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離婚しても一緒に仕事をする作法(1)

うちが一般的な夫婦とどう違っていたか

中谷武司協会の中谷と橋本は以前戸籍上の夫婦でした。何年か前(年数は忘れた)に離婚届を出し、今は戸籍上まったくの他人、ということで一緒に仕事をしています。息子がひとりいますので、その息子にとっては父と母です。息子はお父さんのことをお父さんと呼んだことはなく「タケちゃん」と言います。そして私のことをお母さんと呼んだことはなく「ちょっと」とか「あのさー」と呼びます。たまに「ポテチ」とか「テンチョウ」と呼びます。なんやねん最後のふたつは。

この離婚については私は個人のnoteでずいぶん記事にしています。

普通に仲よく仕事してるし、出張と称してたまに一緒に旅にも出るので、まだ結婚してると思ってる人も多いみたい。そういう人たちに「いや、離婚してる」とわざわざ言わなかったりもする。なぜか言うとこれ、あんまり分かってもらえないんですね。

「仲がいいなら別に離婚しなくてもよかったんじゃないの?」
「(例えば借金とか)理由があって、きっと仮面離婚なのね」

などと言われます。もう説明が面倒くさい。

一般的な夫婦像というのが、例えば、旦那さんは働きに出て、奥さんはパートか短時間勤務。あるいはフルタイムかも知れませんが、そこにまあ、子どもがいる場合でしょうか。普通、旦那さんと言うのは外に出て働いでますね。家で仕事と言う人もいるでしょう。自営業とかライターさんとか。うちは家にいました。家で絵とか描いてましたね。私はと言えば、夜はワインバーを経営し、昼はカフェをやっていました。ほぼ家にいない状態。普通の家の奥さんと旦那さんが逆転してる状態と思っていただければ一番分かりやすいと思います。一切の家計は私が支えていました。もちろん、たまに武司も絵が売れたり収入があるのですが、そういうのは全部武司のものになっていました。パートの奥さんの収入が全部奥さんのへそくりになっている。と思ってもらうと分かりやすいでしょうか。

誰にでも「巣」が必要

経済的にはそんな感じでも、いいんです。ただ、うちの場合は、武司の仕事が「アート」ということもあって、家の中は武司の世界。仕事から帰ってきても私の部屋も居場所もなく、ご飯も私の分はない。なんかもう居候って感じです。なのに、これ全部私の稼ぎやん。みたいな。世のお父さん、考えてみてください。部屋は奥さんの趣味一色。自分は外で働いてその稼ぎを全部家に入れているのに、自分の分のご飯はなく、洗濯もしてもらえず、そして寝る場所は階段の踊り場だったら…。続けられますか?結婚生活を。いやー、それでね、私はどんどん家に帰らなくなるわけですよ。世のお父さんが家に帰る前に一杯やってから帰るでしょ?あれですよ。なるべく家にいる時間を減らす。そしてダメージを減らす。そんなことがしばらく続いた時に、倒れたんです。実家の父が。

よし!今だ!と思いましたね。私もそして武司もホッとしたのではないでしょうか。なぜかと言うと、自分の口から黒い血を吐き出す夢にうなされたり、トイレに座って(私なんていまここで死んだって全然構わないんじゃないのか)なんて思ったりしていたのです。今思えば軽い鬱。仕事に行けば毎晩、意識が混濁するほど飲んだくれて帰りました。駐車場の車の中で明け方近くまで寝ていたこともあります。家のトイレの中で寝ていたことも。まあ、寝場所が踊り場なので、大して変わんないですが。

さて、そんな父を気遣うふりをして、私は実家へ引っ越します。これが別居の始まりでした。これがね、よかった。すごいよかった。じゃなきゃ、私多分病気になってたと思います。ようやく自分の巣ができたという感じでした。

一緒にいるほうが相手の働きに気づかない

それで息を吹き返しました。おそらく武司も同様だったと思います。人と暮らす、ということは大変なことです。特に、アーティストと暮らす場合、自分もその一部でなければならないという恐るべき課題を突き付けられます。まあ、当然、私はその一部にはなり得なくて、ぜんぜんはみ出ちゃってたわけで。

武司の名誉のために言うと、私の仕事上のデザインは全部してくれてました。それ以外にも細々とした手伝いや、店のレイアウト、ペンキ塗りなど。で、夫婦だからそういうのに私もお金を払わないでしょ。私は私で「自分ばっかり働いてる」って思ってたけど、実際には武司も十分働いていました。それは別居している中で、私が徐々に気づいたことでもありました。別居をして一息付けた私と武司。正式に離婚するまでは、まだそれから数年の話し合いを重ねる必要がありました。



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