カラぼく1

心の澱を吐き出すという行為

こんにちは、ユキガオです。

私は今のブログ『スキ、はじめました。』を始めたのが2016年の9月。それからもう1年5ヶ月が経とうとしています。

正直「ブログ始めて良かった」と思うことがすっごく多いんですよね。きっとブロガーさんにはこれ、共感してもらえるんじゃないでしょうか。

でも、もちろん得るものもあれば失うものもあるのが世の常。

では私がブログを始めて失ったものは何なのか。

それは「日記」です。

 * * *

昔から日記をつけるのが習慣でした。夜寝る前に、その日あったことを日記帳に書き連ねる。

中身は本当に何でもアリで、「お母さんとケンカした」とか「◯◯くんに告白した」みたいな日常から、「私は将来どうしたいんだろう」みたいな漠然とした考えまで書く。

そしてそれは、mixi(ミクシィ)が流行した19〜20歳頃も、不定期ながら続いていました。mixiは友人が読んでいる前提で書いてるから、さすがに全ては書き出せない。

そんな、どこにも吐き出せない想いを日記帳にぶつけてたんです。

やがてSNSの主流はmixiからFacebookへ。これこそ実名登録なので、いよいよ何も書けなくなります。そうすると、Yahoo!ブログやアメブロに、匿名で日記のようなブログを書き始めるんですね。

このあたりで、紙の日記帳からweb媒体へ移って日記を書くように。ただし今のブログのような「コンテンツ」という概念はなく、ただただ日常で起きたことや考えたことをダラダラ書くだけ。

読者登録してくれる人もいるけれど、その人たちだってアイコンは全てアバター。どこの誰が読んでるか分からないからこそ「何でも書ける」という心地よさがありました。

そうして今、こうして顔出しでブログを書き、SNSを使って発信していると、だんだん「日記」的なものを書く場所が減ってきたなぁと感じるんですよね。

紙の日記帳も、web上で書く日記も、なくなってきた。

まず、日常で起こったことは全て「コンテンツ」としてブログに書くようになったので、常にネタ探しの毎日に。

それを体裁整えて読みやすいように苦心しながら書いていると、もう日記を書く余力はなくなります。

SNSでも「今日は頑張った〜!疲れた。」みたいな投稿はしなくなった。常にアウトプットするものは「コンテンツ」と見なしてしまうようになったんです。

 * * *

日記は、デトックスだと思うんです。

日記を書くということは、自分の心の澱を吐き出してスッキリするという行為。

気付いたらその習慣がなくなって、心の澱は溜まったままになりがちでした。それが当たり前になって、もはや溜まっているかどうかすら気付けないくらいに麻痺していく…

ということを考えていて、あぁ今も何かが溜まっているのかもしれないなぁと気付きました。ときどき何かが喉の奥の奥に詰まっているようなこの感覚、日記を書いていないからじゃないかな、と。

 * * *

日記を書くことは、睡眠や栄養と同じくらい私にとって必要なものだったんじゃないかと、失って初めて気付きました。

これからはデトックスを兼ねて、再び日記を書いていけたらいいな、と思う今日この頃なのでした。

(とか言って「忙しい」を言い訳に書かないんだろうな…)


ユキガオ

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