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デザインの世界への招待状 #4 デザイン界が置かれた現状

こんにちは。アートディレクターの三宅佑樹(@yuki_miyake)と申します。ビジュアルデザインやブランドコンサルティングなどを行うICVGというデザイン会社の代表をしています。

デザインの社会的活用を推進するためにはデザインをもっと身近な存在にする必要がある。その方法の1つとして、他分野からデザインの世界に入ってみようかなと考えている人をメインの対象として、広い意味での「デザイン」の世界を案内する「デザインの世界への招待状」という連載をお送りしています。

前回の記事はこちら↓
デザインの世界への招待状 #3 拡張するデザイン領域
# 1・#2の2〜3倍の方に読んで頂けたようです。たくさんのスキやシェア、ありがとうございました!


いよいよ残すところあと2回となりました。

# 4のテーマは「デザイン界が置かれた現状」。
前半は2000年代以降に起こったデザイン界に関連する大きな出来事、後半はそれを踏まえて今デザイン界がどのような社会の動きの中に置かれているかを鳥瞰してみたいと思います。

それでは早速見ていきましょう。

(「何年」という数字は、年数がはっきりしている具体的な出来事以外は、日本において「一般的に広く知られ始めた年」を書いています。個人の感覚によってある程度の誤差はあるものとして大目に見て頂ければ幸いです。)


2001年

iPod発売。iシリーズの始まり。

今に続くiシリーズとAppleの快進撃がここから始まりました。iTunesとのスムーズな連携、白やシルバーを基調にしたスタイリッシュなデザインで、市場で一気にシェアを獲得していきました。

ただ、まだこの頃は、Appleの好調の要因としてデザインの力が挙げられることは少なく、オペレーションの効率性やジョブズ氏のリーダーシップ、垂直統合のクローズド戦略を要因とする指摘がほとんどだった気がします。Appleのデザイン戦略、そして経営におけるデザインの重要性に日本のビジネス社会で注目が集まるようになったのは、2010年代に入ってからなのではないかと思います。


2003年頃

「ブランド戦略」が注目され始める

90年代にDavid A. Aakerがブランド論3部作を著し、日本では2000年を少し過ぎた頃から注目され始めたと思います。大学の卒論のテーマがブランド戦略だったのでよく覚えているのですが、この頃から書店のビジネス書のコーナーに「ブランド戦略」「ブランディング」と題した本が目立ち始め、「ブランド」という言葉がビジネスシーンで盛んに使われるようになっていきました。

ブランドの理念を消費者に正しく伝える上で、またブランド戦略の要諦である「一貫性」を徹底する上で、デザインは非常に重要な役割を担います。今では経営におけるデザインの重要性を語る上でブランドマネジメントの話は欠かせないポイントとなりました。


2006年頃

佐藤可士和氏の登場

広告業界では1995年にホンダ・インテグラのキャンペーンでADC賞を受賞した頃からすでに有名な存在でいらっしゃったようですが、2006年前後からメディアに登場することが多くなり、テレビ出演や著作を通じて世の中に広くその名が知れ渡ることとなりました。

明解な言葉でもってデザインは「本質を抽出して提示すること」であることを社会に説明し、ユニクロの仕事をはじめとして、デザイナーを経営者のすぐ近くでアドバイスする存在として広く印象付けたその功績は計り知れないものがあると思います。


2010年頃

ソーシャルネットワークとスタートアップの勃興

2010年前後、Facebook、Twitterといったアメリカ発のSNSの波が日本に押し寄せました。同時にシリコンバレーを中心とした「スタートアップ」の勢い・文化が日本に伝播し、経済・社会に大きな変化をもたらしました。

この頃同時に、スマートフォンの登場とアプリ市場の誕生によってAppleとGoogleもその勢いをさらに増し、強力なポジションを築き上げました。

日本のビジネス社会で「デザインは重要だ」という認識が徐々に広がり始めたのは、国内由来の内発的な変化ではなく、こうした強大な影響力を持ったアメリカのテック系企業とAirBnBのような成功したスタートアップがデザインを重視していることに影響を受けたものではないか、と私は考えています。


2012年頃

クラウドソーシングサービスの登場

2012年3月にクラウドワークスがクローズドβ版のサービス開始、同年5月にはランサーズが(株)リートから社名変更してクラウドシーシングに事業を集中させるなど、この頃からクラウドソーシングが注目を集め始めました。

(発注者の立場からすれば)安価な報酬で大量のデザイン案を集められるというサービスの登場は、デザイン業界に様々な影響を与えています。


2013年頃〜

異業種によるデザイン会社の買収が相次ぐ

2013年頃から海外においてIT・金融系の事業会社やコンサルティングファームによるデザイン会社買収のニュースが相次ぎました。

スマートフォンの普及により、WEBやアプリの使用体験が購買選択を大きく左右するようになったことや、コンサルティングファームの差別化要素として自社内にデザイン組織を置くことの重要性が増していること(デザインやデジタルに関わる戦略策定、迅速な実行支援、魅力的なプレゼンテーションなどのため)などがこうした動きの背景にあると考えられます。

日本においても、2016年2月に博報堂DYホールディングスの戦略事業組織「kyu」が世界的なデザインファームであるIDEOの30%の株式を取得したことや、同年4月にアクセンチュアがデジタルマーケティングの包括的支援を行うアイ・エム・ジェイの過半数の株式を取得したことが大きな話題となりました。


2014年頃

「デザイン思考」が注目され始める

欧米のデザインファームやデザインスクールを中心に体系化された「デザイン思考」が、日本のビジネス社会において広く認知され始めたのが2014-15年頃だったと思います。

それまで(今もまだ若干そうですが・・)非論理的で感覚的な思考の持ち主であり、企画フェーズのメンバーに入れるには値しないというイメージをビジネス社会において持たれがちだったデザイナーが、この言葉の普及によって(+先述したアメリカのテック系企業・スタートアップの躍進の影響もあって)、その存在と思考スタイルの価値を見直されるようになりました。

時々、少し表層的に使われているなと感じることもなくはない言葉ですが、ひとまずこの概念がビジネス社会に広く普及したことは、デザイン業界にとって、そしてデザイナーにとって、地位向上につながる大きな転換点だったのではないかと思います。


2015年

新国立競技場ザハ案の白紙撤回

(写真はZaha Hadid ArchitectsによるGalaxy SOHO)

世論が一番問題視したのは巨額の建設コストと、見積が次々に膨れ上がっていくこと、その背景にある決定プロセス、周辺環境との調和だったと思います。

コストの問題に関しては、長期的な経済利益とセットで論じられるべきだと思いますが、ここがデザインの難しいところで、そのデザインがどれだけの経済利益をもたらすか、別のデザインならどう変わるのか、を事前に数値で証明することは極めて難しいことです。

UIの部分的な検証などであればA/Bテストで迅速な結果判断→改善が可能ですが(しかしそれでも事後(実装後)にはなってしまう)、建築のような巨大な造形物になるとそうした対応は不可能です。

しかし、事前の証明可能性と効果の有無はもちろん全く別です。人は現実として「こっちのほうが可愛い」「あの店は居心地がいい」「なんか安っぽい」「これは持ちにくい」などと、デザインによっても購買を判断しており、適切なデザインには経済効果が当然ながらあるはずです。それを事前に数値で証明しろと言われると、難しいのです。(だから、経営においてはトップがデザインの価値を信じていなければデザインの力が活用されることはない。)

AIが発達した未来では何らかの予測が可能になるのかもしれませんが、今のところこの問題の1つの解は、ひたすらデザインと経済効果に関する事例を集めていくことではないかと思います。

山口周氏の著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』で、経営におけるアート(直感/感性)的側面の説明責任の話が書かれているので、興味のある方はお読み頂ければと思います。

最終的な決定案の設計者となった隈研吾氏の『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』は、今の社会を取り巻く空気の中で建築家がどのような姿勢で仕事に臨むべきかについて氏の持論が展開されていて、どの分野のデザイナーにとっても非常に参考になります。


エンブレム問題

ザハ案の白紙撤回が7月17日。その1週間後の24日に2020東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが発表され、ベルギーのリエージュ劇場のロゴ制作者が盗作だと主張したことでいわゆるエンブレム問題が起こりました。

新国立競技場の議論と共通する点として、決定プロセスに対する人々の不満というのが、個人的にとても印象に残りました。つまり、関心のある人に対して「過程を逐一オープンにすること」が、決定について支持を得る上で非常に重要な時代になっているのだな、ということです。これは公のプロジェクトはもちろん、ロイヤルティの高いユーザーが多数利用している私企業のサービスにも言えることかもしれません。

また、私自身、バウハウス教育を踏襲した学校でデザインを学んだ者として、「less is more」(少ないことはより良いこと)の言葉に代表されるようなモダニズムデザインの文脈に囚われ過ぎると、その歴史・文脈を知らない人の感覚と時として乖離が発生することがあると、仕事をしていて時々感じます。デザイナーが信じる造形と、クライアント(あるいはユーザー。今回は国民)が歓迎する造形と、その両方を満たす造形というのがきっとあるはずで、デザイナーにはそこを狙う努力が求められているのだと改めて思いました。

エンブレム問題については、加島卓氏が著した『オリンピック・デザイン・マーケティング』が、経緯の記録と多方面からの考察を非常にフラットな姿勢で記していて、興味のある方にはおすすめです。この本の終盤に書かれていた、野老氏による決定案の「オープンデザイン性」についての指摘は、中央集権から非中央集権へと向かう現在の社会の変化がこんなところにまで影響しているのかと、深く考えさせられました。


2016年

Adobe Sensei の発表

2016年のAdobe MAXにおいて人工知能と機械学習を統合した「Adobe Sensei」が発表され、翌2017年の同イベントで披露されたデモンストレーションが業界で大きな話題となったのは記憶に新しいところです。

デザイナーの制作作業を強力にサポートし、単純作業から解放してくれるであろうこの技術は、一方で、これまでデザイナーが行い、対価の対象として考えられてきた作業の一部分を機械的に代行してしまうものでもあり、デザイナー各々に対して改めて自分の存在価値、自分にしか提供できない付加価値とは何なのか?を考えさせ、ワークスタイルの変革を迫るものになっていくと予想されます。


デザイナーを取り巻く時代の動き

上記の個別の出来事も踏まえ、2018年の現在、デザイナーを取り巻いている時代の大きな動き・流れを列挙してみたいと思います。

自動化・テンプレ化

Adobe Senseiに代表されるような制作業務の自動化の流れというのは今後加速していくでしょう。制作がスムーズになる反面、単純な作業の経済的価値は低くなっていきます。発注者側がテンプレートを利用することでコストを削減しようとする動きも、今の時点ですでに顕著ですが、これも今後変わらずに続くと思われます。

欲求の高次化

社会が豊かになるにつれ、一通りのモノは、世の中にも、自分の身の周りにもすでにある程度揃っていて、これまでの経済を動かしてきた消費に対する欲求は薄れ、より精神的な意味を感じられるモノやサービスに時間や金銭を投じる社会になってきています。他と同じような単純なモノやサービスを作るためのデザインと、唯一性の高いそれらを作るためのデザインとでは、扱われ方に大きな差が出てくるでしょう。

共創・参加

精神的な意味を感じるモノやサービスとして、「自分が関わっている」あるいは「自分と距離が近い」と感じられる対象に人々が価値を感じるようになっています。完璧に整えられたモノやサービスを一方的に与えられるより、不完全なところがあってもいいから自分も一緒に参加して作り上げる余白があるようなものに面白みを感じる時代に。完璧な「あるべき姿」を提示しようとしてきたこれまでのデザイナーの思考は変革が求められるでしょう。

透明化

新国立やエンブレムの件に見られるように、SNSが普及して個人の声が大きくなり、情報透明化社会となったことで、プロセスの開示に対する圧力は急速に増してきています。これはコンペのみならず、デザイナー業務すべてに対して、その価値やプロセスをしっかりと説明するように社会から求められることにつながっていくと思われます。

不確実

テクノロジーによって社会構造や人々の価値観が急速に変わっていく時代となり、10年先の社会がどうなっているかもう誰にも予測がつかないという状況になりつつあります。新しいものをフラットに受け入れ、柔軟な発想ができる人材が重要となり、比較的そうした性質を持ち合わせる人が多いデザイナーは企画・戦略フェーズへの参画がしやすくなるでしょう。

分散

変化の激しい社会で大きな組織が維持しづらくなったこと、 SNSの普及で個人が力を持ったこと、ネットで情報に触れやすくなったことで価値観が多様化したことなどから、「分散」の時代へと向かっています。この分散した社会の中で、特性の異なる集団同士を繋ぎ、社会を円滑に運営するために、また互いの強みを活用し合うために、「統合者」の存在が重要になります。バランサーやファシリテーターとしてのデザイナーの存在価値が高まるかもしれません。

越境

この連載でもたびたびキーワードとして出てきた「越境」。テクノロジーの進化、急速な社会の変化への対応、付加価値の重要性、そういった一連の動きが、単独分野での対応を難しくし、領域が相互に乗り入れするような状況へとつながっているのではと思います。他分野とデザインの越境、またデザインの中の領域間の越境が今以上に進行し、境界が溶けていくと予想されます。


デザインをめぐる社会の動きはこの10年、もっと言えばこの5年の間に慌ただしく変化してきました。デザイナーにとって厳しい状況のように感じる動きもあれば、逆にチャンスと見られる動きもあります。この変化に合わせて、これまでデザイナー自身が抱き、また社会の中でイメージづけられてきた「デザイナー像」も、新時代に適したものにバージョンアップされるべき時期なのではないかと思います。

次回はいよいよ最終回。「# 5 デザイナー像の刷新によるデザイン新時代へ」です。タイトルに負けない内容をこれから考えます(笑)

それではまた次回、お会いしましょう!

Twitter / @yuki_miyake:お気軽にフォローをどうぞ。

参考文献

・日経アーキテクチュア編『「新国立」破綻の構図』(日経BP社)
・加島卓『オリンピック・デザイン・マーケティング』(河出書房新社) 

画像出典

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