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美味しいけども高級品になれないもの

先日ウチの娘が、妻がつくった前の日の野菜スープに、コーンが追加されたのを見て「コーンはとっても美味しいけど、料理そのものは安っぽくなるよねー」と生意気なことを言うので、母に怒られていました(笑)

しかし実際、キャベツ、玉ねぎ、コーン、じゃがいも。。その他、お惣菜で美味しい栄養価の高い食材は、いわゆる高級料理に取り入れる場合は相当に工夫したり、切れるセンスで攻めたり、コンセプトをしっかりしないと娘が言う通り「安っぽくなる」んですよね。伝統的に使われているものなら別ですが。

そのような、今までお惣菜の食材だったものに、新しい調理法や新しい提供法、新しいコースの構築によって「なるほど、この食材にはこんな面があったのか!」という新しい提案を出来れば別です。それは素晴らしいです。

基本的に「真正面からの体に良さそうな美味しさと、腹に感じる満足感を持つ食材は、安くはないお金を出して楽しむ”精神をアゲるための料理”にはなりにくい」んですよね。逆にその分野では扱いがむづかしい食材なわけです。

高級食材は「腹にあまり感じないけども感覚に嬉しいもの」か「体に悪いけども感覚に嬉しいもの」が多いですね。ようするに、不健康なものは美味いのだ!系ですね。

そういう事情のなか、お惣菜食材を、旬だからとか、美味しいからとかいう単純な理由で工夫なく高級料理店で出されると「この料理人はセンス無いなあ」と思ってしまいます。

「美味しさにも、いろいろな種類がある」

わけです。

これ大事。

逆に、日常の食事に、料理店のような凝った料理を出されたら、それがどんなに美味しくても心も体も疲れてしまいます。

お惣菜と高級料理とどちらがエライのか、ということを語っているのではありません。特質の違いのお話なのであります。

着物や工芸、美術、音楽などもそうですが、そのあたりを理解していないと高級品はつくれないわけですが、しかし最近は、どの分野でもうそういう感覚が失われて来ている感じがありますね。私のような老害ゆえの感覚なのかも知れませんが。。。

以前、高額な日本料理店で、〆の食事の留椀が、玉ねぎが具の普通の味噌汁、しかも、本当に家庭で出てくるようなグダグダな味噌汁が出てきたことがあって、心底びっくりしたことがあります。

そういうのは

「まだ舞台が終わっていないのに、客席のライトが突然点いてしまった感じ」

で、興ざめです。

そんなものを出されても、作り込まれた料理に疲れた感覚を癒やすことになりません。ただただ「はぁ?」という苛立ちだけを感じました。笑

「これはあえてやっているのか、この人の素のセンスなのか?」しかし、料理全体も、食材の使い方が所々「お惣菜的」だったので、この人は良いと思ってやっているんだろうなあと思いました。

逆に、いわゆる和食料理人の格好つけすぎた料理ばかりではなく、しっかり美味しい料理を出したいということで、部分的に精度の高い「ちょっとホッとする料理」を出すなら、良いのですけどね。

その場合は、本当に家で食べるようなものをそのまま出すのではなく、いろいろな調整が必要ですし「ああ、惣菜料理もこういう精度で作られると、こういうものになるのか!(かつ惣菜感は失わず)」という発見もありますし。

そういう料理人はかなりの手練で好きです。


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