≪波のした、土のうえ≫論

On “Under the Wave, on the Ground”

1.理解することは猥褻か

小森はるかと瀬尾夏美による映像作品≪波のした、土のうえ≫を論じるにあたり(註1)、まず始めに確認しなければならないのは、小森と瀬尾、そして各映像作品に登場する人物たちによる三者共同という制作スタイルの妥当性についてです。≪波のした、土のうえ≫は3つの映像作品によって構成されていますが(註2)、そこでは作品に登場する人物から聞き取った言葉を、瀬尾が一人称の文章にまとめ直し、それをもう一度、本人に語り直してもらい、そこに小森が映像をつけるといった制作スタイルがとられています。

この方法の最大の利点は、証言者の声をナレーションとして導入することで、作品に「叙述性」が得られることです。一般的にドキュメンタリー作品の分かりにくさ、あるいは見づらさというのは、フィクション(物語)のような完結した終わり方がない点にあります。フィクションでは結末が全体を支配していますので、結末に至るまでのエピソードには必然的な意味があります。始まりの時点ではどういう意味を持つエピソードであるのかが分からなくても、結末に至ることで、それが必要不可欠な出来事であったことが分かるのが物語です。しかしドキュメンタリーには、フィクションのような「終わり」方がありません。それは単に終わってしまうのです。完結することなく終わってしまうので、そこで証言されたエピソードが、何を何処に導くためのエピソードであったのか、そもそも必要なエピソードであったのかさえも分かりません。なぜ分からないのかというと、そこで語られるエピソードは結末の至るために語られているものでないからです。それは始めから断片的なのです。

小森と瀬尾の作品にも完結した終わりはありません。しかし証言者自身によるナレーションという方法が選択されることで、作品に物語的な筋道が与えられている印象を受けます。もっとも、それはあくまでも物語的な筋道があるように見えるという程度のものであって、「物語」そのものになっているという意味ではありません。ナレーションの効果によって「叙述性」があるように感じますが、そこにあるのは完結した終わりに向かって進行していく語りではありません。むしろ登場人物たちが語るエピソードには脈絡はなく、時に同じことの繰り返しであるとさえいえます。しかし、それでもナレーションにある一定の効果があることは確かです。そこで問題となるのはナレーションを導入することによって得られる「分かりやすさ」「見やすさ」は、「理解することの企て」にあたるのかということです。

「理解することの企ての猥褻さ」という問題を提起したのは、フランスの映画監督であるクロード・ランズマンです(註3)。ランズマンは、11年の歳月をかけてユダヤ人のホロコーストにかかわった人たちの証言を集め、それを1985年に映画『ショア―』として発表した監督として有名ですが、彼は「理解するという試み自体の中に、究極の猥褻さが潜んでいる」と(註4)、当事者以外の音声で解説をつけて、作品に安易な理解を持ち込むことを厳しく批判することでも知られています。ランズマンが「猥褻」という言葉を使う時に念頭に置いているのは「ホロコースト」という理解不可能な出来事ですが、これを「震災」に置き換えてみたら、どうなるでしょうか。

もし、仮に「震災」という理解不可能な出来事を理解することは、「猥褻である」ということが出来るとしたら。小森と瀬尾によるナレーションの導入という方法は、「猥褻」な企てにあたるのでしょうか。

この問いに私は、小森と瀬尾の試みは「理解することの企て」には当たらないと答えたいと思います。理由は、瀬尾の手が加わっているとはいえ、作品に加えられる音声(ナレーション)は証言者自身の声であることと(一部の作品では瀬尾がナレーションを担当しているが、これについては後で述べる)、何よりも、このナレーションという方法が成立するには、二人が確かな聞き手であることが前提とされているからです。ここで語るべき言葉を持っているのは彼女たちではありません。証言者たちです。私たちに出来ることは、証言者たちの声に耳を傾けることです。

2. ≪置き忘れた声を聞きにいく≫

では、具体的に作品を見ていきましょう。≪置き忘れた声を聞きにいく≫では、冒頭に更地となった陸地の奥にある海が映し出されています。それは震災前には見ることが出来なかった「青い海」です。そこからカメラは対岸の山から削られて運ばれてくる嵩上げ工事のための土を映し出します。運ばれてきた土を吐き出すベルトコンベヤーの姿は、私に、フランシス・ベーコンが描いた不気味な絵画(≪ある磔刑の足下にいる人物たちのための3つの習作≫)を思い起こさせますが、冒頭の1分弱のシーンから分かるのは、作品のエスタブリッシング・ショットが陸地に設定されているということです。≪波のした、土のうえ≫は、「津波のあと」を記録した作品ですが、時に海の存在を忘れてしまうほど、海を映した場面がありません。3部作全体で見ても海が映し出されているシーンは数カットだけですので、≪置き忘れた声を聞きにいく≫の冒頭は、3作品全体を規定する設定ショットであるということもできます。

冒頭のショットのあとに、女性の声で、「私の生まれた場所」というナレーションが入ります。さらに「草原、土埃、遠くに海が見える。見えなかったはずの青い海」「アスファルトが剥がされて一面の砂地、所々に青い草が伸びている」と、女性は自分が生まれた場所の現在の様子を言葉で描写してみせます。その言葉は、映像が示す風景と一致しています。しかし、女性が「そこね」という指示表示を口にした瞬間から、「言葉」と、「映像」の間にズレが生じ出します。女性が「そこね」という言葉のあとに、指し示す「市役所、市民会館、図書館」「タバコ屋、クリーニング屋、定食屋さん」を、私たちは映像で確認することが出来ません。そこで映像が示しているのは、津波によって「何もなくなってしまった町」です。そこに指示対象となる町並みはもうありません。もちろん、そこに「ない」ことは女性も承知しています。「ない」ことを承知しているからこそ、失ったものに気が付くたびに、女性は時系列を失っていくのです。なぜなら、そこに「あった」ことを証言するのは、最早、言葉しかないからです。

たとえば女性が嵩上げされた土の山を指して、「ここが、私の実家なの」(My parent’s house)という時の衝撃[図1]。この衝撃をどう説明すればよいのでしょう。私たちに与えられる映像には、「嵩上げされた土の山」しかありません。しかし女性にとっては、そこが間違いなく「私の実家」なのです。言葉によってのみ再現される女性の思い出を、私たちは知ることが出来ません。私たちに出来るのは、ただ女性(証言者)の声に耳を傾けることだけです。

図1 ≪波のした、土のうえ≫≪置き忘れた声を聞きにいく≫(2012-2014年、23分)

女性が語る思い出のエピソードには次のような特徴があります。それは明確な「終わり」がないということです。たとえば女性が幼少の頃に偶然出会った高校生のお姉さんの話では、やがて自分もお姉さんと同じ高校に通い、娘もその高校に通ったが、その校舎は「もうそこにはない」ことが明かされます。「もうそこにはない」という言葉が前提としているのは、もちろん「震災」のことです。震災という原因があるから、「ない」という結果があるのです。しかし、ここではそうした因果関係を受け入れることが拒否されています。

なぜ拒否されているのかというと、「もうそこにはない」という結末は、それ以前に語られたエピソードに何の意味も与えることが出来ない「終わり」かただからです。それは突然の終わりでしかありません。突然の終わりは、それ以前の出来事に、どんな意味があったのかを教えてくれません。

ここでは「高校生のお姉さん」の話以外にも、沢山のエピソード(思い出)が語られます。それらのエピソードは、どれも興味深いものです。しかし、そこで語られるエピソード同士には何の関連性もありません。なぜ関連性がないのかというと、「高校生のお姉さんの話」に意味(因果関係)を与える結末がなかったように、この作品自体にも意味を与える結末がないからです。

たとえば、この作品は「風景は日々、変わる。それでも私はここに、」という言葉で終わりますが、「それでも私はここに、」という途切れた言葉は、「終わり」を見付けることが出来ない女性の姿を想起させる言葉です。おそらく「それでも私はここに、」の後に続く言葉は、作品タイトルの「置き忘れた声を聞きにいく」であろうと思うのですが、仮に「それもでも私はここに置き忘れた声を聞きにいく」が正しい解釈だとしたら、それは「終わる」ことの先送りでしかありません。

女性は「終わり」を見付けることが出来ずにいます。しかし、どんなに「終わる」ことを拒否したとしても、それは確実にやってきます。失われた時を求めても、過去に戻ることが出来ないように、女性が「置き忘れた声を聞きにいく」ことを望んでも、やがてその望みは叶わなくなります。時間の壁を越えられないように、やがて空間の壁も越えられなくなるのですが、女性がやがてそこに行けなくなることはラストに映し出されるフェンス越しの風景が暗示しています。

3. ≪まぶしさに目の慣れたころ≫

≪まぶしさに目の慣れたころ≫は二種類の映像から構成されています。一つは、ただひたすら「現在」を映すカメラの映像。もう一つは、デジカメのSDカードに残された「過去」の映像です。一方には柵の向こう側で今現在消されていく町の姿が、もう一方には津波で消される前の町の姿があります。そこに映されている二つの映像は、男性が「私が暮らした場所」と呼ぶ場所です。しかし、そのどちらにも男の居場所はありません。

「私が暮らした場所」に男の居場所がないのは、男が既に別の部落に引っ越しているからではありません。男が「本当は、ここに戻りたい」と望む場が柵の向こう側にあるからです。柵の向こう側を支配しているのは、町の痕跡を消していく、直線的な時間です。そこには柵のこちら側にある、里山の円環した時間はありません。直線的な時間は「津波」のように押し寄せ、「私が暮らした場所」を呑みこんで、男から奪っていきます。ベルトコンベヤーから吐き出される土は、砂時計の砂のように堆積していき、町の姿を変容させていきますが、「時」を砂時計のように引っくり返すことは出来ません。

過去は戻りません。パソコンをクリックすれば、簡単に過去の映像が現れますが、男がどんなに「この中に戻りたい」と思っても、そこに戻ることは出来ないのです。男は「過去」からも「現在」からも締め出されていきます。そして次第に自分の戻りたい場所が何処にあるのかさえ分からなくなります。それは今、目の前で消えていく風景の中にあるのか、それとも居なくなった仲間たちがいる過去の映像の中にあるのか、男には分かりません。そして男は自問します。「私は一体、何処へ戻りたいと思っているのだろう?」と。しかし男に確認出来るのは、「それでも、ここはずっと私の特別な場所」だということだけです。

男の手元に残されたSDカードは、≪置き忘れた声を聞きにいく≫の中で女性が段ボール箱の中に仕舞った両親の遺品(衣服)と同じく、過去を記録した「記憶の箱」といえます。しかし、それが土地に固着した記憶の代わりとなることはありません。「記憶の箱」は男に過去を語らせます。しかし語るべき未来は見当たりません。それを手にしていても、自分は「何処に戻りたい」のか、自分の「戻りたい場所が何処にあるのか」という問いは未解決な問題として残されます。

4. ≪花を手渡し明日も集う≫

≪花を手渡し明日も集う≫の特徴は他の2作品と違い、作品に登場する人物ではなく、作り手である瀬尾の声でナレーションが吹き込まれていることです。そのため、この作品は第三者性が強い作品となっています。瀬尾によるナレーションには、外部から見た人間の言葉として語られる言葉と、作品に登場する人物の言葉を代読している言葉の2つがあります。

これまで論じてきた作品では「現在」を映す映像と、「過去」を語る言葉の間にズレがありましたが、外部にいる人間の視点から語られる言葉には、語ることが可能な「過去」がありませんので、映像と言葉の不一致がない分、作品としては一番見やすいものになっているといえます。ただ、ここで問題となるのは、当事者以外のナレーションという方法は、ランズマンが言うところの「猥褻な企て」なのではないのかということです。

当事者以外の声によるナレーションの効果という意味では、この方法は「理解することの企て」ということが出来ます。実際、この作品は3作品の中で一番、物語的な要素が強いといえます。しかし、この作品が理解可能な物語として制作されているのかは疑問です。なぜ疑問なのかというと、ここにあるのは「過去」ではなく、「現在」を語る言葉だからです。

なぜ言葉が語るのが「過去」ではなく、「現在」なのかというと、遅参者として、破局の現場にあとから足を踏み入れた者に「過去」は語れないからです。ここでは自分の知り得ない「過去」は語られません。映像がただひたすら「現在」を映すように、言葉はただひたすら「現在」を語っていきます。そうした意味でいうと、ここにあるのは「理解することの企て」でなく、「理解出来ないことの確認」であるといえます。

「理解出来ないことの確認」から作品が制作されていくのは、遅参者として、この町にやって来た、小森と瀬尾には、「その時に何が起きたのか」、或は「それ以前の世界がどうであったか」を語ることが出来ないからです。しかし、彼女たちには「現在」を語ることが出来ます。二人は遅参者であるかも知れませんが、今現在、失われていく町の姿を目撃している「目撃者」でもあるのです。

では、そこで何が目撃され、何が記録されているのでしょうか。ここでは津波で平らになった土地に花畑を作る「おばちゃんたち」の姿が記録されています。灰色の町に色を与える花畑は、亡くなった方たちのための花畑です。この花畑には「ボランティアの学生」や、「通りすがりの不思議な人」など、沢山の人たちが集います。「おばちゃんたち」はそこを「富良野のみたいな花畑にしたい」と考えます。しかし、そこはもともと住宅地であったために花を育てるのに適した土がありません。そこに、ある内陸の人が土を運んできます。ちょうど柵の向こうで山から削られた土が運ばれてくるように、柵のこちら側にも、「新しい土」が運ばれてくるのです。

一つの町に二つの土が運ばれてきます。一方は死者のための土で、もう一方は生きている者のための土です。どちらも新しく運ばれてきた土です。しかしそこで花を咲かせることが出来るのはどちらの土でしょうか。先に花を咲かせたのは死者のために運ばれてきた土です。果たして、墳墓にしか見えない嵩上げされた高台の土に花が咲く日は来るでしょうか。それは誰にも分かりません。明らかなのは、柵の向こう側から押し寄せてくる「復興工事」という不確定な未来が、花畑を呑みこんで行くということだけです。

「おばちゃんたち」は、「この花畑には必ず終わりが来るって、分かっている」と、花畑の「終わり」を、たとえ不本意であろうと「復興の邪魔はしない考え」から了承しています。ここで花畑の終わりが了承されるのは、それが「震災」という理解不可能な出来事の結果としてではなく、「復興」の過程として了承されているからです。しかし「復興」という未来が、何処に行きつくのか、どんな結果をもたらすのかは、誰にも分かりません。それはまだ過程の話でしかないのです。

たとえば「おばちゃんたち」は、「私自身は、もう津波の来たここには住みたくないの」「だから、ここが新しく出来ても、私たちはもう、ここには暮さないと思う」と、「復興」が示す未来に対して、「別離」、或は「離散」という答えを用意しています。

花畑の終わりには、別離が潜んでいます。たとえばこの作品は、花畑に最後のボランティアに訪れた大学生たちと、花畑の「おばちゃんたち」とのお別れのシーンで終わりますが、バスに乗ってこの町を後にする学生たちの姿は、やがてこの場所を離れるであろう「おばちゃんたち」の姿でもあるし、「出立」という意味でいえば、そこに小森や瀬尾の姿を重ねることも出来ます。花畑の花が枝分され、ここではない別の場所に行くように、ここに集った人たちも、やがてそれぞれの場所に旅立って行きます。

花畑から去って行く人たちを送り出す映像に、瀬尾は「数日後、数か月後、数年後」「この花畑に集った人たちは、どこに居るだろう。それぞれの顔を思い浮かべる」「分からないことが多い、見えないものも多い、けれど、またきっと集える。そう思う」と、希望的な言葉を与えます(註5)。しかし、このシーンの前に収録されている「東京の避難所で亡くなられたおばあさん」の話では、叶わない再会もあることが明かされています。

そこで明かされているのは、東京の避難所で亡くなられたおばあさんの葬儀が行われると聞いた「おばちゃんたち」は、それならここを通るかも知れないと、花畑があった場所に花を飾っておばあさんのための祭壇を作ります。しかし、おばあさんを乗せた車がそこを通ることはなかった、というエピソードです。このエピソードは、実際の時間軸でいうと、「ボランティアの学生たちとの別れ」の後の出来事になります。しかし、ここでは出来事の前後関係が入れ替わっています。そのことによって作品の印象は大きく変わっていると思います。しかし、ここで重要なのは前後関係を入れ替えることで、作品に希望的観測が持ち込まれているということではなく、「またきっと集える。そう思う」という言葉に、「別離」と「離散」という事実が前提とされていることです。

重要なのは、「集う」という希望が叶わなかったということではありません。これだけローカル性を前提とした作品であるにも関わらず、そこに「ディアスポラ(追放/離散)」の要素が潜んでいるということが重要なのです。この作品の衝撃は、「ディアスポラ」という事実があることを示していることです。この事実は「震災後の表現」を考えたときに、大きな意味を持ちます。なぜなら震災後の世界で美術の「あるべき場所」を問うなら、それは「ディアスポラ」を前提としたものにならざるを得ないからです。このことを私たちは福島の原発事故から学んで知っているはずです。今や「花畑の終わり」は何処の町でも起こり得ることなのです。

5.≪波のした、土のうえ≫

最後に≪波のした、土のうえ≫の衝撃について書きたいと思います。小森はるかと瀬尾夏美による映像作品≪波のした、土のうえ≫は、映像と言葉によって構成されています。「現在」を映し出す映像と、過去を言葉で再現する証言者の声の組み合わせの方法の是非は、既に本文中に書いたので、ここでは繰り返しませんが、そこには作品を見るものに驚きを与える効果があります。驚きといっても、ここにはテレビやネットに氾濫しているようなスペクタクルな映像はありません(註6)。しかし、ここに記録された映像には私たちの社会が無意識に抑圧しているものが映し出されています。

たとえば「嵩上げ工事」の映像です[図2]。ここには津波によって破壊された街が、復興という名の下で行われる嵩上げ工事によって跡形も無く消されていく様子が記録されています。それは第二の「津波」のように町を呑み込んでいきます。しかし、人々はそのことに気が付きません。なぜ気が付かないのかというと、「忘却」とは覚えたことを忘れることではなく、記憶出来なかったことを意味するからです(註7)。つまり精神病理学の用語でいうところの「トラウマ」です。

図2 ≪波のした、土のうえ≫≪置き忘れた声を聞きにいく≫(2012-2014年、23分)

トラウマとはキャシー・カルースの言葉を借りれば、「ある体験が忘れられた後になっても繰り返されることにあるのではなく、体験しているその最中から忘却という事態が終始つきまとっている」(註8)ことです。つまり嵩上げ工事とは、フロイトがいうところの「反復強迫」によって繰り返される「津波」なのではないのかということです(註9)。

もっとも「反復強迫」といっても、この町(陸前高田)の人たちの集団的トラウマによって嵩上げ工事が行われていると言いたいわけではありません。この町の人たちの意思を超えたもっと大きな集団、日本という国の集団的トラウマとして嵩上げ工事は行われているのではないのかと疑うのです。

日本という国の集団的トラウマとして忘却、抑圧されたものとして「嵩上げ工事」があるとしたら、そこで隠蔽、抑圧されようとしているものは何でしょう。嵩上げ工事で造成された高台が墳墓に見えるのは偶然ではないのです。そこには集団的トラウマとして埋葬されている何かがあるのです。それが何であるのかは分かりません。しかし小森と瀬尾の作品の中から、私たちにはそこで何かが行われていることを気付くことが出来ます。

そこには、これだけの出来事が起きているのに人々に知られていないという衝撃があります。しかし小森と瀬尾の作品には表立った批判は見られません。彼女たちは、あくまでもそこに生きる人たちの「現在」を記録することに徹しています。そこには、これまで語られずにいた言葉があります。私たちはその言葉に耳を傾けまければなりません。なぜなら埋葬された記憶を発掘することが、私たちに残された唯一の抵抗だからです。

※この文章は『引込線2015』のカタログに掲載された記事を訂正・加筆したものです。

1. ≪波のした、土のうえ≫(テキスト:瀬尾夏美、撮影・編集:小森はるか、2012年-2014年)。小森はるかと瀬尾夏美による≪波のした、土のうえ≫は映像、写真、ドローイング、テキストから構成された作品・展覧会であるが、ここでは映像作品のみを取り上げて論じている。作品が出品された主な展覧会として、せんだいメディアテークで開催された「記録と想起」展(2014年11月15日~2015年1月12日)、「レコーディング イン プログレス3がつ11にちをわすれないためにセンター活動報告展」(せんだいメディアテーク、2015年2月20日~3月18日)などがある。また巡回展「波のした、土のうえ」が各地(陸前高田、盛岡、仙台、福島、東京、神戸、尼崎)で開催されている。
2. ≪波のした、土のうえ≫は3つの映像作品から構成されている。それぞれの作品のタイトルは次の通り。≪置き忘れた声を聞きにいく≫(23分)/≪まぶしさに目の慣れたころ≫(17分)/≪花を手渡し明日も集う≫(28分)
3. 「理解することの猥褻さ」は、1990年の4月に「ウエスト・ニューイングランド精神分析研究所」に招かれたクロード・ランズマンが提起した問題である。
4. クロード・ランズマン「理解することの猥褻さ」高橋明史訳、キャシー・カルース編『トラウマへの探求 証言の不可能性と可能性』下河辺美知子監訳、作品社、2000年、304頁)
5. この箇所は「記録と想起」展の前と後では違う。本文中では変更後のものを採用した。変更前の「記録と想起」展時点でのナレーションは次の通り。「数日後、数か月後、数年後」「この花畑に集った人たちは、どこに居るだろう。それぞれの顔を思い浮かべる」「分からないことが多い、見えないものも多い、けれど、またきっと集える。そう思う」
6. ミカエル・フェリエは、「テレビは延えんと繰り返し放送する。どのチャンネルでも同じ映像が流れている。映像は際限なく増殖し、災害に災害を加え、恐ろしい濁流を作る。視聴者は、繰り返し襲ってくるいつも同じ映像の濁流を前に身動きさえできず、濁流は視聴者を呑みこむ。メディアの津波だ。催眠術のように、いっさい説明なく、本物の津波と同じように僕たちを打ち沈め、呑みこむ」と書き記している。ミカエル・フェリエ『フクシマ・ノート 忘れない、災禍の物語』(義江真木子訳、新評論、2013年、39頁)。
7. 下河辺美知子は、「「忘却」とは、覚えたことを忘れることではない。記憶になりそこねたものの残骸が、心の隅に積み上げられていく事態が「忘却」と呼ばれてきたものである」と述べている。下河辺美知子『トラウマの声を聞く 共同体の記憶と歴史の未来』(みすず書房、2006年、21頁)。
8. キャシー・カルース『トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事』(みすず書房、2005年、26頁)
9. フロイトは「快原理の彼岸」の中で、「反復強迫は、精神分析の際には、忘却され抑圧されたものを呼び出したいという「暗示」によって促進される欲動に支えられている」と述べている。S・フロイト「快原理の彼岸」須藤訓任訳、『フロイト全集17』須藤訓任・藤野寛訳、岩波書店、2006年、85頁)