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小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その⑥

※本記事は、2018年8月28日都内で行われた「海外留学フェア (PPP Project)」の一貫として開催された「女性中堅作曲家サミット・グループB」の書き起こしです。パネリストとの合議による加筆修正が含まれます。(編集・わたなべゆきこ&森下周子)

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小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その➄

ー(森下周子)ちなみに小出さん、先ほど楽譜に対して懐疑的というお話がありましたよね。模索というか、解決策って見つけられたんですか?

(小出稚子)まだ答えは出ていません。オランダに留学していたときは色々なプレイヤーやアンサンブルとやらせていただきました。ありがたいし、すごく多くのことを学ばせていただきました。

でもそこで気づいたのは、色んな場所で色んな人とやるよりは「この人とやりたい」って思える人と密にコミュニケーションを取りながら一緒につくる方が、自分のやりたいことを具現化する近道だということ。あくまで「私にとって」ということですが。

そもそもヨーロッパで活躍する現代音楽の作曲家って、自分の作品をどこの場所でもどんなアンサンブルにでもやって欲しい!という人が多くないですか?そうするとリハーサルの「マネージメント力」とか、「オフステージのコミュニケーションスキル」とか、そういう問題になってきますよね。「ネットワーキング」とか。そういうことに興味が持てませんでした。

ー(森下)超わかる〜!

(小出)結局「楽譜」だけでは自分の思い通りには行かなかいという現実が、もちろん大元の背景としてあるんですけど。でも沢山のプレイヤーと出会っていくと、中には「最初からすごく相性が良くて何も言わなくてもわかってくれる」という人もいて。「わ、こんなところに理解者が!」ということがたまにあるので出会いも大切だなとは感じます。

ー(森下)楽譜を使わない音楽は作らないんですか?

(小出)それはそれで、楽譜を全く作らない作品はないんですよね〜。

ー(わたなべゆきこ)森下さんとその意味では似てますよね。森下さんも演奏家との関係がとにかく大事で、コラボレーションの作業をすごく重要視してる。

ー(森下)わたしは、バリバリ楽譜型ですけどね。

ー(わたなべ)要は二人とも楽譜を媒介にしてるけど、コラボレーション重視でっていう。

(小出)そうですね、楽譜はコミュニケーションのための基礎みたいな部分で、そこからリハーサルなどを通していかに良い方向に持っていけるか。楽譜にした時にこぼれ落ちたものを、もう一度作品の体内に戻すことが重要です。

そういえば、最近面白い体験があって。高松のピアノ・コンクールのために曲を書かせていただいたんですけど、それを2日間で10人のピアニストに弾いてもらう機会があったんです。もう、ほんと、皆違って皆良い!って思いました。

ー(森下)うわ〜超面白そう〜!

(小出)一つの楽譜からこれだけ違うものが生まれるのかっていう。しかも自分の中では限界まで気を使って楽譜を書き込んだつもりだったので、我ながら聴いてて楽しかったです。

ー(森下)形容詞で「真っ白なように〜」とか入れる人いるじゃないですか。わざと曖昧な指示を入れて、演奏家の解釈の余地を残すために。そういうのは入れなかったんですか?

(小出)入れたというか、今回の場合は背景が少し特殊だったんですよ。もともと香川に関する曲という委嘱だったんです。そこでわたしは「うどん」と「たぬき」を選びました。でも国際コンクールだったので、コンテスタントは外国の方も多かったんですよね。だから分かってもらえるように、たぬきは腹つづみを打つとか、その音はポンポコと形容されるというところから文章で書きました。おかげで英語の解説が日本語の倍ぐらいになりましたが。

また、うどんを打つプロセスを音楽にしたんですけど、実際のうどん打ちのビデオを撮ってもらって、それをyoutubeで公開し、この部分はこういうことをやっているっていうのも事細かに示したんです。限界まで説明しきったという意識があったから、これで分かってもらえるはずだ、伝わっているはずだって。

でも結果として出てきた演奏は、全員が全員まったく違ってて、わあ、すごいなあ!って本当に衝撃を受けました。また良いんですよ、それぞれの解釈が。よく考えて色々な方向からアプローチしてくる。わかって貰えるだろうと自分が期待してたことなんて、一気に吹き飛んでしまって。

ー(森下)「わかって貰えるだろう」というのもそうですし、「楽譜を媒介にすると、思ったものと違ったものが出てくることが多い」という先ほどの発言も、裏を返すと、自分の内側に確固たるイメージがあるっていうことですよね。

(小出)昔はありました。このフレージングはこういうやり方がベスト、そのためにここはスタッカートにテヌートをひっぱって・・・みたいな。そう教わったから、そうしないと伝わらないんだっていうのがあったんですよね、きっと。

だけどスラーを引っ張ってexpressivoと書いたとしても、実際は10人いれば10通りの弾き方があるんですよ。じゃあそこでわたしがリハーサルに出向いて、ここは絶対こうです!って主張して変えてもらったとしても、演奏家は作曲家の再現ロボットなのか?という問題が出てくるじゃないですか。演奏家自身が解釈する余地もないなんて、なんかおかしくないか?って。

ー(森下)これは私(森下)とわたなべ(ゆきこ)さんの間で何年も話題にあがっていることなんですけど、彼女は作曲家本人が現場にいなくても演奏家が仕上げられる楽譜を書きたいっていうステイトメントがあるんですよね、ある種、誰が弾いてもこれだけのクオリティが作れるっていう。

私は小出さん型というか、誰が弾いても出てくるものが同じという発想自体にすごく違和感を感じるので、そのためにどうやって楽譜を書くかっていうことは、常に模索しています。

どうですか、わたなべさん?

ー(わたなべ)できるだけ細かく書きますけど、いつも楽譜の先にあるもの、音の先を見るようにしてます。楽譜はそこに至るまでの大事な媒体なんですけど、楽譜通りに弾けば到達できるか、というとそう単純でもなくて、そこに至るまでに演奏家の解釈や身体、演奏があって、そして聴衆の耳と、そこまでの道のりってとっても長い。

そもそも西洋的な楽譜の書き方って制約があるんですよね、資本主義社会のなかで否が応にも整ってきたルールじゃないですか、あれ自体が。丸書いて棒書いたら四分音符っていうのも、印刷技術と共に資本主義社会の中で否が応にも、形作られてきたものですよね。だから繊細で生身な作曲家のやりたいこととをその四角い箱の中だけで考えちゃえば、ミクロ単位で絶対どこかにズレは生じる。

(⑦につづきます。最終回です。)
小出稚子×牛島安希子×樅山智子が語る~その⑦

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