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北嶋愛季に〇〇について聞いてみた(2)

ちょっときいてみたい音楽の話。第二弾はチェリスト、北嶋愛季さん。
インタビュー連載(1)はこちらから。

——話しにくいテーマかもしれないけれど、敢えてきかせてください。北嶋さんはフリーランスとして現代音楽の初演などにも関わっていますよね。私も内情を知りつつ心苦しい話題ではあるんですけれど、現代音楽を演奏するときのギャランティって必ずしも高くないですよね、寧ろ凄く安い。大変な割に稼げないので、それこそモチベーションがないと続けられないと思うんです。

これは若い頃から変わっていないんですけれども、せっかく作曲家が魂を削って音楽を書くわけじゃないですか。それを紙のままで終わらせたくないと思っています。一曲でも多く、聴衆の前に出したい。

――わー!その気持ち凄い!それだけで泣ける!

まだ新作初演に関わりはじめて間もない時に、たまたま作曲家の友達と話をする機会があって。そうすると、もう一日かかっちゃうくらい色々な話をしてくれるんです、曲のアイディアとか、苦労話だとか(笑)。それをね、誰にも演奏されないで、紙のままで押入れに入れておきたくない。物凄く時間をかけて、想いを込めて書いたものを紙のままにはしておけないな、と。

――作曲家からすると、物凄く有難い話です。

音楽作品って、音になって聴かれて初めて完成するものじゃないですか。だから出来るだけ多くの作品を音にする事が、私の演奏家としての一つの使命と思って、今も関わらせて頂いています。

——生みの親ならぬ、育ての親の心境なのかもしれませんね。個人的にはね、北嶋さんの演奏には温度があると思ってるんです。その温度ってこういう北嶋さんの想いから来るものなんじゃないかと思います。

北嶋さんは現代音楽と平行してバロックチェロも演奏されているんですが、この二つには相互関係があると思いますか?

私はバロックの音楽と現代音楽って、実は凄く近いと思ってるんです。

言葉にすると難しいんですが、私は両方に「普遍的」「この世にずっと在り続ける」想い、感情のようなもの、を感じます。「個人的」ではないと言いますか。全人類、またこの世に共通する喜びやかなしみ。音楽はもともと神様・・この世のものではない力に祈りとして捧げるところから生まれた、ということをバロックと現代音楽、その両方から感じるんです。

——面白い感覚ですね!例えば自由度っていう意味ではどうなんでしょうか。古典の作品って当時は書くまでもなく浸透していた演奏法があって実際楽譜に書かれていない情報があると思うんです。

決まりはもちろんあります、時代背景などを考慮した。でも、バロックの音楽って実はびっくりするくらい、自由でドラマチックなんです。たくさん装飾をつけてゴージャスにすることも、テンポをたくさん伸び縮みさせることもあります。書いてないけど、この時代の、この国の、この作曲家の場合、こうも装飾をつけられるし、こっちのやり方でも良いとか。

——だからこそ今演奏する場合、それをどう解釈するか、奏者に委ねられているんでしょうね。

それこそ、聴かせ方の可能性は星の数ほどあると思います。何が正解っていうものでもないと思います。

——そういう意味では、現代音楽もそういう意味では似ている部分があるのかなって思ったんです。新しい音楽、理解する方法論の幅が広いじゃないですか。究極「ああもこうも解釈できる」ところがあるような気がするんです。

私は作曲家や曲、時代の流れを自分なりに研究したうえで、「知識としての正解はこっちかも知れないけど、こっちの方が演奏する場所や聴衆、私に合うからこっちにしよう」という選択をするときがあります。私は学者ではなく演奏家なので、「正解」にこだわり過ぎないようにしています。

——「正解」ってあってないようなもの、なのかもしれないですね。それに楽器による違いもある気がします。楽器って人間そのもののようで、それぞれ個性的じゃないですか。その楽器が欲している音に寄り添う必要もありますもんね。

楽譜についてはどうでしょうか。作曲家が演奏家だった時代は、省略されている部分があったわけじゃないですか。作曲と演奏が分業化されて、それ以降、楽譜の持つ意味合いも変わってきたと思うんです。

現代音楽の楽譜って凄く情報量が多いと思うんです。純粋に楽譜に書き込まれた情報だけ見ると、時代を経る毎に多くなっている印象です。

——楽譜真っ黒!っていうことも多いですもんね。説明書きだけに何十ページ割かれている作品とかね。例えば、それに対して情報過多だと感じられますか?窮屈さとか?

窮屈さ?それはないですね。寧ろちゃんと書いてくれている方が助かります。

——そうなんですね。現代の作品に於いては丁寧に書かれているほうが、逆に解釈の幅の広がるのかもしれないですね。楽譜って結局伝わるかどうかだと思うんです。音が少ないほうが良いとか、書き込めば良いとかでもなくて、作曲家が思い描いた音がきちんと伝わる楽譜か、その温度が楽譜から感じられるかどうかが大事なのかもしれませんね。

北嶋愛季に〇〇について聞いてみた(3)につづきます(次の更新は3月20日です)。

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