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新型コロナとトリアージ医療(工藤雪枝)

https://jp.reuters.com/article/us-health-coronavirus-italy-ethics-idJPKBN21507X

こちらのロイター電の記事は、2020年3月18日に、報道されたもの。イタリアのロンバルディア州において、800のキャパシティのICUに対して1000人を超える新型コロナの重篤患者がICUを必要とした時に行われた「生命の選別」である。つまり本来は軍や戦争時、災害時に行われる「助けるべき、あるいは助かるべき命とそうでない命の選別」である。トリアージの語源はフランス語。

新型コロナに関して、昨今のヨーロッパや米国の状況や、病院内での映像を見ていると、実際にトリアージが行われているのかもしれないというぐらいの状況だと思う。さらに言えば、今後の状況において、またICUだけでなく、RTーPCR検査を誰が受けるられるか、入院の優先順位、今後の投薬、治療、そして、予後観察などなど、あらゆる局面で「誰を、あるいはどのような年齢、健康状態、また急に症状が悪化する特徴を持つ新型コロナ関連の疾病に関して、どのような優先順位をつけるのか」ということは、既に広い意味でトリアージということを解釈したら、もう日本でも行われているという感覚も私自身としては感じる。同時に、こういう選別の基準においては、患者や一般国民にきちんとインフォームされるべきであると思う。同時に国民の側にもいざという時には、自己決定権が本来あるべき事象でもある。

私において、実際にトリアージタグは、故佐々淳行さんと一緒に「IF、まさかの時の危機管理」という番組を二人でキャスターかつ制作をしていた時に実際に見たこともある。様々が分類法があり、本来は、クリミア戦争時、19世期にフランス軍で作られた概念ではあるので、一般化は困難であるが黒は、「助からない。生命の蘇生は不可能」。赤は「最優先治療群、命を救うために直ちに処置を必要とするもの。」黄色は「多少治療時間が遅れても生命に危険性がないもの。バイタルサインが安定している」緑は「上記以外の軽微な傷病で、ほとんど専門医の治療を必要としないもの」と分けられている。

日本においても、世界においても軍隊や戦争時、災害時、救急医療を前提とした概念であり、トリアージの分類手法は、国や、また様々な医療機関、現場によっても異なる。

例えば軍隊のトリアージで言えば、本来において、命が助かっても視力がやられてしまう場合など、いわゆる兵士として闘うことができるか否かということが基準になったりするゆえに、トリアージの分類手法は全く異なる。私はトリアージを初めて知ったのは、1995年3月20日に東京で起きた地下鉄サリン事件の際である。

本来においてトリアージ分類は、素早くかつ責任をおった者が、同時に医療においても知識がある存在が何人で行われるべきかということが国によっても違う。また一度トリアージを行ったからとって、それを定期的に変更しなければ、地下鉄サリン事件のように、当初、使われたと思われる攻撃手段(0.5mgの純粋サリンで致死まで2−3秒というサリンと特定するまでに一定の時間が必要であった)やどのようなレベルで、サリンに暴露されたかという判断において、トリアージは適切な専門家によって(当時は、自衛隊中央病院の化学兵器治療ができる医官によって行われた)頻繁に変更する必要も出てくるだけでなく、定期的な見直しと確認が必要である。

そもそも、昨今、安楽死を法制度化する国々が増えている中で、ヨーロッパのオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、米国の一部の州などが安楽死(あるいは自殺幇助)を認めているが、新型コロナの場合の急な重症化というケースも、結局はほとんどの人々の命を救うことが出来た地下鉄サリン事件においても、判断のスピード、正しさ、基準ということが明確になっていなければならないが、新型コロナに関してはもう既に、発症例が出てから、数ヶ月も経っているというのに、如何なる基準が儲けられているのか、私が見落としているのかもしれないが、未だに、報道された基準を見たことがない。

地下鉄サリン事件の際には、硝酸アトロピンやPAMなどを用いて(両方とも持っていたのは自衛隊中央病院だけである)、さらに、ジアゼパム、ネプライザーの手法、そして、肝臓や血清中に存在する「偽性アセチルコリンエステラーゼ」の増減を調べ、如何なる「臨床データ」もないサリンの被害者の治療に当たった時も、トリアージタグが使われた。

通常、サリンのような化学兵器には「LD50」という防衛論理、軍事理論が適用されて、そのようば物質への「暴露の状況」を計算できる。しかしその前提は、屋外で、さらに一般的には陸上であり、不完全なサリンであった故にまだ不幸中の幸いであったとはいえ、地下鉄のしかも、民間航空機などと異なり、座席なども解らない訳で、全く「LD50」理論は通用しない。サリンが化学兵器禁止条約にも該当している、皮膚からも進入し、2−3秒で死にいたるという物質である。未だ軍でも対処例がないと思う。人体実験などの例ももちろんない。

故に、自衛隊中央病院の医官におかれて、コリンエステラーゼの数値に注目してトリアージを行ったが、しかし本来サリンで下がる(悪化する)コリンエステラーゼ値は、真性コリンエステラーゼ値であり、通常臨床医学で計測できる肝臓や血清コリンエステラーゼ値とも違う。

故に、世界で初めて(原爆といい、サリンといい、日本は常に世界でも類をみない様々な悲惨な被害にあうものだとため息が出る)のレスキューミッションにおいて、コリンエステラーゼに有効なる硝酸アトロピン(実際にこのサリン事件の日には、60名の方々が、自衛隊中央病院にても治療を受けている)の副作用である、「口渇」(喉の乾き)をあえてチェックしながら、その有効性を維持するという手探りでの救出でもあった。

また、私は実際に大宮市にあった化学学校(学校というだけでなく放射能、生物、化学兵器への対処部隊がある)に取材に一人でうかがい、お会いしたこともあるが、最終的にサリンの除染ミッションにおいては、床などに付着したサリンの除染は対応できても(しかしあのレベルの完璧さで対応できるというのは米軍でも難しいのでは?)、空気中、しかも地下においての最終チェックは、リトマス試験紙をもっと複雑にしたようなテスト紙にてチェックするのであるが、通常の空気中の残留サリンは、大型の車両のような専門の手段でなされなければならない。しかし、地下内部へ運べるものではない。

故に、1995年3月20日においては、化学部隊の家族も妻子もおられる方(日本の陸上自衛隊ではそういう内規になっている。米軍では、最も若い独身の隊員を選ぶという内規である)が最終的に防護マスクを外して、自らが「実験台」となって最終確認をしたのである。その方にも私は取材してお会いしている(特にテレビ局や紙媒体の取材ではなかったので、また当時はその情報もその方のお名前も出せないという状況であったのであえて公表していない)。実に、命がけの大変なる重圧の任務であったのに、いやはや今でも日本国民において、自衛隊の存在があることにより戦争が起きるとか、安全が保たれないとか、また、日米共同訓練には反対している輩が多いのには辟易とする。自衛隊がなければ、北朝鮮は拉致、あるいはそれ以上に他国が核弾頭ミサイルを日本に撃ちやすくなるだけであろう。2000年初頭ては未だ弾道ミサイルの時代であったが、今や時代は、巡航ミサイル。実に弾道ミサイルと比較して、防御が難しい。私など、1991年のイスラエル国民ではないが(当時イスラエル国民には全員に化学兵器ースカッドミサイル攻撃に対処するための治療用注射器が渡されていた)、核弾頭など付けられて、いざ日本が攻撃された時には、苦しみたくないから、安楽死の制度を立法化して認めて、いざという時には、青酸カリみたいな苦しさではない安楽死を要求したいぐらいの昨今の東アジアの状況である。

私もBBCやロイター含め、様々な戦場記者を知っているが、当該出身国の法制度にかかわらず、だいだい戦場から報道する現場に行く記者などは、あるいは機密情報を持っている記者などは(カッショーギ記者は斬殺されているし、権威ある存在に対抗する調査報道など、ボブ・ウッドワードとカール・バーンシュタインがニクソンゲートの報道で、ピューリッツァー賞を得た時も命がけであり毎日、宿泊するホテルを変えていたけれど)ほとんどがいざという時に備えて、安楽死の薬を持っているのが当たり前なのである。日本はそういう点でも新型コロナに関して、またその対処において、GO TOというのんびりした対応ではなく私個人的には、もっと「スピード感と危機感を持って対応してほしい」と感じる。

新型コロナに一度罹患した患者の回復後の余後において、実にまさにWITHコロナ。髄膜炎や、脳や中枢神経や臓器までやられる進行例が海外のNIH,NEJM,などの学術論文を読んでも、一度陽性ー感染ー発症ー寛解ー陰性になった後の、再感染するたびに症状が重くなる例が多々報告されているし、ECMOなど苦しすぎるから、弱っちい私において、またあまりにも欲がなさすぎる私において、安楽死制度を青酸カリのような苦しみではない手段にて自分でできるようにしていただきたいと思ったりする。

まあ、おそらく世の中の方々は、実態を知らぬゆえに、呑気にクラスター発生行動を平気で行っておられるのであろう。しかも日本の医学界において、2009年の新型インフルエンザの際もワクチンを開発できず、海外から緊急輸入した。いくらCEPIの最大拠出金額国であるから、とか、ドイツと英国とのワクチン契約を結んでいるからといって、今回ばかりはドイツや英国もそれぞれの国内だけで精一杯であろうし、ドイツと英国とをあてにすること自体が、私見では最も最速で、かつ治験者全員に抗体が出来ている故に期待感が高いNIH, NIAID, HHS, BARDA, MODERNA, と米軍とが開発している(既に既存のSARSワクチンの開発実績故のこの成果であろうが)mRNA1273をあてに出来ないという、日米同盟の脆弱性であろう。

そんな昨今、宮崎県や日本のあちらこちらで日米共同訓練実施に反対しているのであるから、況や、米国軍人や米国人ほどある意味愛国的民族はいないから、そんな状況を見て、ワクチンやあのトランプ大統領も使ったレムデシビル(日本でも認可したが、しかし特許や製造国は米国のギリアード・サイエンシズである)をも保証されないだろう。

新型コロナの疾患はではどのようにトリアージすべきかという点においては、地下鉄サリン事件のような突発的で、急なテロ行為と違って、十分に検討する時間があるのであるから、我々国民にきちんと(もし決まっている基準があるとしたら)知らせてほしいし、また国が責任を持って、その基準を伝える義務があると思う。

実際に、80代の高齢者でも基礎疾患がなく健康な方もいれば、40代で、肥満や、ヘビースモーカーで喘息で、酒飲みゆえに、肝臓がかなり疲弊しているなどという例もあるし、年齢や客観的なその場での決定において、果たして、どのような判断基準が最も理想的なのかということ、さらには既に決まっているのであれば、それを知りたいと思うのは私だけであろうか?

また、オランダや、ルクセンブルク、ベルギーのように「安楽死法制度化」を行っている国々でも、本来の安楽死決定に至るまでのプロセスを調べるに、新型コロナの重篤なる症状の場合と相容れない法律的不備があると感じる。況や日本をやである。

イタリアでは安楽死は法制度化されていない。しかし、上記にリンクを貼ったロイター通信電を読む限り、(おそらく患者には意識がないような状態で)生命の選別と、優先度の決定と、さらには助けられない患者に対するセデーションを超えた「安楽死」が施されたと私においては感じる。

日本でもPCR検査を一部の人々が簡単に受けられる一方、いわゆる一般庶民(私のような)にはなかなかその機会が得られず、結果として亡くなった後に、「新型コロナの陽性」が判明したり、検査や治療も十分に受けられず、急に症状が悪化して自宅で亡くなられた50代の男性が今日、判明している。

昨今の、日本における、ロックダウンの可能性、あるいは自粛要請、国や地方公共団体、医師会、医療機関などなどにおいて、実に基準が全てにおいて不明確で、その結果として、誰が責任を負うのかさえ不明確なまま、具体的な言葉や発想ではなく「最速のスピード感で」とか「全力を尽くして」とか、「最も重要な問題として」とか、実に、「それはどういう意味であり具体的には何?」と聴きたくなるような様々な国や、地方公共団体や、対策委員会などの会見を聞いていると、ますます、意味不明なるアンビギュアスなる感覚と不安感を持ってしまうのは、私だけではないのではと思う昨今である。

私においては、家に引きこもり、今のところ一切感染している兆候も、またそのような原因行動もないのであるが、地下鉄サリン事件と違って、ある意味「時間の余裕がある」というか「長期戦覚悟」の新型コロナゆえに、説明責任を国民全員に対してきちんと果たしてほしいと思う。同時に民主主義においては、決定権を持つ存在と国民とはスイスのジャン=ジャルジャック・ルソーが定義したように「社会契約論」を結んだ関係であるのだから、国民の側にもトリアージ含め様々な「決定事項」において、発言権と決定権があるのであり、その点において決して受け身であってはならないし、今、まだ日本において医療崩壊や、オーバーシュートのパニック状態になっていないうちに、経済だけではなく、経済活動や様々な社会の前提となる「生命や治療の決定権」を国民全てが意識し考え、意志を表明しておく必要があると感じる。

#新型コロナウィルス #トリアージ #工藤雪枝  

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