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14. 人生を変えてくれた二人との出会い

皆さんこんにちは。三浦優希です。
ここ数回は現在の様子を残していましたが、今回は久々の過去編となります。私自身、今までの”過去の記録”と”現在の様子”のどちらを届けることも好きなので、これは両方続けていきたいと思っています。
少し今考えているのは、


・平日➝過去編
・週末➝試合を終えた後のホットな日記

なんてできたら面白いかなあと思っています。毎週続けるとは言ってませんよ!(笑)あくまで理想です。

それでは前置きはこれくらいにして、今日のお話を始めたいと思います。

今回のお話は、チェコ・クラドノ時代の大半を共に過ごした二人の親友についてです。彼らがいなければ、今頃アメリカでホッケーもやっていないし、チェコでシニアチームの試合にも出場できていなければ、ジュニアリーグで得点王も取れることはなかったでしょう。何より、チェコで過ごした2年半の毎日を心から楽しむことができたのは、二人がいてくれたからです。

二人の名前はDaniel Kruzik(ダニエル・クルジーク)とPetr Havluj(ペトル・ハブルイ)。
向かって左がダニエルで、右の背の高い方がハブルイです。

二人は僕と同じ1996年生まれ。先に出会ったのはダニエルでした。初めて会った日は、早実の留学制度でチェコに来ていた2週間の間でした。僕は当時17歳でしたが、自分より年齢が上のU20チームに参加していました。ただ、一度だけ自分と同年代のU18チームの練習試合に出場させていただけることになり、その時のチームのキャプテンがダニエルでした。

その一試合で、僕とダニエルは一気に意気投合してすぐに友達になりました。彼はチームで一番上手なフォワードでした。フレンドリーな性格のダニエルは、元々僕のことは話で聞いていたらしく、遠い日本から来た自分にかなり興味を持ちたくさん話しかけてくれたのを覚えています。僕としては、当時年上ばかりと生活していた中で、初めての同級生の友達ができたことを本当にうれしく思っていました。チェコ語も英語も全然できない僕を温かく受け入れてくれました。

本格的にチェコに移住してから1年目のシーズン。ダニエルは、U18チームでの活躍が評価され、僕の所属するU20チームにコールアップされるようになっていました。練習時間も同じになり、一緒に生活する時間が増えてからは更に仲良し度は増していきました。二人ともチーム最年少だったため、練習前の水くみやパックの準備、練習後の後片付けなどを最後まで残って一緒にやっていたのを覚えています。地元のおいしいごはん屋さんに連れて行ってくれたり、くだらないチェコ語をたくさん教えてくれたり、リンクで居残りトレーニングを一緒にしたり、控室にあるプレイステーションでひたすらゲームをやりこんだり、本当に数えきれないくらい楽しい時間を過ごしました。僕が困っているときはどんな時も助けてくれて、リーダーシップもあり運動神経も抜群。何よりホッケーもめちゃくちゃ上手でした。

ただ、当時はまだ同じセットで一緒にプレイしていた記憶はあまりありません。お互い違う選手たちと組んでいたことを覚えています。


一年目のシーズンが終わり、二年目を迎えたある日。U20チームの2軍から僕たちのチームに呼ばれて練習に参加したある選手がいました。それがハブルイでした。彼は、元々クラドノでプレイしていましたが、高校時代をアメリカで過ごしていました。アメリカの高校を卒業してチェコに帰国したタイミングが、僕のチェコ二年目のシーズンと一緒だったわけです。チェコ帰国後はU20チーム2軍に参加していましたが、元々実力もあるのですぐに1軍に呼ばれたとのことでした。一番最初の印象としては「体が大きくてシュートが早い!」といった感じです。昔からダニエルとハブルイは仲が良かったらしく、僕も同じ96年生まれということですぐに彼とも仲良くなりました。ハブルイは、英語がペラペラでとにかくいろんな場面で私を助けてくれました。また、リンクの近くに住んでいたこともあり、次の日に朝早い練習があるときなどは、彼の家に泊めてもらうことも何度もありました。彼は、自身がアメリカという異国で外国人選手として生活していた経験から、僕がどういった場面で大変な思いをしているかというのを理解してくれている気がしました。”日本人”である自分を特別扱いせず、一人の友達として接してくれていました。そして何より、ホッケーの実力も兼ね備えていた彼はすぐにチームの中心選手になりました。

こうして、ダニエルとハブルイと一番仲良くなり、毎日を3人で過ごすことが多くなりました。もちろんほかにも仲の良いチームメイトはたくさんいましたが、この二人と一緒にいた時間が一番長かったです。僕のチェコ語上達のために、二人は自身が通っている地元の高校に働きかけてくれて、特別に僕を聴講生のような形で授業を受けられるようにしてくれました。練習を終えて、3人で移動し、学校へ行く。授業が終わったら三人でどこかに遊びに行ったりと本当に毎日をずっと一緒に過ごしていました。
写真は授業中にもかかわらず、ぐっすりと寝ている二人です。

ちなみに僕も同じことをやられました。


ホッケーの話に戻ります。当時、三人のうち二人が一緒のセットでホッケーをすることはあっても、なかなか全員そろって同じセットで試合に出れることはあまりありませんでした。そこで私たちは、ある日の練習前にコーチのオフィスに三人で行き、「僕らを同じセットで組ませてください!絶対に点を取れますから!お願いします。」と直談判しに行きました。この日のことは今でもよく覚えています。純粋に、自分をここまで必要としてくれる仲間が目の前にいることが本当にうれしく、心から感動しました。そして、僕らの熱意が伝わったのか、その日からハブルイがセンターフォワード、僕とダニエルがサイドウィングとして同じセットでプレイすることになりました。

この日から、劇的に僕のホッケーは変わりました。自分のいてほしいところに二人がいる。自分の欲しいところにパスをくれる。「息があっている」とはこのことかと思うほど、本当にホッケーが楽しくなりました。

僕らのセットは、リーグ全体を通してみてもかなりの成績を残していたと思います。シーズンを終えたとき、僕ら三人はポイントランキングトップ5に入っていました。そのうちダニエルはリーグアシスト王、僕は得点王でした。

実際に、彼らがいなかったジュニア一年目と、彼らと組み始めた二年目の私の個人成績を比べると、彼らにどれだけ助けてもらったかは一目瞭然です。

一年目:52試合出場、20ゴール23アシスト 計43ポイント
二年目:38試合出場、33ゴール29アシスト 計62ポイント

二年目の方が試合数は圧倒的に少ないのに、ポイントを多くすることができていました。その裏には、もちろん二年目のシーズンで少しずつ慣れてきた部分があったのかもしれませんが、一番はダニエルとハブルイと組めたことが大きな要因です。ここまで結果を残すことができたのは間違いなく彼ら二人のおかげです。二人がいなかったら、確実に僕は今アメリカにいません。二人の支えのおかげで、こうしてチェコジュニアリーグで活躍することができ、結果的にアメリカのチームから声をかけてもらうことができました。

シーズンを終えた後、僕ら三人にシニアチームからのプロ契約オファーがありました。当時、三人で一緒にロッカールームで待っていて、一人ずつシニアチーム監督室に呼ばれて、コーチ陣と話をしたことをよく覚えています。

最終的に僕らが出した答えは、みんなそれぞれが違う道に進むというものでした。ダニエルは他の国内強豪プロチームに移籍、ハブルイはクラドノシニアチームと契約、僕はアメリカへの挑戦です。つまり、三人で一緒にプレイできるのはここまでとなりました。この時は本当に悲しかったです。お互い、ずっと一緒にプレイすることを望んでいましたが、それぞれの夢をかなえるため、みんな自分で答えを出しました。何より、僕がアメリカに行くかチェコに残るか迷っているときに、真っ先にアメリカへ行くことを勧めてくれたのが、何を隠そうこの二人でした。

そして、2016年3月31日。二人との別れの日がやってきました。空港に向かう前、どうしても最後にクラドノに来てほしいといわれ、荷造りをすべて終えた私は、待ち合わせ場所に向かいました。二人と会えるのも今日が最後かと思うと本当に悲しくなってきましたが、強がっていた私はそんな様子は見せないようにいつも通り二人と合流。「お茶でもしようか」とあるお店に入り、3人で椅子に腰かけました。いろいろ今までの思い出などを振り返ったり、これからの新生活についてを話しながら過ごしていると、そろそろ空港に向けて出発しなければいけない時間が迫ってきました。

「別れの言葉とか、今までの感謝の気持ちを最後にしっかり伝えないと。」と思っていた僕が切り出そうとしたとき、二人のほうから「最後に、優希にプレセントがあるんだ。」といってあるものを手渡してくれました。

それは、二人が夜通しかけて作ってくれた手作りのアルバムでした。まさか、こんなものをもらえるなんて思っていなかった僕は本当に驚きました。そのアルバムを手にした瞬間に、今までの二人とのたくさんの思い出が心に浮かび、また、もう今までのように毎日を二人と過ごすことができないんだと思うと、ずっと今まで我慢していた大粒の涙があふれ出てきました。今までにないくらい、本当に泣きました。ひとつひとつページをめくるたびに、そこには二人が時間をかけて作ってくれた写真とメッセージがあり、今まで過ごしてきた数々の瞬間が一気によみがえりました。初めて出会った日から今までずっと、自分のことをこれだけ大切に思ってくれていたことに、涙を流さずにはいられませんでした。ずっと心の中で準備していた、伝えようとしていた今までの感謝のメッセージも、泣いているせいで全然言葉にできませんでした。出てきた言葉は、「ありがとう、本当に今までありがとう。」それだけでした。それでも二人は、僕の言いたいことを理解してくれていたと思います。ずっと泣きじゃくる僕に、二人はそっと肩を抱いて「こちらこそ、今までありがとう。本当に今まで楽しかったね。これからの優希の活躍を心から願ってるよ!また必ず一緒にホッケーしよう。」といってくれました。それを聞いて再び号泣。「泣きすぎだよ!」と笑われながら、再会を約束し、最後に二人とハグをかわしてクラドノから空港に向けて出発しました。このアルバムは、僕の大切な宝物の一つです。

最初から最後まで、二人には本当に助けられっぱなしでした。自分が彼らに何をしてあげられたかはわかりません。遠い国から来た僕を温かく受け入れてくれて、一番の理解者でいてくれました。氷の上でも、氷の外でも、彼らは僕の一番の親友でした。彼らは、僕の人生をより豊かにしてくれました。本当に二人には、感謝してもしきれません。間違いなく彼らは、僕の人生を大きく変えてくれました。

今、ダニエルはクラドノシニアチーム、ハブルイはクラドノ傘下のチームでそれぞれ奮闘しています。立派なプロ選手です。いつになるかはわかりませんが、この先の人生で再会を果たし、もう一度三人同じセットでアイスホッケーをすることが、僕の一つの夢です。二人に胸を張って会えるように、これからも毎日努力を続けます。

今回も最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。


最後に、当時のプレーをハブルイがまとめたものがあるのでそちらのリンクを紹介します!ダニエルは29番、ハブルイが21番、そして僕が26番です。三人がたくさん出てきますよ!笑


Dane a Peto, nemohu dostatečně poděkovat tomu, co jste pro mě udělal.  jste můj nejlepší kamaradi, bratri a nejlepší spoluhráči. Stýská se mi po tobě. Prostě se naučit japonský, pokud byste chtěli přečíst tento článek :D At se dari a hodně štěstí! Love you guys! 
Yuki

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