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映画『光のお父さん』

一体いつの下書きか覚えていないが、保存してあったので公開する。

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映画『光のお父さん』を鑑賞してきた。『光のお父さん』は家族の幸せを描いた作品だ。私は『光のお父さん』が描いた「幸せ」は「すきな人とゆったり晩ごはんを食べているときの幸せ」に似ていると思った。

ネット上のゲーム仲間たちと共に、MMORPGゲーム『ファイナルファンタジーXIV』を楽しんでいる、ゲーム好きの青年であるハンドルネーム「マイディー」こと稲葉 光生。
光生はある日、仕事熱心だった父親が突然退職したと聞きその心境を案じる。しかし、幼いころに行き違って以来いつの間にか父子の間では会話がなくなっていた。その悩みを『FFXIV』の仲間(FCメンバー)に相談したところ、ゲーム内に父親を招待すれば、と提案される。
父親、博太郎の操作するキャラクター「インディ」に、あえて息子であることを隠して近づき、フレンド登録して共に冒険を続け、現実とオンライン上を行き来しながら父親のゲーム攻略をサポートし、攻略終盤のボスを倒した後に正体を明かす……。それは数ヶ月がかりの、壮大なオンライン育成プロジェクトであった。
フレンド達の協力のもと、様々な困難を乗り越えて、父・博太郎を『FFXIV』の世界における勇者、「光の戦士」へと鍛え上げていく「光のお父さん計画」が、今、始まるのだった。

この映画で描かれる物語は、ある親子に起こった本当の話だ。


この作品の主人公「アキオ」は、活動範囲が狭く、そのため画面の背景はほとんど変わらない(普通のサラリーマンの日常が劇的なわけがないので)。また、登場人物の感情の起伏もあまりなく、物語自体のテンションもフラットに進んでいく。画面の派手さはほとんどないので、ハリウッドのようなアクション映画が好きだという方には退屈そう…と思われてしまいそう。強烈なストーリーではない…派手な画面が見られるわけではない…けれど、他の人たちにも見てもらいたいと心の底から思える、素敵な作品だった。


『光のお父さん』は現実パートとゲームパートというもので構成されている。現実ではギクシャクしているアキオとお父さんは、ゲームを通して互いを理解していく。
ゲームと鋏は使いようだと思う。リアルから逃げるためにネットゲームにのめりこむ人もいるかと思う。けれど、ネットゲームはリアルの延長だ。正しく、楽しくプレイできれば、この作品のように素敵な体験ができるはずだ。
でも、たまたまアキオとお父さんはゲーム『FF14』で通じ合えただけで、ゲームを通してでなくてもこんな体験はできるのだと思う。何を通してでもいい。分かり合うきっかけなんて何でもよいのだ。

アキオは普通のサラリーマン。日常を普通に生きているから、風景も感情の動きも「普通」だ。だからこそ、物語の最後、アキオとお父さんの関係とが大きく動くシーンが、作品内で一番光り輝く。じんわりとした幸せを、最後の最後でたっぷり感じられる。きっと、あのふたりの「特別」はその一瞬だけ。その後はその「特別」も「日常」の一部に変わる。

普通に生きている人の人生なんて、「特別」な出来事はほんの一瞬、ほんの少しだけしかないのだと思う。でも、「特別」が積み重なったから「日常」さえも光り輝くのかな、なんてことも思った。

ハリウッドで作られる「感動」は「宝くじで3億円当たった」みたいなものかと思う。非現実なのだ。
一方で『光のお父さん』がくれた「感動」は「すきな人とゆったり晩ごはんを食べた」という素朴な幸福感だ。この作品の「感動」は押し付け感もなく、特別感もない。いつか私にも起こるかもしれない「幸せ」を形をにしてくれたように感じた。きっと私にも、あなたにもあった・ある・起こるはずの幸福が描かれている。そんな気がするのだ。

テレビなどでバンバン宣伝が打たれている作品ではないので、このままひっそりと公開終了を迎えてしまうかもしれない。けれど、たくさんの人に「こんな幸せがあるんだな」ということを覚えておいてもらいたい。そう思う作品だった。

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