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7.「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」

皆さんこんにちは。三浦優希です。
今回のnoteでは、私がホッケーを通して学んだ、ある心の持ち方についてお話させていただきたいと思います。いまだに私の大きな支えとなっている考え方です。それでは、今回もよろしくお願いいたします。

元々私は、決して精神的に強い人間とは言えませんでした。今でこそ多くの人から「いつも物事をポジティブにとらえててすごい」や、「常に前向きだね」などと言っていただけますが、ほんの少し前、特に海外に出るまでは、そんなことは全くありませんでした。怒られる、認めてもらえない、ミスをする、自分の思い通りにならない。そんなことが起こると毎回すぐへこむし、いつまでもそれを心の中で引きずって落ち込んでいるなんてことが当時は多くありました。今となっては笑い話ですが、小学生の時の練習試合でペナルティーショット(サッカーでいうPK)を打つ機会があったのですが、それを外してしまった私は完全に落ち込み、試合が終わった後も自分の無力さや恥ずかしさに耐えられず、家に帰って親に顔を合わせることさえ気が進まなくて、何時間もリンクでただただ意味のない時間を過ごしていたことがあります。もちろん、ずっとこんなにネガティブ思考だったわけではありません。自分が上手くいっているときはそんなこと考えもしないし、純粋に物事を楽しんでいます。でも、何かにつまづいたり、失敗をした途端にそこからなかなか抜け出せなくなるという状態がずっと続いていました。そんな私の心を大きく変革させてくれたある出来事があります。それは、海外挑戦を始めてからのことでした。

高校2年生でチェコ・クラドノに渡り、最初は不安がありながらもそれなりに結果も出せるようになり、チームでもレギュラーとして定着し始めていたジュニアリーグ一年目のことです。その日は試合直前の練習でした。いつも通り家を出てリンクに向かい、氷上練習の準備をしていた時に、コーチからその日の練習セットが発表されました。「今日は試合直前だし、今までずっと1セット目のフォワードとしてやってきてたから俺は変わらないだろう」と思ってメンバー表を見てみると、私の名前は、4セット目の欄に書かれていました。ホッケーを知らない方のために補足をすると、ホッケーはフォワード3人、ディフェンス2人の計5人が一つのセットとしてプレイします。つまりフォワードは3人のユニットが複数あることになります。チームやレベルによって方針は異なりますが、基本的に主力といわれるのはやはり第1、第2セットで、第3、第4セットというのはいわゆるトッププレイヤーではない選手たちの集まりであることが多いです。プロなどでは、4セット目まで均等に選手を起用することが一般的ですが、チェコでやっていたころは、3セット目までが試合に出るメンバー、4セット目は控え選手たちというのが私のチームのスタイルでした。

つまり、第4セットになったということは、自分が試合メンバーから落ちたことを意味します。その当時の個人成績は、22試合で9ゴール4アシストをマークしており、決して悪い数字ではありませんでした。
ではなぜ僕はメンバーから外れてしまったのか。その理由は単純で、僕よりうまい選手がチームに加入したからです。元々クラドノ出身で、カナダのジュニアトップリーグで活躍していたU20チェコ代表にも入っている選手が、チームに戻ってきました。きわめて当然のことですが、一人新しく入る選手がいるということは、そこには必ず落とされる選手がいます。それが私でした。コーチたちになぜ外されたかを聞いたところ、要約すれば「彼が優希のスポットに入った方が今より強くなる。2、3セット目もメンバーが固まっているからそこは変えられない。よって4セット目。」という事でした。今思えば、ある程度成績を残していた私をレギュラーから外したということは、きっとそこにはコーチの何らかの「意図」があったのだと思います。ただ、当時の私はそこまで考えられる余裕もなく、悔しさと悲しい気持ちでいっぱいでした。
実際に次の日の試合では、60分の試合の中で3回しか出場がありませんでした。実は、試合に出られない経験というのはこの時が人生初で、正直に言うとチームメイトのゴールも素直に喜べませんでした。そんな心の小さい自分に嫌気がさしていました。

「何かを変えないといけない。このままじゃだめだ。」と思っていた時に父から一通のラインが届きました。何かと思い確認してみると、それはサッカー元日本代表監督の岡田武史さんの講演をまとめた記事のリンクでした。そして、そこに書いてあった内容に、私は深く感動し、励まされ、勇気をもらい、記事を読み終わるころには、心の中にふつふつと燃え上がるような新たな感情が芽生えていました。


岡田監督といえば、1998年に日本を史上初のW杯出場に導いたり、2010年南アフリカW杯でも監督として指揮を振ったことで知られています。

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こちらの講演は早稲田大学で行われたもので、岡田武史さんが「自らの仕事に対する姿勢」を語った時の様子が文字に起こされていました。監督として、数々の挫折や困難を味わったときのリアルな内容が書いてあり、その一節に、「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」という言葉がありました。この言葉について、岡田さんはこのように述べています。

経営者でも「倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強い」とよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのは「ポーンとスイッチが入る」という言い方をします。これを(生物学者の)村上和雄先生なんかは「遺伝子にスイッチが入る」とよく言います。我々は氷河期や飢餓期というものを超えてきた強い遺伝子をご先祖様から受け継いでいるんですよ。ところが、こんな便利で快適で安全な、のほほんとした社会で暮らしていると、その遺伝子にスイッチが入らないんです。強さが出てこないんですよね。ところがどん底に行った時に、ポーンとスイッチが入るんですよ。人間が本当に苦しい時に、簡単に逃げたりあきらめたりしなかったら、遺伝子にスイッチが入ってくるということです。苦しい、もうどうしようもない、もう手がない。でも、それがどん底までいってしまうと足がつくんですよ。無心になんか中々なれないけど、そういうどん底のところで苦しみながらも耐えたらスイッチが入ってくるということです。(途中省略)

「途中にいるから中途半端、底まで落ちたら地に足がつく」
当時の私は、この言葉を見た時に、まさに今の自分はこの状態だと感じました。今まで試合に出てそこそこ活躍していて、きっとどこかで満足していた中途半端な自分の目を覚ましてくれました。もがいてもがいて、それでも本当にダメだった時に初めて地面に足がつき、高く飛び上がることができる。「今の自分は、本当にそのレベルまでもがいているのか?本気なのか?外されて落ち込めるほどのことをしていたか?」と強く考えさせられました。僕にとっては、この時が初めて「遺伝子にスイッチが入った」瞬間でした。私生活をはじめ、すべての面で「本当にそれでいいの?自分のベスト出し切ってる?それで試合出れるようになるの?」と常に意識をするようになりました。

この言葉に出会えたことで僕の心は大きく変わりました。「自分の持てる全ての力を出し切ったとき、それでも通用しないならしょうがない。まずは自分の全力を出し切る努力をしよう」と考えるようになりました。そうすると、怖いものや心配事は一気になくなり、気持ちが楽になった気がしました。試合に出られなくても、もし出番がいつ来てもいいようにできる限りの準備をするよう心がけました。練習でも、とにかく自分に負けないよう努力を続けました。この後、結果的には、あるタイミングで怪我をしたチームメイトの代わりに試合に出場するチャンスがあり、そこで活躍してレギュラーを取り返すことができました。ただ、試合に出れることになったことより、その過程を通して学んだこと、感じたことに価値があると私は考えています。本当に素晴らしい体験でした。海外挑戦を始めてから数えきれないほどの挫折を繰り返していますが、そのたびに私を支えてくれているのがこの考え方です。これからも初心を忘れず、地に足を付けて努力していきたいと思います。

最後に、当時私が読んだ、岡田さんの講演の記事全文がまだ残っていたので、下記リンクを紹介させていただきます。興味がある方は目を通してみてください。何回読んでも励まされます。

いつか岡田さん本人に感謝を伝えられるよう、立派な選手に必ずなります。

今回も最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

三浦優希



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