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主婦に向いている人、いない人

既婚男性が退職すると「無職」と呼ばれるが、既婚女性が退職すると「主婦」と呼ばれる。なんだか変だ。男性が無職と呼ばれる時の「一人前の男なら仕事をしていて当然」みたいな重い感じも嫌だけれど、女性は仕事を辞めてもやるべきことがある、みたいなイメージも相当のものだ。

でも最近では「主婦なんて事実上の単なる無職」などと揶揄の意味で使われることもあるので、主婦を無職と呼ぶか否か論争に加わるならば、それがどんな文脈で行われているかを注意深く観察しなければならない。

わたしは2023年現在主婦であり、無職である。2018年に結婚し、2020年に退職して以来、気がつけばもう三年近く主婦をしていることになる。

幼い頃からあんなに「主婦になってはいけない、手に職を」と、主に母から言い聞かされてきたまさその主婦に、なっている。今で言うバリバリの(そして同時にボロボロの)ワーキングマザーだった母が主婦を忌み嫌ったのは、「呑気で世間知らず」に見えた主婦の義母と、寿退社して主婦になった妹との複雑な人間関係があり、更にその背景には、母を含めた彼女たち三人を翻弄した家父長制への抵抗があるのだと思う。

だから、今でもなんとなく「主婦でいるのは良くないこと」という意識がある。わたしが「また仕事をしたい」と言う時、そこには「はやく主婦ではない存在になりたい」という気持ちも含まれている。ひょっとすると心の奥底には偏見もあるのではないかと思う。リサイクルショップに物を売る時、職業欄に「主婦」ではなく「フリー」などと書いてしまうのだから。
(ちなみに、丸をつけるタイプのものではすんなり「主婦」に丸をしている。」)

一方で、育児、夫の多忙、移住者で近くに親族がいないことなどを鑑みると、このまましばらく主婦でいることが我が家にとって「便利」だということもまた事実なため、価値観の振り子は常に大きく揺れている。

ところで、主婦にならない理由や、主婦からはやく抜け出したい理由として「家事があまり得意じゃないから」という言い方を見かけることがある。わたしも以前そう言っていた時期があった。料理や洗濯物干しは大好きなのだが、皿洗いや掃除はあまり好きではなく、よって得意でもないからだ。わたしは主婦に向いていないんだなあ…そうつぶやいたら、ある知人から「わたしは主婦だけど家事は得意じゃないよ」と言われ、はっとしたのだった。

「家事が得意じゃない、よって主婦には向いていない」という言い方は「主婦は家事が得意で上手なもの、主婦は家事を一手に引き受けるもの」という前提がなければ成立しない。

しかし考えてみれば、家事とは主婦だろうが主婦じゃなかろうが、会社員だろうが無職だろうが、心地よく暮らしてゆくためには、大なり小なりみんながしているはずのものである。なおかつ、得意不得意、上手下手、好き嫌いの別は全員に存在する。

主婦に向いている人、いない人、というのは本来存在せず、そもそも向き不向きによって主婦になる訳ではないはずだ。仮に「家事に向いているから主婦になれ」とか「向いていないから仕事をせよ」とか言われるとしたら、おかしな話なのだし。そこにあるのは、なぜその生き方を選びとったのか(もしくは、選びとらなければならなかったのか)という理由や選択の違いなのではないだろうか。

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