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「機那サフラン酒」から「長者盛へ」 新潟銘醸さん ゆきがた座談会

「ゆきがた座談会」8回目はHATAGO井仙に、「長者盛」「越乃寒中梅」で名高い小千谷の新潟銘醸さんから営業担当の羽鳥さんをお迎えしました。
内容のアーカイブをお届けします。
聞き手は株式会社井仙代表の井口智裕です。

羽鳥 新潟銘醸の羽鳥と申します。それでは新潟銘醸の歴史からお話します。
昭和13年、1938年の創業ですので85年ほどでしょうか。
新潟の酒蔵の中では割と新しい方と言えるかも知れません。

今夜もはじまりました。囲炉裏を囲んだ座談会。もちろんお酒も出てきて盛り上がります。

弊社は最初から日本酒を作っていたのではなく、元を辿ると投手吉澤家の2代目吉澤仁太郎が長岡市で薬酒を作っていました。「機那サフラン酒」という酒で「養命酒」と並んで2大薬酒と言われたこともあったそうです。
サフランとかハチミツ、桂皮、丁子など10数種類の原材料から作られて竹筒に入れて販売し始めたのが始まりだそうです。
当時のお医者さんの薬は漢方薬が中心だったのですが、「機那サフラン酒」の「機那」の部分、キニーネという即効性のある成分が入っていて、漢方に比べてすぐに効くということで評判が広がったそうです。腹痛、腎疾患などに効くと言われていました。
実は現在はこのキニーネが薬事法上使えなくなって、今はキニーネを代替の成分に替えて製造しています。

新潟銘醸さんのルーツの商品「機那サフラン酒」。一時はハワイでも売っていた。

この「機那サフラン酒」一番販路が大きかった時昭和初期にはなんとハワイにも販路があったそうです。
そんな繁盛を物語る「機那サフラン酒製造本舗」として豪華な“鏝絵”で飾られた建物は現在醸造の町と言われる長岡摂田屋で有形文化財として登録されています。

こうして財を成した吉澤家ですが、すぐに酒造りに移行したわけではなかったのです。吉澤仁太郎が行商で行った灘伏見の酒蔵で、金属製の琺瑯タンクというものに出会いました。
その時代、酒造りは木樽を使っていてどうしても季節の温度変化や腐食に弱かったのですが、琺瑯タンクはそういうことはない。ということで琺瑯タンクの販売会社を立ち上げて、新潟の酒蔵に販売を始めます。
ただ酒造りの現場はなかなか伝統的な木樽にこだわる蔵も多く最初は導入に難航したそうですが、次第に製造上の利点が理解されて浸透普及していき、商売も軌道に乗っていきました。

そしてようやくというか、いよいよ万を期して事業で得た資金で日本酒造りに取り組んでいくことになります。吉澤自身、薬酒の製造や琺瑯タンクの販売を経て自分で日本酒を作りたいという気持ちが高まっていたそうです。
日本酒事業当初から「長者盛」という名前で酒をつくる構想を持っていました。
昭和38年に酒造事業を立ち上げます。現在の酒蔵は小千谷ですが、創業の地は中蒲原郡村松町でした。その後昭和40年、小千谷市の酒蔵を合併する形で今の会社の原型ができました。この時村松町から仕込み蔵を移築していましたが、一部を残して中越大震災で失われてしまいました。

長者盛は味わい豊かな酒ということで人気が出ました。
私が会社に入った頃の大先輩の入社当時の仕事は水飴を作る仕事が最初の仕事だったそうです。その頃は甘いお酒が主流だったので、お酒に水飴を入れていたそうです。それから数十年、時代にあった味わいの酒に変化しています。

これぞ定番!「辛口 長者盛」

会社としては1968年に種類卸免許を取得して、ビール特約店となります。
というのも、酒蔵の仕事は偏っていて、季節的に秋から冬、酒造り年末年始に仕事が偏っています。この雪国新潟で、雪が降って動けなくなる前に酒屋さんや宿屋さんに酒を山積みにします。スキー場の多いこの辺(湯沢)にも多く提供していました。秋冬が忙しく、それに合わせて人数も用意しているのですが、夏の仕事がないわけです。そのため蔵人の夏の仕事としてビール卸の仕事をしていました。

季節の話で言うと、昔は酒は夏を越して熟成しないと酒じゃないと言われていました。やはり味の濃い酒が好まれていたんですね。
今は製法や好みが変わってすっきりとした新米新酒が人気ですが。
灘の酒がうまいと言われていたのも灘から船に乗せて江戸に持ち込む間の数ヶ月で熟成するからと言われていました。

現在主流の鉄筋建の社屋を作ったのもの割と早い時期でした。現在の鉄筋4階建の社屋です。
それまでは横の移動が多く人力で運ぶ仕事が多かったのですが、
それからは原材料を最初にエレベーターで4階に上げて、どんどん垂直方向におろしていく形で製造をして省力化を図っていました。当時としてはモダンな考え方だったそうです。

井口 なるほど。それではこの辺で試飲をしながらにしましょうか、、これがメインの長者盛ですね。

今回持参いただいたお酒。はっきりと違う味わい。

羽鳥 昔の言い方でいう2級酒ですね。ラベルも昭和60年から同じデザインです。当社全体のモットーですが旨味の感じられる酒ということにこだわっています。ただ当時は日本酒度+6だったのが現在は+7で若干辛口に動いています。

参加者 うん、いつもの長者盛、新潟の酒っていう味わいですよね

井口 そしてこちらはもう一つの看板商品「越乃寒中梅」ですね

羽鳥 「長者盛」と比べて軽快さのあるお酒を作ろうとして作ったのが「越乃寒中梅」です。「長者盛」は小千谷、長岡を中心に流通していていわゆる地酒といった感じですがこれは昭和50年代以降整った交通網も乗ってより広範囲に広がりました。この湯沢地域でもたくさん買ってもらいました。そして1990年代の新潟地酒ブームにも乗りました。バリエーションも豊富で季節感も取り入れて10数種類の商品があります。

井口 話は変わりますが新潟銘醸っていう社名がちょっとニュートラルすぎはしませんか?例えば長者盛酒造とか寒中梅酒造の方がわかりやすくないですか?

羽鳥 苦笑)そうですね。。確かにそのようなことはよく言われます。
外に行っても新潟銘醸さんというより長者さん長者盛さんとか呼ばれますね。

井口 そう言う意味ではブランディングの余地がある気がしますね。。余計なお世話かも知れませんが。ボソボソ。

井口 そしてお米は自社精米なんですね。

羽鳥 平成の初めの頃に自社精米プラントを作りまして全て自社で精米しています。平均精米歩合が55%です。意外と磨いているんです。
純米吟醸は55%、本醸造は58%、大吟醸も35%としています。これも結構磨いています。会社としては35%以上磨いても味は変わらないという考え方です。

井口 確かに!すごいですね。
本醸造は58%、例えば60%出なくて58%ってその2%に何かあるんですか?

羽鳥 うーん多分作り手的に何か理由があってそうしているんですね。
自社精米なので微調整も可能ですし。色々やってのこだわりもあるのかもしれません。
あと製造的には2004年の中越地震では相当なダメージを受けたのですが、なんとか乗り越えました。たまたま仕込みタンクをちょうど新しいものに入れ替えていて、丈夫だったと言うこともあります。古いタンクだとダメだったかも知れません。

井口 次は目新しいお酒で「N-888」と言うお酒ですね。

羽鳥 私たちの顧客は従来からの日本酒ファンが多いのですが、一般の家庭のお料理も和食から洋食が多くなってきたりと嗜好が変化していますし、どんな料理にも合う日本酒ができないかということで開発しました。
1270回以上の醸造の試験を行って、888回目の酵母と試験結果が一番良い!ということでこの名前になりました。ワインのような軽快な味わいがします。

N-888のキャッチフレーズは「チーズやお肉料理にも合います」

井口 これ日本酒ですか。。何も変なものは足してない笑?

参加者(日本酒と思えない味わいの声多数)

井口 ここまで来るんですね。。長者盛とかと比べてすごい振れ幅ですね。

羽鳥 日本酒です。いつもの原材料です。米と麹と水です。一度会社にクレームの電話があって「オタクの日本酒にワインが混じっていますよ」ってものでした。笑

井口 色々なお酒を紹介してもらいましたが、新潟銘醸として目指すところってどんなところですか?

羽鳥 よく社長が言っているのが、近所の飲み屋で気軽に飲めて、美味しかったら近所のスーパーで買える。そして家で気軽に美味しく飲んでもらえるお酒、ってところでしょうか。

参加者 「羽鳥さんが一番好きなお酒ってなんですか?」

羽鳥 長者盛の「千萬長者盛」ですね。昔でいう1級酒で精米歩合は58%、ちなみに一升で2000円くらいです。いわゆる晩酌酒ですね。ただ飲み飽きしなくて料理も選ばずいつでも美味しく飲めます。

羽鳥さんのお気に入り「千萬長者」1升2,000円は安い!

井口 意外とと言っちゃなんですが、本当に色々な味わいのお酒がありますね。
元を辿れば「サフラン酒」みたいなものから長者盛のような正統派日本酒からN-888まで。新潟銘醸さんのイメージが変わりました。
でもブランディングは何か考えたいなあ(笑
今日は本当にありがとうございました。

新潟銘醸 羽鳥さんと参加者の黒田さん。黒田さんはご自身の結婚式の乾杯酒が「長者盛」だったと言うことで、その時の思い出の木枡をご持参くださいました。



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