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76. "Be a hockey player"という言葉の意味

"You have to be a hockey player."

これは、練習中も試合中もコーチがよく使う言葉だ。直訳すれば「ホッケープレイヤーでいなさい。」となるが、本当の意味はこうだと僕は思っている。

それは、

「自分で考えて決断しなさい。」

ということ。

いったいこの言葉がどのようなタイミングで使われるかというと、プレイ中において選手自身の判断が求められる時だ。アイスホッケー界には、どんなチームにも、それぞれ「システム」というものが存在する。日本語で言えば「戦術」だろうか。競技レベルが上がれば上がるほど、その内容はどんどん濃くなっていく。

・この場面ではこのように動け
・相手がここにいるときはこうしろ
・フォアチェック(敵からパックを奪う際)の陣形はこうだ
・味方がパックを持ったらこのように動け
・敵にパックを取られたらこのように追え

などなど、このほかにも数えだしたらきりがないほど戦術というものは細かく定められている。一歩でも自分のいるべき場所からずれていたらそれが命取りとなる。そういった世界だ。

試合中に起こりうるシチュエーションを想定し、その対策としてコーチ陣が考えたこの「システム」をいち早く体現できない者は必然的に出場時間が少なくなっていく。当然のことだ。勝利することを前提に考えられたアイデアを実現できない選手は、チームを危険にさらす可能性があるからだ。

対戦するチームが変われば、こちらの戦術も変わる。試合中に相手の動きを読んで急遽フォーメーションが変わることもある。そういった事象に素早く気付き、求められるものに柔軟に対応する能力は、ことアイスホッケーにおいて非常に大切だ。

だが、これはあくまで大前提の話

「システム」が正しく機能したからと言って、試合に絶対に勝てるわけではない。この世には「絶対的戦術」というのは存在しない、とここ最近感じることが多い。今自分がプレイしているNCAA D1という舞台では、同じリーグに60チームが所属している。そして、どの大学も「自分なりのスタイル」というものがある。例えば守りの場面。自陣で敵にパックを持たれている際に、氷上にいる5人全員がパックに近づき、多人数でパックを奪おうとするスタイルがある。敵よりも人数を増やし素早くパックを奪取することを目的とするこの作戦は、メリットはあるものの、全員が小さく固まることにより、少し離れた場所で待機する敵をフリーにさせてしまうという弱点がある。

以下の写真はその一つの例。攻め込まれている赤色のチームは5人がなるべく近くに寄って黄色チームより人数を増やし、パックを奪うという作戦。しかし、黄色チームはそのことを知っているので、この後はリンク中央にフリーでいる黄24番にパスを出すことが出来た。

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おそらくどのチームも、毎週末に行われる試合へ向け、週の頭から敵のスタイルを知るためのミーティングをしている。いわゆる「スカウティング」だ。相手がどのように動くかを知り、自分たちがするべき動きをインストールする時間。相手の強み(Challenge)、そして弱み(Opportunity)を理解し、勝率を少しでも上げるために必要な作業だ。

そして、ここが大きなポイント。当たり前のことだが、いくら完璧と思われる対策を練ってたとしても、試合で100パーセントそれが実際に起こるわけではないということだ。必ず、どんな試合でも、想定外の状況というのは起こりうる。どんなに強力と思われる戦術にも、必ずどこかに欠点が生じる。不思議なもので、「完璧な解は存在しない」のだ。

そこで必要になるのが、"Being a hockey player"(ホッケー選手として最も適切な判断を自分自身がすること)なのである。

戦術通りに動いても、指示通りにプレイしても、それが絶対に正しい行動になるとは限らない。パック、敵、そして味方が常に移動するアイスホッケーというスポーツにおいては、常に自分で最適解を考え、判断し、実行する必要がある。

もちろん、最初に述べた通り、言われたことを体現することは当たり前に大切なわけだが、言いなりになっているだけでは想定外の状況に対応できなくなる。それに、「自分で考えることをやめてしまった瞬間に、成長は止まる」と私は考えている。

「この動きはしてはいけない」と言われているプレイが実はチームの危機を救うことだってあるかもしれない。本来ならゴール前にいるべき選手が、あえてゴールから離れたところに立つことで、得点を決めることだってきっとある。

もし、選手が指示通りに動かなかったとしても、その意図やアイデアが見えたとき、コーチはそのことを指摘せず、むしろ褒める。

基本や、求められる一定基準を体現した上で、最後は自分の判断を信じて行動すること。これが"hockey player"だ。

想定外が起こりうることを想定しておくことが大切なのだ。

そして、これはあくまで私の経験上だが、海外のトップ選手たちは日本で育った選手たちに比べてこの能力がとても高いように感じる。(ちなみに、私はたった3か国でしかプレイしていない身だ。全てを知っているかのように「海外」や「日本の選手」などとまとめるのは個人的にあまり好きではないが、ここではあえてそう言わせていただく。)

自分が育ってきた環境をここで振り返ると、小学生、中学生時代に所属していたチームで試合中に「決断を迫られる」という状況はそこまで多くなかった。あまりそのことをコーチから教えられた記憶もない。

そんな僕が、ほぼ毎日、「自らの判断によってチームの勝敗が決まる」という経験をすることが出来た時間がある。それは早実で過ごした1年半だ。高校生になって初めてスケート靴を履いたという未経験者がチームの半数以上を占めるこのアイスホッケー部では、必然的に経験者が自ら考え、常に選択をする必要があった。この期間で、私は本当に成長できたと思っている。初めて、「能動的」に物事を判断する習慣が身についた。本当に、早実で過ごした時間は私にとって宝物だし、多くの感動を共有させてくれた当時のチームメイトには感謝してもしきれない。

また、父の存在も大きかっただろう。試合が終わるたびに母が録画してくれたビデオを一緒に見て、たくさんのフィードバックをもらった。コーチとしてベンチに彼が入っている時も、私が自分で局面を打開しようとせずに、周りに任せて消極的なプレイをするとすぐに厳しい口調で怒鳴られた。

「人に任せるな!自分でやれ!」と。

当時は、「なんでこの人は俺にだけこんなに厳しいんだ」と感じていたが、今思えば、この時間は自分が”hockey player”になるための準備期間になっていたのかもしれない。

おそらくだが、現代の国内アイスホッケーにおいては、基本を教えてもらえることはあっても、このように自主性を育む環境というのはほぼ無いに等しいのではないだろうか。

何度も言うが、私はすべての現場を自分の目で見ているわけではない。それでも、様々な国内の環境、例えば国内トップの高校や大学でプレイしてきた選手たちと実際に関わったり、本人たちから直接話を聞く限り、国内において"hockey Player"でいる(自分の判断に従う)ことはあまり許容されず、コーチ陣からの指示に従わなければ、ずっと試合に出させてもらえないなんてことをよく聞く。

こういった環境が、選手の創造性を削っていく。

一方で、僕がプレイしたチェコ、アメリカで出会ったチームメイトたちは本当に「自由」に見えた。特に、チーム内トップスコアラーの選手たちだ。ただ、「自由」と言っても、彼らは自分がただやりたい放題でプレイしているわけではないのだ。彼らは、チームが定める哲学やルールをしっかりと理解し、それらを実行していく中で周りとは違ったアイデアを次々と生み出してゆく。そして、コーチもそれをわかっている。僕の目にはそう見えた。

海外に出たことで私のアイスホッケーに対する考え方は、がらりと変わった。ただの”player"と”hockey player"の違いがよくわかるようになった。

そして、これはホッケーに限らず、全てのスポーツ、もっと言えばビジネスなどすべての事柄に共通して言えることではないだろうか。"soccer player"でも同じことが言えるはずだ。

今の自分が、どの程度”hockey player"であるのかはわからないが、トップへ行くためにはまだまだこの要素が足りないことは自明の理だ。もっともっと磨かなければいけない部分が多くある。だからこそ、学ぶことをやめてはいけない。自ら考えることを止めてはいけない。常に貪欲に、成長を求めて「自ら」挑戦を続けること。

この姿勢を、この先も失わないように。

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今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。

三浦優希

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