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わかる人がいなくなったのではなく、自然のなりゆき

何かの手仕事系職人がいなくなったり、それによって職人技術が失伝し無くなるのは、新しいより良いものが出来て古いものを使う人がいなくったとか、その固有のセンスが現代ではダサくなってしまったとか、そういう社会的な事情によって起こることなので、単純に需要が無くなったからその文化が無くなった、ということ以上の事実はありません。仕方の無いことです。

(他民族の侵略により、徹底的に侵略された側の文化が破壊されたなどの事情は別)

需要というのは、手による実用だけでなく、感覚的な需要も含まれます。どんなに実用的に使いにくいものでも、それを使う感覚的な部分が、時代が変わっても人々に望まれ続けるものであればそれは需要が途切れないということです。

手の実用上、社会的に寿命を迎えても、感覚的な部分で根強い支持があれば、それは規模を小さくしながらでも生き続けることになりますが、手の実用、感覚の実用とどちらも需要が無くなれば、博物的な価値以外は無くなり、それは社会から消えることになります。

いろいろな工業技術、通信技術でもその技術的寿命を迎えれば消えていくのと同じことです。しかし、何故か手仕事系職人技術は守られなければならないという思い込みがあるような気がします。しかし、実際には「どちらも人間が産み出した社会に有用なもの」ということにおいて同列なのです。

手仕事職人も、工業技術でも、社会と経済で結びついているのですから、需要がなくなれば消えるのが自然なのです。

なのに、手仕事職人は特別な文化的価値があるから優遇されなければならない、という職人自身の思い込みや甘えがあるような気がします。

職人というもの自体が、時代によって変わります。

現代は、デジタル系の職人がいるように、変化していくわけです。

繰り返しになりますが、

今、消える手仕事系職人技術があるとしても、それは他にもっと良いものが出来て、そちらが支持されたから消えたのではないでしょうか?また、職人技術が消えるのは良くないと思っている人でも、その職人が産み出す古いものよりも、新しい便利なモノや技術の方をより愛用しているのではないでしょうか?

強く言いたいのは、例えば日本の何かしらの職人技術が無くなっても、それを維持せず滅ぼした日本国民が悪いのではなく、単にその技術とセンスが寿命だったという事です。

また、その当事者としての職人たちが、それを更新する力が無かっただけの話です。それはようするに職人自身が、実はそれを更新する必然を感じていなかったから、他人事と考えていて、誰かがなんとかしてくれるだろう、と思っている間に業界そのものが消えてしまったわけです。(なんとかしなければ、と思って行動する人はいてもその数が少なかった)

今、便利に使われているもの、人々に興味を持たれているいろいろなモノは、時代や環境の変化に沿って、機能や素材を使い勝手よく改良されて来た結果です。

生活者はあたり前にその時代時代で日々を心地よく過ごすために、現実的に自分にとって良いものをチョイスします。それは当たり前の事です。

生産者だけでなく、使用者・生活者もまた洗練されて行きます。

どうも老害的精神や感性は、なんでも新しいものはダメだ、なっちょらん的な方向に話を持って行きますが、実際にはちょっと前よりも今現在の方がずっと洗練されていたり、改善されていることが多いものです。

テレビなど観ていて、自分が子供〜青年期の昭和の時代の画像などが出てくると、あの時代に戻りたくないと思います。

私は東京の下町で産まれ育ちましたが、昭和の時代は、街や家は、タバコの煙とゴミと汲み取り便所とU地溝のドブのニオイ、様々な生活臭に満ち、道はタバコの吸い殻やゴミに溢れ、河川も垂れ流しの工業排水や生活排水で汚れ、不法投棄のゴミに溢れていました。

医療やいろいろな通信もその当時から比べると格段に精度高く、簡単になり、便利になりました。

会社などでも、昔のパワハラやモラハラやセクハラやアルハラ、その他ヒドイものでした。現代はそういうことは減る傾向にあると思います。

今も変わらないところは変わりませんが、全体を観れば以前よりはずいぶんマシになりました。

私自身は、手仕事職人系の仕事をしていますから、正に淘汰の激流のなかにいます。

しかし、それは手仕事系に特有な話ではなく、どの分野であっても、誰しも、その淘汰の激流から逃れられないのです。

自分が関わることだけが特別なのではありません。

手仕事や伝統的なものに関わる当事者たちで、それらに特別な価値があるとする人たちは「一般の社会の仕事人が当たり前にやっていること」をやることなく、ふんぞり返ってそう主張している気がします。

そういう姿勢だから、淘汰が早く進んでしまったところもあるのではないかと私は思います。

そういう面も含めて「文化や技術には寿命がある」と思うのです。


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