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今日の夢を思い出している

今日の夢、犬がいてさ、触ろうとしたらすごい睨まれたから「あ、これだめなやつや」って思って。
そしたら涙を浮かべながら「なんで殺処分されるんや」って言ってきて、ぼくは何も答えれずによしよしした。
それからなんか使命感みたいなのがあって、なんとかしなきゃと思って必死に大人たちになんでなのか聞きに行ったりした。
どんな答えが帰ってきたか覚えてないけど、とりあえずやばいなってのを痛感した。
これはたぶん、昨日リールで寺田心が犬の殺処分について話してたのが影響してる。

改めて考えると、ぼくがあれだけ使命感とか義務感みたいなのを感じられたのは、目の前にその犬がいて、その犬と親しくなったからなんだと思う。
でもその問題はもっと前からあったし、ぼくも知らなかったわけではなかった。
目の前にいたら本気になるのに、直接的な関わりがないと、問題やな〜で終わらせてしまう。
終わらせてしまえる。

ガザでたくさんの人が殺されたり死に追い詰められている現状に対しても、同じようなもやもやを抱く。
テレビやネットから情報が入ってきて、殺された人の数を数として捉えて、ことの重大さを感じて、そのまま。
本当はその数ひとつひとつにそれぞれの人生があって、大切な人とか大切な物とか大切な思い出とかあるのに。

自分とは無関係のようだけど、考えてみれば関係あるはずの問題たち。
やろうと思えばもっと本気をだせるはずだし、そうするべきだとも思っているのに、自分を優先させておいても特別すぐに自分に支障がでるわけではないから、さ。
やばーで終わらせれちゃうこの社会の残酷さが、その残酷な自分に針をさす。

言い訳みたいだけど、人と人が助け合って生きるコミュニティとしての社会がでっかくなりすぎたと思う。
自分の手には及ばないでっかいシステムにコントロールされてる感じがして、社会を構成する一員である感覚が薄い。
だいたい誰でも目の前に困ってる人がいたら助けたいと思うやさしさはもってるはずなのに。
もっと人のやさしさが引き立てられる社会、、、。

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