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家業を継ごうと思った理由

ぼくはいま、妻の父親が経営する会社で働いている。
ヒューマンリソース部で採用をメインに担当していて、新卒中途、海外での採用、人事制度設計や人材配置などヒト系の仕事と一部ビジネスサイドの仕事もしている。今日はぼくが今の会社で働こうと思った理由を書こうと思う。


◆何でもできると自信を持っていた大学時代

大学時代から振り返る。
地元の高校を卒業後、スポーツ推薦で京都の佛教大学文学部英米学科に入学、英語教育学と中学生時代から興味のあった韓国語を学んでいた。体育会スキー部に所属していて、授業、部活(11月~4月は山籠もり)、バイトというほぼ休みのない生活を送っていた。

大学入学時から留学(行先は決まっていない)は絶対にしたいと思っていて、大学2年時にずっと興味あった韓国について学びたいと思い、休学して韓国(延世大学校韓国語学堂)に留学することに決めた。(留学時のことは別記事で書こうと思う)

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↑2009年ごろトトロハウスサッカー部の仲間と@延世大学校グラウンド


帰国後、大学ではほぼ無敵だった。韓国語はもちろん英語もできる、部活は体育会スキー部の主将(全国大会で入賞もできた)、所属していたゼミでは「留学帰りのできる人」とみられていた(たぶん)。

就職活動は世間的には厳しい状況だった(2012卒)。しかし当時の第一志望の業界にはいけなかったが、難なく東証一部の商社(支社は全国約30か所、海外5か国、社員数約1000人)から内定をもらって、そこに入社することに決めた。

当時は自分は何でもできると思っていたし、早く社会人になって結果を出したいという気持ちがかなり強かった。


◆何をしたいのか、自分でもわからなかった社会人生活

2012年4月に新卒入社した会社では、各研修を非常に手厚くして頂いた。一通りの研修が終わり6月に東京営業所に配属になった。新規顧客などを開拓して自分でビジネスを創っていきたいという気持ちが強かったが、任された仕事は先輩社員の引継ぎがメインで、すでにオペレーションが決まった仕事を毎週滞りなく回すというものだった。

毎週毎週同じことの繰り返しで、楽しいと感じたことはなかったと記憶している(この時は常に週末が待ち遠しかった)。結局、同年11月に退職した。

次に就職したのは、渋谷にある人材系ベンチャー企業。前の会社とは何もかもが違いバリバリの営業会社で、営業とは何かを叩き込んで頂いた。先輩方の支援もあって入社3か月目で80人いる営業職の中で2位の成績をおさめることができた。

しかし残念ながらこの会社は最近で言う「ブラックなんとか」で、約束されたインセンティブがもらえなかったり残業代は何時間分が固定で含まれているのかもわからず(もちろん残業代など払われたことはない)、マネージャ陣に何度も掛け合ったが改善されなかったため、わずか4か月で退職した。

次は知り合いの紹介で、あるテレビ局系列の映像制作会社に就職した(社会人1年目で2回転職した)。某ニュース番組のスポーツコーナーの制作をすることになったのだが、ここでは自分から主張をしていかないと居場所はないなとすぐに感じた(詳細は省略)。

しかし自分の「タグ付け」ができると、自分が求められていることが実感できて仕事はどんどん楽しくなっていった。ぼくの場合「野球・英語・韓国語」といった感じ。

オリンピックなどの中継制作にも携わることができ、無我夢中で働いた。しかしふとした瞬間に我に返ると、自分が何のために仕事をしているのか全くわからなくなり、ものすごい虚無感におそわれた。今振り返ると、自分は何者で何がしたいのか全くわからなかったし考えてもいなかったんだと思う。結局テレビ制作の仕事も2年で辞めた。


◆原点に戻ったことで、自分のやりたいことがわかった

その後、東京での生活がイヤになり、妻と地元(島根)に帰った。島根では町役場の仕事をしながら実家(イタリアンレストラン)の手伝いをしていた。収入は激減したが(実家なので食住は確保できた)、仕事と生活+人がつながっている感覚があり楽しかった。家の仕事をしているときは特にそう思った。

家族や周りの人たちから求められそれに貢献できる自分に誇りを持てた。自分の収入のことはほとんど頭になく、周囲の人たちの役に立てる自分が本当にうれしかった。

今まではお金のため、生活のために働いていたが、この時からは家族や周りの人のために働きたいと感じ始めた。

なぜぼくはそう感じるのか考えたとき、「自分は家族や周囲の人のために役に立ちたい、なにか貢献したいと強く思う、それがさらに多くの人の役に立てばとてもすばらしい。それは自分を今まで支えてくれた家族の存在を改めて感じたからではないか」と思った。ここがぼくが家業(家族のために役に立つ)に興味をもった最初の瞬間だったと思う。

家族のために自分の存在がある。しかし島根の家業は後継者もいるししばらくは問題なさそう。実は妻の方の実家にも家業があった(いま働いている会社)。おこがましいが会社に貢献したいと思ったし、自分のやりたいこと(自分の家族:妻のために仕事がしたい)はここにあると思った。

妻の家業でぼくを当時求めていたかはわからないが、それからすぐに義父に相談して次の年から入社することが決まった。

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↑自分のデスク


今までいろいろな職に就いてきてキャリアの一貫性も何もないが、今の仕事にたどり着くことができて幸せだと思う。入社動機は自分のわがままだが、家族やこの会社に関わるすべての人にハッピーになってもらいたいと思って仕事をしている。


2019年10月16日 永田勇気

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