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見栄とレバレッジと幸せ

人より劣っていると感じる。
それを悟られないように、見栄を張る。
言ってしまったからには現状のままではいられなくなる。
どうしたら劣っている部分を埋めることができるのか試行錯誤する。
しかし、それは絶対に悟られてはいけない。
そして、さらに上が見える。

僕はこれを人生におけるレバレッジと思っている。

しかし、このスパイラルに陥っている自分を客観視すると非常に滑稽だ。
そのもがきは果たして本当に必要なもがきなのか?
お前にはもっと向いていることがあるのではないか?
そもそも人より劣っていることがダメなのか?
ましてや、そもそも見栄を張って強く見せようとする必要はないのでは?

こんなことをここ最近は特に考えていた。

恐らく正解なんてないテーマだ。
まあそれでも考える都度、自分の中で結論を設けていて、現状で思っていることを綴ってみることにした。

大体半年前くらいからだろうか。
ミニマムで生きようと思い始めた。

ミニマムで生きるとは何かというと、冒頭で綴ったような生き方をすれば上には上がいる。
僕は当たり前だと思っているが、絶対に自分よりも優れている人間が世界には存在している。いくら上に登ったところでその道は無限に続くのだ。
僕はずっとそんな生き方をしていたと思う。
僕のいうミニマムで生きるとは、今最低限幸せだと思えることを追求するということだ。最上級(上)を追求せずに。

そこで、相対的に自分を見るのではなく、「今最も幸せだと思う行為を継続することができるようになるための努力をしよう」と思い始めた。

”全ての悩みは人間関係である”
「嫌われる勇気」で哲人が放つ言葉であるが、これはまさにその通りだ。

そして、今の幸せを追求するようになったが、たくさん思うことがあった。

「暇だな〜」「全然成長していないな〜」「時間無駄だな〜」
などと思うことが多かった。

今たどり着いている答えは、
「レバレッジによる適度なストレスをかけ、暇をつぶしつつ成長する」だ。

困難のない、ただ雑魚キャラばかり倒しているだけのゲームではもちろんつまらない。時には思いも寄らない強キャラが出現し、悔しがり、後悔し、対策を練り直し、次はしっかり倒し、そうした上で効率よく先に進んでいくようなゲームの方が楽しいに決まっている。
僕は必ず飽きが来る人間であり人生は暇つぶしだ。

結論、「現状の幸せを追求しつつ、時には見栄を張り、レバレッジをかけ、これまで経験することができなかった新たなステージでの人生を歩むための成長に繋げる。」

これが僕の人生のモットーでもある、
「今幸せで、未来も幸せに」
に繋がっていると思う。

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