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文化が広がり根付くには

クラフトビールが最近盛り上がっておりますが、

世界中にクラフトビールファンが増え、世界中に新しい価値観の醸造家が増え、醸造家はビールで自分のやりたいことを自由に表現し、世界中のクラフトビールファンはそのビールを品評し、評価し、受け入れ、時に批判する、その循環により、レベルが上がり、経済規模も拡張します。

そして良い仕事をし、美味しく創作性に溢れたビールをつくる醸造家はキチンと創作者としての尊敬を受けられ、経済的にも成功者になれます。

私はクラフトビール業界の内情を詳しくは知りませんが、大枠で観ると、そんな状況に観えます。

最近観たテレビで知ったのですが、日本酒も、海外で醸造する人が出始めているそうです。

海外で、その地の米を使い、その地特有の副材料を使い、その地の気候で、その地の価値観に根ざした「その地域の日本酒」をつくる。そしてその解釈の新しさを喜ぶ。

まだ規模は小さくとも【「日本酒文化」は世界的な公共文化になった】わけです。少なくとも、その萌芽は発生したのです。

まだ日本酒は、クラフトビールや、ナチュラル系のワインの規模には遠く及ばないと思いますが、これはスゴイことだなあ、と嬉しくなりました。

海外では、日本では環境的に作るのがむづかしいタイプの風味を簡単に出せる場合もあるらしく、そういう変わった風味をメインに出して来たり、その地域の特性や好みに応じて、今までの「日本の日本酒の」価値観から外れた風味のものを、どんどん出して来ているそうです。

日本国内醸造の日本酒も、最近は新しい試みかつ、高品質の日本酒がどんどん出て来ています。そういう海外からの刺激もあるのだろうな、と想像します。焼酎もいろいろな試みをしていて、そのレベルも高いです。

最近は、日本酒蔵が焼酎を醸造したり、焼酎蔵が日本酒を醸造したりで、これも面白いです。微妙に価値観が違い、風味が違います。根本的な方向性が違うと日本人が作っても微妙に違っていて面白いです。

ウイスキーのスコッチなども、ここのところ日本製のものが国際的に高評価を得ていますよね。しかも、ちゃんと日本らしい文脈の味わいがキチンと海外に理解されて、評価を受けている。しかもとてつもなく高額なプレミアものが、あっという間に完売になります。

そんな動きを観ていると、いろいろな文化の定着は、こんな風に起こるのかなあ、と思います。

最初は、他所の文化から産まれた魅力的なものを、他文化の人たちがそのまま使い、愛でます。それが段々深化、進化し、それぞれの地域に合うような使い方や解釈を産み出すようになります。オリジナルの価値観から良くも悪くもはみ出します。

それがその当地に定着し、需要が増えると、それぞれの地でその地域に向くように【自分たちで生産する】ようになり「元の文化を基底にした新しい文化」が産まれ、その文化がその地域に定着する・・・ように思います。

そして、その「新しいもの」の刺激で「元になった文化」に新風が吹き込むこともあり、文化の循環が起こるわけです。

だから、私が主に経済活動をしている和装業界で言えば、

「和装を世界へ!」という目的があるのなら、日本で作られた和装品をいろいろな国、文化の人が着用してくれた、というだけではダメだと思うのです。

わたくし個人的には

【世界中のアーティストやメーカーが、それぞれの価値観で和装を制作・製造する時代が来れば、和装が世界的になる可能性がある】

と思っています。

日本のファッション企業が、有名外国ファッションデザイナーに和装品をデザインしてもらうことや、外国のテキスタイルを使って和装品を製造する、という意味ではありません。

外国・他文化の人々が自ら望んで和装を制作するようにならなければ和装は外国・他文化に根を生やすレベルでは広がらないし、定着することはない、という意味です。

海外の日本文化愛好家、あるいはエスニックなものを欲しがる人が、日本で制作されたキモノや、キモノっぽいドレスを着るというのは「極一部の愛好家の出来事」だと思います。

それと、古着などは価格的にお手頃なものが多いので良く使われますが、古着の場合はどんなに売れても着用する人が増えても「現代、和装品を制作している人たちには経済的に何も関わりが無い」のです。。古着の和装が売れても、和装文化全体が拡張することはありがたいのですが「和装制作」の伝統は守れないのです。(販売や仕立の人は別ですが)

もし、世界のいろいろな地域の人の多くが「キモノって面白くね?」となり、さらに「キモノはおもしれーから、自分でつくって売ろう」となり、その作品を面白がり、購入する人が出来、それがある程度の数に達したなら、そこには経済的な価値が産まれます。そうなるとその文化は広がり、定着する可能性が出て来ます。

そういう状況になって初めて「キモノを世界に!」という合言葉に具体性が産まれる気がします。

現状の、日本国内の和装の販売価格の高さ、売られる場所による販売価格の大幅な違い、着物や帯に仕立て上がるまでの煩雑さ、着付けの煩雑さなどが「制作者が世界中に産まれることによって」改善される可能性だって出てくるでしょう。

外国・他文化の人々は、和装のルールを自国文化に適するように変化させるでしょうから、それが世界のスタンダードになれば、日本の固定化した和装のルールを変えざるを得なくなる、という流れも出てくる可能性もあります。本家が、他からの影響で変わる、ということは良くあることです。

高度な和装の技術や創作性を、ただ眺めてもらい、褒めてもらうのは、それほどむづかしいことはありません。それは既に出来ているのです。(ただし、最近の海外の日本好きの人たちは、ダサいキモノには厳しいですよ)しかし、それだけでは「へー・・キモノはきれいだね。」で終わってしまうんですね。

それだと「海外の人たちが既に知っている日本のイメージ=キモノ=褒める」だけなのです。

それは、ただ日本の伝統文化と、現代の海外の人たちとの「距離のあるやりとり」に過ぎず、和装は今生きている海外の人たちと同じフィールドで文化的・経済的に殆ど関われないわけです。極一部の日本文化愛好家単体の話だけで終わってしまうのです。現状、日本国内ですらそうなのですから。

もし「キモノを世界に!」ということを本当の意味で現実化したいなら、キモノを外国人・他文化の人々に着てもらうところから、さらに数歩進んで、色々な国や地域の人たちが和装に対して、文化的・経済的に価値があると認識し「彼ら自身の価値観で生産する」人々が増えて、初めて「海外での和装文化の定着の初期段階に入る」のではないかと思うのです。

ようするに

【和装を世界に広めるには、世界の人たちが、和装を彼ら自身の価値観によって、経済的成長を見込んで生産する状況を作ること】

海外の人々が、日本からの注文で、日本の価値観の和装を制作するのではなく、彼ら自身の価値観で、というのが重要です。

だから、そういう意味では「キモノを世界に!」というのは、まだ始まってもいないとも言えると個人的には考えています。

「和装が、表現媒体としても、商材としても有用であると世界の人たちに見なされること」

そこで初めて和装が世界の公共文化の一つになれるわけです。

日本国内でもかなり困難なことですが・・・

まだまだ道のりは長いです。

まだ萌芽もない・・・


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