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色気のあるモノにするには時間とお金がかかる

工業製品で色気のあるものにするには、大変なお金と時間と手間がかかりますし、細部は手作業でなければ出来ないことが増えることが多いように思います。

同じく手仕事で精密さがありながら柔らかさのある、色気のある仕上がりにするのは高度な技術と長年の経験と、さらにセンスが必要です。それは「制作への熱量」で決まると私は思っています。

手仕事のむづかしいところは、手仕事だから自動的に色気のある仕事にはならず、手仕事の精度が上がれば上がるほど、機械でやったように仕上がる傾向があるところです。

手仕事の多くは、機械でやってもほぼ同じことが出来る、場合によっては機械の方が上手く行くのが事実です。手仕事は魔法ではありません。

「手仕事でしか出来ないもので、精緻かつ色気のあるもの」というのは確かにあるのですが、制作への熱が起点に無いと、高度な手仕事も「手仕事の精度が上がったことにより、かえって機械製のような平板さに陥る危険」が常にあります。(機械製の平板さが魅力になる場合もあります)

手仕事でのモノづくりの行為自体が好きな人、その技術に自負のある人は、自分が今までやって来たことをそのままに「手クセ」「とりあえず手数勝負」「とにかく仕上げは美しく」というところに陥りがちで、それで楽屋受け的なものになり、一般社会に響かないことが良くあります。

なので「何を作りたいかハッキリと認識していなければならない」のです。それが色気のある仕事の基本のように思います。そうでないものは「技術は良いけど不思議と魅力が無い・・・」というものになり勝ちです。

しかし、なかなか何を作ったら良いか「具体的には」作り手は分からないものです。職人系だけでなく、いわゆる創作的と思われている作家でもバリエーション豊かに創作性のあるものを展開することはむづかしいものです。

意外に作り手は「どうやったらそれを作れるか?」ということには発想が湧くのですが「何か今までに無い新しいモノを作る」ということを発想するのは苦手な人が多いのです。

それこそ誰かが、むづかしいけどもやり甲斐のあるテーマを与えてくれて、それを実現する、という形式だと非常に力を発揮する傾向があるように思います。

「仕上がった製品と、それを使う人々と、それによる社会への影響」までは考えられないのですね。

人には得手不得手があります。作り手で、かつ発想が広く深く新しく、それを実現化までする人は殆どいません。作り手の多くは「何かを形にする範囲においての発想」に留まります。

なので「何をどのような目的で作るのか?」というテーマをつくり、それを進行させる役割の人が必要になることが多いです。

しかし、なかなか指導者はいないものです。。。真摯で優秀なプロデューサーさんはなかなかいませんから、大変です。エセプロデューサーは沢山いますが。。。助成金詐欺みたいな人は多いですしね。

話が少し流れましたが「新しい価値観のものを作る」というテーマを作り手に与えられたとして、それを色気のあるように仕上げるのは、上に書いたように諸事情あり大変です。

作り手自身に初動の「起点の熱」がなくても「その作り手に依頼する人の創作的起点の強い熱」がキチンとその作り手に伝播している場合は、その仕事の仕上がりには色気が出ます。

「色気」というものに公式はありません。しかし、そのあいまいだけども強い感覚に形を与えるには、作り手が「創作的起点の熱」を強烈に感じて、それを何が何でも捕まえ、形にする、という勢いが必要です。

それは、ただ技術があるだけでは実現しません。

しかし高度な技術無しでは出来ません。表現は人の技術の分しか出力されないからです。だからヘタウマ系でも魅力的な仕事をする人は「自分が他人に伝えたいものを伝えるのに適した技術は、必要な分持っている」わけです。

繰り返しますが「創作物として魅力的・色気のあるもの」は、技術だけではなく、創作的感覚やセンスが必要です。さらにそのもっと手前の段階の熱が必要です。

創作的感覚やその人独自のセンスは、元から素晴らしいものを持ち、かつ最初から開花している幸運な人もいますが、普通は学習と努力によって開花させます。

とても大切なことですが、創作的感覚やその人独自のセンスが優れたものであっても更新が必要です。それを進化・深化させ、寿命の長い強いものにするには不断の修養が必要です。

それには、時間、予算の余裕が必要です。

しかし、現代、それはなかなか得られないものです。


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