ふなみゆき

できるだけ正直に生きていきたい。平成最後の春に双子を出産しました。

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できるだけ正直に生きていきたい。平成最後の春に双子を出産しました。

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  • ふなみゆき作品集

    小説やエッセイなど、「作品」と言えそうなものをまとめました。

最近の記事

妊娠は想像以上に大変だった

妊娠は、想像以上に大変だった。 つわりがあるのは知っていた。 数日で回復するノロウイルスや夏風邪でもだいぶつらいのに、 それが数週間、数か月と続くのは恐ろしかった。 実際、それは妊娠発覚とほぼ同時にやってきた。 全く嘔吐しない日もあれば、1日に5回嘔吐する日もあった。 「食べたい」と思うものしか食べられなくなった。 逆に、揚げ物でも麻婆豆腐でも、 そのとき「食べたい」と思うものは、たいてい食べられたから不思議だった。 いちばんひどいときには、水も思うように飲めなかった。

    • 違うよ、双子とつながる時間だよ

      切迫早産で入院になった1日目の夜。 淋しがりやの私は、やっぱり淋しくなって、 夜の空気がさらに、そんな気分を加速する。 もしかして、これは夫がいなくなっても生きられる私になる練習をしているのだろうか。 「ふたりもいるのにね、淋しいなんてぜいたくだよね。」 友だちにメールを送って、はたと気がついた。 入院して、夫と離れて、ひとりになった気分だったけれど、 いやいや、ここに家族がいるじゃないか。 しかも、2人も。 そう気づいたら、ほっとあたたかくなって、 心のなかで2人に

      • 望んだ妊娠ではあるけれど

        「望まぬ妊娠だった。」とは言わない。 しかし、その命は、突然にやってきた。 確かに、ちょうど結婚に関するイベントが終わったところだったし、 仕事も遊びも、「身軽」なうちにやっておきたいことはある程度やったつもりだったから、 子どもができるタイミングとしては申し分なかった。 それでも、私のおなかに新しい命が宿ったと知ったとき、 一番最初に出た言葉は、「なぜ!?」だった。 いや、できるようなことをした覚えはあるのだ。 でも、初経から周期が安定していた私にとっては、 今まで生

        • 子どもの自分を見る視点

          3歳半の写真が可愛くて、1日限定でFacebookのプロフィール画像にしてしまった。 子どもを産んでから、自分の小さい頃が可愛いと思えるようになった。 それまでは、録音された自分の声を聞いているようなむず痒さがあって、できれば見たくないと思っていた。 子どもを産んで、時間の連続性が失われてしまったのかもしれない。 過去の私は、私だけど、今の私じゃない。 前世のような、幽体離脱して過去の自分を見ているような、自分の子どもを見ているかのような、客観的な視点になる。 だから、自

        妊娠は想像以上に大変だった

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        • ふなみゆき作品集
          1本

        記事

          パブロフの犬みたいに

          パブロフの犬、と言われる条件反射の実験は、 「ベルを鳴らしてから餌を与える」ということを繰り返すと、 餌を与えずとも、ベルを鳴らしただけで唾液の分泌量が増えるというものだが、 そのうち、ベルを鳴らす以前に、 飼育員の足音だけでよだれが出るようになったという。 *** 切迫早産で入院してから20日が経つ。 足音で、誰が来るのかがわかるようになってきた。 夫の足音。 背が高い夫は、足も長いのだろう。 足音から、次の足音までに、キリンが歩いているのかな、と思うような「間」が

          パブロフの犬みたいに

          歳の離れた友人が亡くなった

          歳の離れた友人、と表現するのが良いだろう。 歳の離れた友人の、訃報を受け取った。 突然死だった。 突然死というくらいだから、突然のことだった。 *** 彼は、「どこにでも現れる人」だった。 いつも、突然に現れて、 そして、一度現れると、ずっと昔からいたかのように、そこにいた。 だからきっとまた、どこかにひょっこりと現れて、 当たり前のように座っていて、 一見、傍観者で批評家のような振る舞いをしながら、 「今日のあれは、良くなかったなあ。」なんて、文句のような口調で話

          歳の離れた友人が亡くなった

          ほぼ寝ているだけの日々を「書く」〜『ほぼ日手帳』を再開した話〜

          1月から、仕事に行かなくなって以来開かなくなった『ほぼ日手帳』を再開した。 もともとは、子どもが生まれてから、 授乳やおむつ替えの記録に使おうと思っていた。 出産前の今も、 「ページがあるのに使わないのはもったいない」と、 ただ、なんでもない日々の生活を書いている。 仕事はしておらず、家事も夫にすべてお願いしてしまっていて、 妊娠してから、ほぼ寝たきりの、何もしない生活だった。 本当に何もしないというのは心が落ち着かないものだ。 ほぼ日手帳に書くようになってから、 「

          ほぼ寝ているだけの日々を「書く」〜『ほぼ日手帳』を再開した話〜

          「なんのために勉強している?」〜冬休み子ども科学電話相談より〜

          祝日の朝。 ラジオをかけると、冬休み子ども科学電話相談の再放送だった。 子ども科学電話相談とは内容は、科学に関する疑問や興味をもった子どもたちが、その分野の専門家に直接電話で質問をするというものだ。 私は、長期休みに放送されるこの番組が好きで、満員電車の中で聴きながら出勤していた。 子どもたちは、まぶしいほどの無邪気さで専門家たちに質問をぶつけていく。 内容は、 「どうしてお父さんのオナラはぼくのより臭いの?」といった、子どもらしい素朴な疑問から、 「恐竜は托卵することは

          「なんのために勉強している?」〜冬休み子ども科学電話相談より〜

          「お母さん」がいっぱい

          妊娠してから、 何人もの方からお土産をいただいた。 直接手渡されたものもあるし、 夫が預かって帰ってきたものもあるし、 私に会いに来てくれる人たちが、預かって持ってきてくれたものもある。 いちばん多かったのは、 「じゃこ」と「いりこ」だった。 そのほかには、 生姜の即席スープ、妊娠中も飲めるハーブティー、 煎り黒豆、乾燥ほうれん草、ルームシューズなど。 まるであちこちに「お母さん」がいるみたいだ。 まだおなかの中でしか始まっていない子育てだけれど、 ひとりぼっちで、

          「お母さん」がいっぱい

          年の差夫婦と死なない約束

          佐々木ののかさんのツイートから考えはじめた。 結婚式での約束友人の結婚式に出席した日のこと。 新郎が新婦に改めてプロポーズをした返事として、 新婦は、「3つの約束してください。」と言った。 そのうちのひとつが、 先に死なないこと。 せめて、そのための努力を怠らないこと。 だった。 新郎は、新婦の9歳年上。 人の生死のタイミングなど、コントロールできるものではないし、 その順番が順当だったとすれば、新郎がだいぶ先に死ぬことになる。 でも、だからこそ、約束を交わすのだ

          年の差夫婦と死なない約束

          赤ちゃん人形

          「これは人形なので、つい振りたくなってしまうと思うんですけど、 本物の赤ちゃんだと、振っちゃだめですからね。 隣にタオルを用意しておいて、 振らずにやさしくタオルの上に寝かせて、包んで拭いてあげてください。 最近、ニュースなどでもよく取り上げられると思うんですけど、 揺さぶられ症候群というのがあって……。」 助産師の手によって水面から持ち上げられた赤ちゃん人形から、 ぽたぽたと雫が滴り落ちる。 確かに、これは人形で、そして「練習」をしている間は人形ではない。 さっき私も、

          赤ちゃん人形

          選択に自信がないのは同じなんだよね

          「『私は産まないからさ。』に返す言葉が見つからない」に、 よっしぃさんからコメントをいただいた。 自分の選択に、ちょっぴりでも自信をもつことがよいのではないでしょうか。 元の記事は、こちら。 そうか、とはっとした。 彼女たちは、産まないという選択をしていいのか、という迷いがあって、 私は、産んで育てられるのか、母親になれるだけの器量があるのかという自信のなさに苛まれている。 選択に自信がないのは、同じなんだよね。 どちらの選択をしても、「これでいいのだ。」と言い切る勇

          選択に自信がないのは同じなんだよね

          「私は産まないからさ。」に返す言葉が見つからない

          私の親しい友達の中には、子どもを産まないと決めている女性がいる。 彼女たちに妊娠の報告をしたとき、 「おめでとう。」と同時に、決まって言われた言葉があった。 「私は、やっぱり産まないからさ。」子どもを産まないと決めていても、どこかに迷いはあるのかもしれない。 でも、それだけじゃない。そうじゃない。 「人として、女性として、生物として、 子どもを産むのが正しいあり方で、 子どもを産まないのは間違っている。 子どもを産まない人は、不完全である。」 子どもを産まないと思ってい

          「私は産まないからさ。」に返す言葉が見つからない

          病気になる夢を見た

          病気になる夢を見た。 最初の精密検査の結果、ステージ4か5のがんだという。 余命については触れられていないが、 おそらく数か月というところだろうか。 起きて、夫に「夢の中で死にかけた。」と報告した。 夫は、ずっと私の「死にたい」を聞いてきた人だから、 「良かったじゃん。願いが叶って。」 と言った。 そう、少し前なら、「良かった」のだ。 できるだけ苦しみたくないから、がんで死にたいとは思わないが、 起きたときに、夢の中の自分に嫉妬していたかもしれない。 でも、夢の中の私

          病気になる夢を見た

          死にたいまま「母」になる

          思春期ころから、ずっと、 生きづらさを感じながら生きてきた。 死にたい。 生きていたくない。 楽しいこと、幸せなことはたくさんあるけれど、 それよりも、 つらいこと、悲しいことがあるのなら、 それから逃げ出したい。 みんな、なぜ生きているのだろう? その状態は、「異常」なのかもしれないが、 私にとっては日常で、決して特殊な状態ではない。 それなのに、子どもが生まれる。自分が居続けたくないと思う世界に、 新しい命を送り込もうとしている。 今の夫と一緒に暮らすようにな

          死にたいまま「母」になる

          鬼は外、福は内

          鬼は外、福は内。 きっと来年の今頃は、 まだ足元のおぼつかない子どもたちが、 豆を飲み込まないようにと目を配りつつ、 節分の意味を自分たちも勉強しながら、 なんとかわかってもらおうと噛み砕いて説明しつつ、 にぎやかにこれを行うのだろう。 もしくは子どもたちが寝静まったあとに、 夫婦二人でこっそり願いをかけるのだろうか。 明日から、春になる。 おなかの中の子どもたちは、無事、「春生まれ」となった。

          鬼は外、福は内