の正しさに魅せられてたことがどれだけ自己がないことだったか思い知る。

迷ったけれど、今会うことでどんな気分になるか怖く感じることも多かったけれど、このタイミングで彼と会って良かったのだと思う。
もう彼とは合わないのだと固く感じたし、彼のいいところはちゃんとわかっている。
嫌いと思うほどじゃないけれど、彼のことはもう全然好きじゃない。
今の私は、あの頃よりずっとしっかり、自分の感覚をわかっていられるから。

彼は、正しい人だ。
論理展開に抜け目がないし、論点をずらしたりすり替えることもない。
だけどその突き詰めた進め方が、私には単にもう合わなかった。

綺麗な終わり方をできたと思う。
人生の納得感があがる経験になったと思う。
だから今いる好きな人たちを、もっと大切にしていこう。
大丈夫、あの頃よりずっと、今の私は好きなもので周りを固められてるだろうから。

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