100年前の笑顔

 この数年、YouTubeに100年前シリーズで、昔の庶民の生活写真をアップしてくれている人がいて、若い頃、民俗学を志した私は、それを夢中になって視聴して、100年前の社会に浸りきっている。

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 現代と何が違うかというと、女性や子供たちの笑顔だ。100年前の笑顔は、どれをとってみても屈託がなく、人間性の素朴さ、裏表のなさが溢れている。翻って、現代の女優さんやモデルさん、若い女性たちの笑顔は、昔と比べて格段に美しいのだが、一方で、裏表と心に秘め隠したものがちらついていて、とても素朴とはいえない。

 それを分析するのは難しいが、昔の人にあって、今の人にないものを考えると、それは「共有と連帯」ではないだろうか? 昔の庶民には、「私的所有」という概念が乏しかった。「みんなで一緒に生きている」という連帯感が強く感じられて、一人の個人が評価されたり、特権を与えられたり、他の人に君臨したりという差別感がなかったのだ。

 だから、ありふれた笑顔に「自分を守る」という自意識が少なく、他人と喜びを共有し、連帯しているという心のありようが、非常に強く出ている。ところが、現代の美女たちの写真には、「自分を守る」強固な自意識が滲み出ていて、自分の権利、自分の財産、自分のもの、を大切にして、他人に奪われないようにする警戒心が笑顔に影を落としている。

 つまり、昔になくて、現代にある「差別感」が写真から漂ってくる。昔の人は、「私有意識」が少ないから、周囲の誰とでも喜びを共有し、悲しみも共有し、なぐさめあうことができた。だから裏表のない「屈託のない笑顔」を共有することができた。

 例えば、潮干狩りでアサリをたくさん獲ってきた女性がいるが、彼女の笑顔は、「財産を独占できた」からではない。海の恵みは、みんなの共有財産で、自分がたくさん獲ってきても、帰宅すれば、大半を近所に分け与えてしまう。彼女は、自分のアサリが他人の口に入って生み出される笑顔を得れば十分なのだ。そうだ、昔の人々は「笑顔」を食べて生きていた。だから、こんなにも笑顔が多いのだ。

 100年前の笑顔は、当時の社会性と、これからの人間社会のあり方に大きな示唆を与えてくれる。我々は、再び100年前の屈託のない笑顔を取り戻さなければならないのだと。それには、ガチガチに凝り固まった「私有意識」や、「差別観念」から解放されなければならないのだろう。

 人間を出自や財産や学歴で序列をつける儒教の秩序は、江戸時代では支配階級だけにあったものだ。庶民には無関係の価値観だった。庶民は、一つの集団=共同体に埋もれて生きていた。自分個人が突出して権力を得ようとか蓄財しようなどと志す者は非常に少なかった。「みんな」というのが個人よりも大きな、大切な単位だったのだ。

 これから、コロナ禍がもたらす新しい社会秩序は、たぶん学歴や財産ではなく、「みんなで助け合って生きてゆく」という、かつてはありふれていた価値観に戻ることになるだろうと私は思う。

 財産も権威も学歴も、豪邸も高級車も、美人もイケメンも何の価値もない。ただ、人々の笑顔に接することだけが人生最高の価値になってゆくだろう。そんな時代が来るとすれば、コロナ禍による焼け野原も歓迎だ。

 「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」というのは、信長が言ったわけではあるまい。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」というのも家康が言ったわけでもあるまい。どこか市井の庶民の老人が、若者たちへの訓として述べた言葉に違いない。

 この意味は、「決して背伸びしてはいけない。あるがまま、なすがまま、自分の力を冷静に見極めよ」ということであり、「焦らずに、ゆっくり前を向いて歩いて行け」という意味だろう。翻って、今はどうか?どこもかしこも競争だらけ、人生を焦らせ、背伸びさせ、無理をさせる環境ばかりだ。そんな窮屈で愚かな環境のなかで、冒頭に掲げた「笑顔」が生まれるものか。素晴らしい笑顔というのは、無理せず、あるがまま、なすがままに、人の幸せを共有して生きている庶民だけが持っている至宝なのだ。

 釈迦の弟子だった比丘尼が言った。「霊の世界があるならば、それに応じた供養、対応をしなければならないのではありませんか?」釈迦は言った。「比丘尼よ、見えない霊の世界など考える必要はない。あなたの見えるもの、聞こえるもの、触るものを大切にして生活しなさい」これは何を言っているかというと、「人生を送るにあたって、見えない価値に心を奪われてはならない。私たちが、生きていて、見えるもの、触れるもの、聞こえるものに従って生きよ」という意味で、まさしく冒頭に掲げた100年前の笑顔の本当の意味なのだ。

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