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あなたがよくても私が良くない

「ありのままでいいよ」と言う言葉は、時によって誰かの苛立ちを引き出してしまうと思う。
馬鹿にしてるの?いい加減にして、って。
見くびらないでよ何言っちゃってるの?、って。
やさしくないしかわいくないから、こんなことを思ってしまうことがある。
諦めの悪い女だから。

自己肯定感の話を聞いたり読んだりしていると、だいたい自分に自信を持ちましょうとかありのままのあなたを愛してあげましょうとかいうフレーズが出てくる。
じゃあそれはどうやって?となると、根拠のない自信を持つとか、そんなことばかり出てくる。
なんで、根拠がないのに自信なんて持つのか。
根拠がないのに自信なんて持ったら、それこそ人として最低だ、と私は思ってしまう。
傲慢にしないで。
大切に持ち続けてきた謙虚さを維持するためには、それは不要なものだから。
これを書いている私は物凄く傲慢なようにも思えるけれど。

「あなたは頑張ってるよ」と言われて涙を流す人は、それはもう相当頑張ってきて、それを自分で認めてこなかった人なのだと思う。
同じ言葉をもらってこの人何言ってるの?と思う私は、多分自分の頑張りに納得がいっていないし、聞きたいのはそういうことじゃない。
もっとやれるはずの私はまだまだ怠けているだろうし、この程度でそんな言葉を言われてしまうと行き場がなくなる。

「自信をもって」と言われて救われる人は、本当は自信があるところに自分で抑え込んで自信がないように見せてきた人なんだと思う。
私は今この程度で自信を持つ自分なんて許せないし、この程度で自信を持っていいといえるレベルだなんて到底思えない。
もし頑張って自信を持てたとしてもそれは思ってはいけない、後ろ指をさされるくらいに思い上がりだ。
だって事実として明らかにできていないのだから。
できていない事実があるのに、何を錯覚させようとされているんだろうか。

プライドが高いから、自分に期待しすぎてるから、かえって自分をボロボロにしているのは理解している。
だけど私は私の思う正しさを表現するためにそこに妥協したくはないし、そうすることはむしろ失礼にさえなると思う。
その先にあるのは信念とかそういうものだろうから。

きっとこれから先の人生大きく変わることはできないけれど、もう少しだけ夢を見させて。

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