無意味なことを、あえてやる!!
私は常に「意味のある行動」をしようとしてしまう。「生産性」「効率」とかの言葉を、浴びすぎちゃったせいなのかもしれない。
とにかく、行動に意味を求めてしまう。脳内では、私の中のひろゆきが「それって、なんか意味あるんスか?」と、毎秒出勤している。勤勉なものだ。
私は、暇つぶしが苦手だ。なんか無駄な感じがしてしまうから。
ゲームをやるより、本を読む。テレビを見るより、運動をする。『東海オンエア』を見るより、『フェルミ研究所』(本要約youtube)を見る。
こんな感じで、なんかタメになるようなことをしようとしてしまう。
字面を見ると「なんだか真面目そうで良いじゃない!」と思うかもしれない。
しかしながら、無駄を嫌う人間が、面白い人間であったことがあるだろうか。
唐突だが、私は面白い人間になりたいのだ。
つまり、無駄を取り入れることは、不可欠なんじゃないかと思う。
(そう。無駄を経験していないと、話の引き出しも少ない。また、行動と精神の範囲も狭い。それは、面白い人間ではない。)
「無駄の必要性」。コレに気づいたのが、約一年前、22歳の時。それまでは、常に意味のある行動をする事を心がけていた。
そしてそれは、自分をめっちゃ苦しめる考え方でもあった。
自分を振り返る!
というわけで、自分を変えるために、今までの自分を振り返ってみた。
そこでまず、やってきた事の分類をしてみた。
すると、こんな感じの表ができた。
少し詳細を書いていく。
① 「 意味ある × やりたい 」
社会にとって役に立ったり、人から「イイね!」と言われやすいもの。
いわゆる、夢とか。(私の場合、マンガ家やプログラマーを目指すことだった。)
② 「 意味ある × やりたくない 」
ライス(rice)ワーク的なもの。
社会や自分のためにはなるだろうが、自分は全く興味など持っていない。(バイトや営業の仕事がコレだった。)
③ 「 意味ない × やりたい 」
社会にとっては、全く役に立たないもの。だけど、精神のガソリンになるもの。
人はそれを、趣味と言う。
(ただ絵を描くこと、ただ文章を書くことが当てはまる)
④ 「 意味ない × やりたくない 」
特に得るものがないもの。
少額でも、お金を費やしてしまった時は、ものすごい後悔と罪悪感に苛まれる。
(ただ、ホントのムダを知ったおかげで、消去法で自分のスキに向き合えた。)
あえて!無意味を!!
詳細はこんな感じ。
そして、私にとっては①の「意味ある×やりたい」がベスト!!
ではなく、③の「意味ない×やりたい」が、一番心地よいと感じてしまった!
このジャンルであれば、楽しく、長く物事を続けられていることに気づいた。
(事実、筋トレは細々ながら8年は続いており、他にも、野球への関心は15年目に入る。)
ただ、②と④の「やりたくない」グループが、いいと感じないのは妥当だとして、①の「意味ある×やりたい」が、一番イイと思わなかったのは、驚きだった。
そして同時に、情けなさも感じた。
自分のメンタルが弱いから…と一時期落ち込んだりもした。
しかし、今考えると「そりゃ、性に合わねーわ」と思えてしまう。
なぜなら、私の場合、「意味がある!」と思ってしまうと、ものすごく肩肘を張って頑張ろうとしてしまうからだ。それでは、いい結果も出るはずはない。
また、私は「◯◯になるために、◯◯しなきゃ」と強迫観念が出てくる。
そして、楽しめなくなり、辞める。
マンガ家になろう!と強く思いすぎていた為に、自分の首を締めてしまっていたのだ。
そんなこんなで、③の「意味ない×やりたい」を消去法で選んだのだが。
コレが現時点では、最適解だと思う。
イミないと割り切っているから、変に気負わなくてもいい。だから、楽しさも持続するし、長く続く。そして、成果も出やすい。
脳内ひろゆきも「あ、それイイっすね」と言ってくれるだろうか。
うん。きっと言ってくれる。
楽しみの果てに
そして現時点では、やっと漫画を読むことも甲子園を観ることも、将棋を指すことも、(勉強的見方ではなく)楽しめるようになってきた。
しかしながら、この考え方にも賞味期限が来ることは想像に難くない。環境や懐事情の変化で、そうもいかない所もあるだろうから。
だが、そうなったらそうなっただ。
脳内のひろゆきに相談でもしながら、その時考えよう。
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