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こちらが正しければ黙っていても理解されるということはありません

私は、こちらに対する「誹謗中傷やニセ情報を発信する発信源」を放っておいてはいけない、ということを、独立してから強く学びました。

謂れのない誹謗中傷やニセの情報にはキチンと対応し、こちらの言い分をいろいろなところで主張し続けないと、こちらを貶めたい人や、こちらを有利に利用したい人たちの嘘の方が既成事実化してしまうのですね。

当事者以外の他人にとっては(友人であっても仲の良い人であっても)こちらが謂れのない誹謗中傷を受けていても、所詮他人事で真剣には向き合ってもらえませんし、味方してとばっちりを受けるリスクは背負いたくないですし、時にそれはゴシップネタとして、楽しみの材料ですらありますから、本気でこちらと共にその誹謗中傷と戦ってくれる人は、ほぼいません。もちろん、ありがたい戦友が現れることもありますが。。。それは本当に稀です。

そんなヤツは放っておけ、社会はこちらがちゃんとしてれば、そのうち自分に味方してくれる、説明する方がむしろ怪しいと疑われる、なんてノンキなことを言う人は、当事者として、謂れのない誹謗中傷やニセ情報を流される事によって社会的信用や経営が危機に晒されたことが無い人です。

言いたい奴には言わせておけ、そのうちどちらが正しいかみんな分かるさ、なんていうのが通用するのは空想の世界にしか無いのです。

それと、こちらが謂れのない攻撃を受けて争い事になった時に

【こちらが全く悪くないのに“どっちもどっちだったんでしょ”という空気を醸成されてしまうこと】

これも大変危険なのです。

それは、謂れのない誹謗中傷やニセ情報を撒いた人が、自分に分が悪いとなると切り替える手でもあります。喧嘩両成敗に持っていけば、自分が嘘をついていたことがバレないので敗北にはならないからです。

そんな訳で「どっちもどっち論」も放置してたら、こちらを陥れるための間違った情報を社会に振りまかれ既成事実化されてしまうのです。

それも可能な限り阻止するべきなんですね。

基本的に、まず、人は他人の争い事には、ゴシップネタとしての興味を持つか、興味が無いかのどちらかです。ある程度関わりのある人であっても、どっちもどっち論で争い事から距離を持とうとするのは自然の反応なのです。上に書いたように、どちらかに味方をすると、その争い事に巻き込まれてしまうリスクが産まれますからね。

・・・そんな問題は何度も降りかかって来ました。ゲンナリです。

また、こちらはただの知り合い程度の人、たまにしか取引がない相手だったりするのに

「オレはあいつを食わしてやっているんだ、ウチが無名のあいつを育ててやった、オレはあいつの師匠で、あいつの弟子はオレの孫弟子だ、オレはあいつにいろいろ教えてやったんだ。。その他その他。。」

全然事実と違うことを周りに吹聴し、こちらの実績に「背乗り」して自分の立場を高く見せようとする人もいます。

そういう人にも、対処しなければなりません。

対処しないと、それが事実になってしまうのです。

そういう問題を起こすキミも悪い、という人もいますが、そういう問題は、ある程度社会的に目立つ活動すれば、こちらに問題が無くてもイヤでも起こってしまうのです。もし、そういう問題が全く起こらない人なら、その人は社会に対して全く刺激を与えられていないということでしょう。あるいは全く危険視されていない与し易いヤツ、と思われていることになります。

ちなみに、そのような問題が起こった場合、完全にこちらの言い分が通る、ということは絶対にありません。こちらが全く謂れのないことで絡まれても、です。

それは、謂れのない誹謗中傷やニセ情報を発信する人自身が、自分の嘘を事実だと自分の記憶を編集するからです。

人間の記憶は、強い意図や衝動があるとかなり上書き出来ますし、本当は自分は嘘を言っていると思っていても、そこに重い蓋をすることも可能です。それを繰り返せば、嘘をついているのに、自分は本当のことを主張している、と思い込めるものです。

嘘であっても嘘を言っている当人が本気でそれを信じ込んで主張すると、他人事と聴いている人にはそれなりに説得力を持ち、多少話の整合性に問題があっても、その勢いに押されて信用してしまうものです。最低でも「少しは相手にも問題があったからこうなったんだな」ぐらいには思ってもらえます。

ネット時代になって、誹謗中傷を受けやすくなると同時に、反論もしやすくなった、ということは、私にとっては助かる時代になりました。


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