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"結束"ってなんだろう。カンパラのモスクで考えたこと。

ウガンダの首都カンパラの丘の上には、ガダフィ・モスクというモスクがあります。

あのニュースでよく聞くリビアのガダフィ大佐の寄付のもと、建てられたモスクなのです。 

まだ新しく、建てられて10年程。サハラ砂漠以南で最大のモスクなのだとか。
たしかに立派で、なかの装飾も美しいモスクでした。 

木枠はコンゴ民主共和国
ステンドグラスはローマ
絨毯はリビア
天井の模様とシャンデリアはモロッコ
(他の方のブログ読むと、微妙に国が違うので、正確でないかも…)

「いろんな国のものでつくってある。このモスクは"Unity"が象徴されているんだよ」 

ウガンダ人のガイドさんが、慣れた調子で説明してくれました。 

他のウガンダの人と話していてもでてきた"Unity"という言葉。 
日本語で言うと、"一つであること""結束"など。

編集に関わっている本でも、東アフリカの旅の章で、キーワードとして、でてきた言葉でした(とても物語がありかつ解像度高いので、出版した暁には、ここにリンクをいれたい)。

57の民族からできたウガンダという国では、この概念は、日本と比べてずっと実感があるようです。 

それはどんな感覚なのだろう。

日本で震災後、"絆"という言葉がよく使われたのと、近いのかなとか。

思いをめぐらしてみたけれど、やはりいまいち地に足の着いた感覚を持てないなと思いました。 

大きく立派なコーランのところに来ると、ガイドさんがその一節を読んでくれました。 

それはイスラム圏のモスクから朝晩聞こえてくる、重々しく荘厳なものとは、驚くほど雰囲気が違うものでした。

同じアラビア語、同じコーランのはずなのに。 

なんだかメロディがあって、ちょうど前の日に見たウガンダの伝統音楽とダンスのショーで聴いた、ハープの音色のような軽やかさがあったのです。

リスペクトしながらも、自然と混ざってしまう。
そういうことを指して、"Unity"と言っているかもなぁと、彼のコーランを聞いて思いました。

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