立場が変わっているのに変われない人
銀行系や中小企業経営のお話がとてもおもしろい池井戸潤さんの小説のなかで、こんな話があって、どの業界でもこういうことはあるんだなーと思ったのです。
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(正確な内容ではなく、こんな感じのお話、というものです)
ある、大銀行の融資部門の人が定年になった。
その人は、次の就職先が無く、定年とはいってもまだまだ働き続けなければならないわけだから、何か仕事をしようと探したけども、結局個人で「自分の経験を活かした経営コンサル業」をすることにした。
それなら、銀行時代の取引先も付き合ってくれるだろうし、彼らにいろいろアドバイスを出来るし、それなら商売になるだろう、と。
そして、名刺を刷り、銀行時代の取引先に行き「こういうことを始めたんだ。良かったら僕を使って」と、銀行時代のノリが残ったままの態度で営業をする。
何かの集まりの際には、そこに顔を出し、以前の大銀行の融資部所属のノリで会話をする、他人や会社の品評をする。(元いた大銀行の人たちも、他の会社の人たちも当然引く)
経営コンサル業を始めたと挨拶に行った際には、銀行時代の元取引先も「ああ、そうですか、何かあったらよろしくお願いします」なんて悪くない返事をするし、付き合いで一年ぐらいは使ってくれるところもあった。
しかし、しばらくすると元取引先の会社も”その新人コンサル”さんが疎ましいのを隠さなくなり、「もう来ないでくれ」と言われてしまう。
付き合いで契約してくれた会社からも契約更新は得られず、営業拡張も出来ず、経営コンサル業は立ち行かなくなり、廃業。
本人はなぜ、オレほどの金融マンがそんなことになったのか分からない。
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ホント、むづかしいですよね。
似たようなことは、どの業種でもあると思います。
こんなこともあります。
あるレストランの上客さんがいました。
そのお客さんは、飲食文化が大好きで、レストランとしても良いお客さんでした。自分は今いる輸入販売の会社の立場を活かして、輸入食材の会社を起こす、とおっしゃる。
創業するまで、その「元お客さん」はいろいろなレストランに相談をしましたが、レストランの人たちは、親切にいろいろなアドバイスをくれたり、協力者を紹介してくれたりしました。
しかし、そのお客さんは、キチンとした挨拶(直接対面の挨拶・書面での挨拶・自社サイトの構築と広報など)をせず、突然、自分はこういう会社を立ち上げました!と今まで使っていたSNS+新しくつくった会社用のSNSの宣伝ページ上で宣言するだけで仕事を始めました。
その「元お客さん」は、自分が、そのレストランと「飲食関係として同業」になったにも関わらず、そのレストランの人たちと「今まで通り、お客さんとしての態度で接しました」ちょっと上からの態度で、自分が何か特別待遇を受けるのは当然という態度で。
時に、自分が通っていた、いろいろなレストランの品評もお客さん目線で、いろいろな人に言いました。あそこの店は、オープンしたばかりの頃、誰もお客さんがいなくてね、僕が通ってやったから今があるんだ、みたいなことも言いました。
そういう点でも、全く「お客さんの態度のまま」だったのです。
また、自分が会社を立ち上げる際にいろいろお世話になった人たちのことにも触れませんでした。自分で全てを立ち上げたかのように振る舞いました。
レストランの人たちは、最初は協力的で、あれこれアドバイスしたり、知っていることを教えたりしていましたが、しばらくしたら、そういうことを止めてしまいました。
今まで通っていたレストラン関係の人たちは最初は付き合いで仕入れてくれましたが、その後続かず、新規も増えず、売上は芳しくなく、その「元お客さん」は会社を畳むことになりました。
しかし、その「元お客さん」は自分の仕事が立ち行かなくなった原因は分からないままでした。
畳んでから、今まで馴染みだったレストランに行くと、レストランの人たちは以前と違ってよそよそしい態度で、ちょっと不快を感じました。
それから、もう以前馴染みだったレストランへ行かなくなりました。
自分は、いろいろな人から妨害を受けたのではないか、今までお店に行ってお金をつかってあげたのに、そのレストランの人たちは自分に協力してくれなかった。薄情だ。飲食文化を盛り上げて行こうという気概がみんなには無いんだ。みんな了見が狭いな。自分は潰されたんだ。
なんて思っています。
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こういうことも良く起こります。
何かの作り手のお客さんだった人が、自分も好きが高じて同じ界隈の作家になることがあります。
「元お客さんの新人作家」になるわけですね。
そうなると、業界内には若い頃から長年修行をし、業界歴がその「元お客さん新人作家」さんよりもずっと長い経験と実績のある「年下の先輩」が存在することになります。
「元お客さん新人作家」さんは、今まではお客さんとしてその若手に「頑張ってね」という態度でいましたが、しかし「同業」になれば自分は「年長の後輩」に変わります。なんといっても「仕事上、キャリアも経験も違う」のですから。
しかしそれを全く無視して、ただ「元お客さんの新人作家」さんの方が年齢が上だというだけで、先輩ヅラしてしまうことは良くあります。これは、本当に良くあります。
これは、業界の若手のプロに非常に疎ましがられますから(もちろん、あなたの態度を疎ましく感じます、なんて直接言ってもらえませんよ)若手からの尊敬は受けられません。そして、年長のプロは、こういうことは良くあることなのでニヤニヤしながらその様子を観ている感じですね。
「年長の新人」が認められたいなら、実力や実績で「やはりあの人はスゴイな」と言わせなければ、ダメなのは当たり前なのです。
また「元お客さんの新人作家」さんは、大恩ある師匠やお世話になった人に対しての態度が、ぞんざいであったり、低く言ったり、無視したりする人もいます。
それも、師匠がとても有名だった場合には師匠の名前を大いに使い、人生を決定づけるほどに影響を受け世話になった師匠であっても無名なら無かったことにする、ということが多いです。
結局、そういう人は、最初は多少プロから協力を得られますが、半年もするとスルーされるようになります。
その無意識にしてしまう尊大な態度ゆえ、周りのプロの人が引き上げてくれることもなく、技術やセンスが上がることもなく、ハイアマチュアのままで、同じようなレベルの人たちとばかりと付き合い、知名度が上がることもありませんし、売上が上がることもありません。プロとしては認められていないのです。(当然です)
なので、WEB上で、それなりに成り立っているような演出をすることに熱心になります。
が、それは商売をやっている人から観れば「実際には成り立っていない」とバレています。
そういう人たちの制作活動は、趣味の人、作家として独立したばかりの人が集まるクラフトマーケットなどに出品したり、たまに何かのイベントへの声はかかりますが、もちろんそれだけで生活出来ることもなく、作家は名乗っているけども、趣味の工作のような感じで制作を続けます。
そういう人は、作品量が少なく、創作性も出ていないものをダラダラと作り続けているだけなのですが、しかしキャリアが長くなってくると、若い作家さんに対して先輩ヅラをし、的外れなアドバイスや批評をするので、若い人たちはみな避けるようになります。
そして、SNSでまるで宇宙を支配する神のような「森羅万象を司る」発言を繰り返すようになります。笑
しかし「元お客さん新人作家」さんは、資金に余裕があり、人脈がある人も多いので、成功する人もいます。
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こんなことも思い出しました。。。
あるガラス工芸が好きな青年が、ガラスの作家になろうとどこかの教室でガラスの加工を学び、自分で作家を名乗り、半年ぐらい活動しました。しかし、やめました。その当時21歳ぐらいだったか・・・
自分でつくるのは馬鹿らしい。なぜなら、自分でつくると、生活のために注文品を制作しなければならない。自分は芸術をやっているのだから、作品は純粋な自分自身の精神と感覚の結晶でなければならない。だから、オレは自分ではつくらず、自分が認めたガラス作家に発注して、自分の好みに作らせた方が良いのだ。それは別に商売ではなく、自分が欲しいガラス作品なのだ。芸術なのだ。
と考えたのです。
それで、その青年は、いろいろなガラス作家さんの展示会に行ってはガラス工芸について壮大に語り、その作家さんの作品を品評し、作家さんへこういうのを作って欲しい、と上から目線で発注を出すのです。当然、その青年から観て、そのガラス作家さんたちは先輩になります。
いろいろなガラス作家さんの個展を顔を出すので、その青年は知られていました。もちろん、そんな調子ですから嫌われていました。
「自分は芸術家としてのガラス作家であるけども、自分では思うところがあり、自分では直接つくらないからアンタにつくってもらう。しかし、オレは客だから客扱いしなければならない」
という態度は「作家になる覚悟もなければ、客として作家の創作的作品を受け止める度量も無い、全方向で”逃げ”を打った態度」なわけですから、精神と経済的なリスクを背負い、自分の創作を世に問い、頑張る作家さんたちには疎ましがられるのは当然です。
もちろん、その青年はガラスについてプロの世界でいえば「お話にならないレベル」です。
その青年が、私の個展に良く来ていた時期があって「自分は純粋な芸術家でありたいからそういうことをするのだ」と自分の創作について話を聴かせてくれたことがありました。
私は「いや、注文だから芸術じゃない、ということはないと思うけど。それなら、ダビンチだって宗達だって、ピカソだってマティスだってその他大勢の過去の真の芸術家たちの作品は芸術ではないということになる。芸術云々や美の話は、そんな場所には無いんだよ。そんなことは、自分の手と感覚が自動的に自分の思うガラス作品が産み出せるように、技術を叩き込んでから考えれば良いのではないかな?」と言うと
「僕は、教室でガラスのことを習って、半年作家活動したことがあるので、そんなことはやり終わっています!実際、注文なんかで妥協のない作品なんて作れる人がいるわけがないし、会ったことがありません!」
「おお、あなたは天才なんですね。半年ですべてを手中にするとは(苦笑)まあ、それはともかく、私は、注文でも妥協しませんよ。注文制作ではない作品でも制限はあっても妥協はありません。私は出来ますよ。私はその環境において、出来ることを、やりたいようにやっています。自分に合わない仕事なら、断りますし」
と言うと
「あなたは特殊なんだ!」
と吐き捨てて帰って行きました。
「私は出来ますよ」と簡単に断言されてしまったので「お前なんてオレ様から観たら出来ていない!」とは言えなかったのですかね。
面白いですね。
その青年は今何をしているか、私は知りません。
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普通に商売をやっている人なら上の「元お客さん」が、なぜ上手くいかなかったか良く分かると思いますが、しかし意外にも、こういうことが分からない人が多いのです。
大企業で辣腕を振るっていたような人でも自分で商売を始めると「え?なんでこれほどの人がそんなこと分からないの?」ということがあって、不思議に思ったものです。
例えば上の「元お客さんの新人作家さん」話題では「以前は年長のお客さん」でも、同業になってしまえば、そのお客さんは後輩に当たります。プロの世界ですから。
その「元お客さん」にとって「今までお金を落としてあげていた作家さん」は「業界の先輩」なのです。
先輩後輩云々言う時代ではありませんし、私自身はあまりそういうことを気にしませんが「最低限の礼節」は必要です。
しかし、そういうことを無視する人はとても多いな、と思います。
そういう人だと、やはり他の面でも粗雑なので、いろいろ問題が起きて来ます。
結局、そういう粗雑さで、事業が立ち行かなくなることが多いようです。
もちろん、戦略的にいろいろな力をつけて、業界をひっくり返すためにあえて業界に爆弾を落とす、ということはありますが、それには準備が必要ですから、そういう雑過ぎる人の場合はそんなことが出来るわけがないのは当然ですよね。それを可能にするには、実力と資金と根回しが必要ですから。
「世の中の誰もがお金をいくら払ってでも強烈に欲しがるものを、その人しか生み出せない」のであれば、それでもやっていけるかも知れませんが、そんな事例は大海の一滴です。
言うまでもなく「古い世代が味わった苦労と同じ苦労をしていないヤツは認めない」というのは全く意味がありませんし「古くなって時代にそぐわない慣習などはどんどん更新するべき」だと強く思います。
しかし、荒波を泳ぎ耐えてきて、実績を残している先達に対する敬意はあっても良いのではないかと思うのです。
プロの世界は、みんな必死だからです。いじらしいほどに努力して、がんばって長年つぶれないように生きてきた。その世界に入るにはある程度の「先達への敬意」は必要ではないかと思うのです。
基本的に最低限の礼節がある人であるなら、仮に同業でライバルになったとしても妨害工作をする人はそれほど多くはありません(強烈にする人もそれなりの数いますが!笑)
同業者は、ある時にはライバルですが、ある時には協力者でもあります。
それと同時に、新人は「先輩に近寄られ搾取される」ということも良く起こるので気をつけなければなりません。そのためにも、先輩たちにはキチンとしておく方が良いと思います。
そんなことを言っている私は、ほうぼうに不義理をしてしまっておりますが、そんな私でも疑問に感じる「雑すぎる人」は、割と頻繁に眼にします・・・
今はちょちょっと何か身につけて、SNSでちょいと宣伝すれば商売としてやっていけると思っている人が多いんだなあと感じ入ります。
長年上手くやっている人は、一見簡単にやっているように観えても、実際にはマメマメしく地道に堅実にやっているところが多いものです。
【必要な準備や礼儀をすっ飛ばして手っ取り早く手柄だけ得たい、という態度】は、プロからは嫌われますよね、というお話でした。。。
また、これも本当に良くあるのですが【そういう人ほど、自分より年下の人たちには、あれこれウルサイ】のです。笑
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