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デザインの世界への招待状 #1 デザインの世界へ

はじめまして。アートディレクターの三宅佑樹(@yuki_miyake)と申します。
ビジュアルデザインやブランドコンサルティングなどを行うICVGというデザイン会社の代表をしています。

noteでは最近、各分野のデザイナーによる専門的で興味深い記事がたくさん投稿されています。それを見ながら、自分だったら何を書きたいか、書くべきかを考えたときに、デザイン界全体の未来につながることを書きたいなと思いました。

そこで、デザインの世界に足を踏み入れてみたいと考えている社会人の方や、デザイン系の学部ではないけれども将来デザイナーになることを視野に入れている学生の方をメインの対象として、デザインの世界とはどういう世界なのか、今どのような状況に置かれているのか、その概要をなるべく平易に説明する連載(5回を予定)を始めてみたいと思います。

「メイン」と書きましたが、次のような方にも有益になると考えています。
①デザインの道に進むことは考えていないが、デザインに関心を寄せている社会人の方(事業活動にデザインの力を活用したいと考えている、など)
②特定のデザイン領域に従事している現役のデザイナーや、デザインを学び始めている学生

②についてですが、最近、ネット上のデザインをめぐる議論を見ていると、分野ごとに話が分断されていて、領域を横断するような、広い意味での「デザイン」についての議論を見ることが非常に少ない(のが何となく寂しいな)、という印象があります。そういった意味で、このnoteではなるべく幅広く、領域を限定しない形で「デザイン」のお話をすることにより、今一度広い意味での「デザイン」について振り返る機会にして頂けたら幸いです。


はじめに

まず始めに、なぜ違う分野からデザインの道に進もうとしている人(以下「越境者」と呼ぶ)に向けて書くことが、デザインの未来につながるのか、というお話。

前提にやや主観が入っているので(おそらく共感は得られると思うのですが...)、違和感を感じたらここは読み飛ばして頂いて結構です。

後ほど詳しく書きますが、元々私がデザインとは縁遠い世界からデザインの道に進んだこともあり、デザインという分野、あるいはデザイナーという存在が世の中からどのように見られているかということに少し敏感なところがあります。

かつての自分がそうであったように、恐らくデザイナーとあまり触れ合う機会がない多くの人たちは、デザイナーに対して「ちょっと変わった人」「クセがあってコミュニケーションがとりにくい人」「論理的思考力がなく感覚で判断する人」というイメージを抱いていることが多いのではないかと思います。

デザインの定義は平たく言うと「良い状況を導くために適切に設計すること」。そしてその対象は「世の中のありとあらゆる人工物や人間同士のコミュニケーション」です。※1

これをまとめると、デザインは「世の中のありとあらゆる人工物や人間同士のコミュニケーションについて、良い状況を導くために適切に設計すること」となります。

上の文言を読むと、改めてデザインというものが、社会にとって実は極めて重要なものである、ということが感じられるのではと思います。

でも、その非常に重要なものを担っている人=「デザイナー」という言葉には、「ちょっと変わった人たち」という昔ながらのイメージが今も根強く残ってしまっている。※2

このイメージが変わらない限り、デザインという行為はいつまで経っても「ちょっと変わった人たちが、ちょっと変わった考え方のもとでやっている、ちょっと変わった仕事」という先入観や警戒感とともに受け止められてしまいます。そうした社会では、デザインの力が活用される機会は非常に限定的となるでしょう。

「デザインの力を活用する」ということについて、ちょっと唐突ではありますが、ここで星野リゾート、中川政七商店、BAKEの3社の代表のインタビュー記事をご紹介します。

星野佳路「建築家は僕のカウンターパートナー。摩擦からしかいいものは生まれない」
中川政七とものづくりをするインハウスデザイナーの矜持
BAKE「美味しさは「体験」でつくる 洋菓子スタートアップ、急成長の理由」 (←Google検索から入ると全文が見られる)

消費者を魅了し続けているこれら企業の経営トップが、デザインの力を信じて積極的に活用していることが窺えます。

ではどうすればデザイナーのイメージは変えられるのか。

①大人になるまでの過程でデザイン系の人と日常的に触れ合う機会がある
②違う分野から越境してくる人を増やす
③デザイナー自身が変わる

①については、やはり教育の場が最もイメージしやすいかと思われます。
実行上の課題を一旦無視しますが、義務教育課程でデザインの科目を設けたり(美術の一部ではなく独立した科目として)、総合大学にデザイン学部または学科があって、法学部や商学部の学生とデザイン科の学生が日常的に交流していたり(こういう風景が当たり前になれば、起業やデザインの社会的活用が急激に増えそうな予感がします)、大学院としてビジネススクールと並んでデザインスクールがあったり(StanfordHarvardのように)。

個人レベルで今すぐに出来ることとしては、②の、情報発信を通じて越境しようとしている人の背中を押してあげたり刺激したりして、越境者を増やすということがあるのではないかと思います。

違う分野からデザインの世界に「越境」してくる人が増えれば、その人の周囲にいるであろう、デザインの世界に対してまだ心理的に距離を感じている人たちのデザイン/デザイナーに対する見方を変えられる可能性があるからです。オセロをひっくり返す、といいましょうか。

そのためにほんの少しでも貢献できれば、というのがこの連載の目的です。

あと、一方でデザイナーは「存在としては身近になりつつも、専門性は高めていく」、ここが大事なポイントになってくると思います。

③については#4で書く予定です。


デザインの世界に入る

私は大学の経済学科(ゼミは経営学)を卒業した後、都市銀行に就職。その後、人生を180度変えるようにデザインの道に進みました。

親戚を見渡しても芸術系・デザイン系は一人もいなかった(もっと言えば"デザイナー"と呼ばれる人と一度も触れ合ったことがなかった)ため、それまで自分が歩んできた人生からすると、全くの「異世界」に足を踏み入れる思いでした。

そう、何を隠そう、この時点では私自身も「デザインの世界というのはちょっと変わった変な人たちが生息する世界なんだ」という先入観をもって警戒していたのです。

桑沢デザイン研究所という、バウハウスのデザイン思想を継承したデザイン学校のスペースデザイン(空間)コースで学び、卒業後にグラフィックに転向しました。

学校で学び始めてすぐに気づきました。「あれ? 奇抜な人なんていないじゃないか!」と。見た目の話だけではありません。考え方についても、デザインという作業には論理的思考能力が不可欠だということにすぐに気づきました。その理由は大きく3つあります。

1.論理的に組み立てていかないとデザインを決められないから。
2.論理的に考えたデザインでないと人に説明できないから。
3.論理的に考えたデザインでないと使用時に不具合が発生するから。

もちろん、感覚や感性の部分を否定するつもりはありません。むしろそれもデザインにおいて非常に重要な要素だと考えています。それは、

1.常に言葉で説明する機会があるわけではないから。
2.ぱっと見の第一印象が人の選択を決める要因になることも多いから。
3.人は美しいもの、圧倒されるもの、見たことがないものに感動する(その結果、購買などの経済活動や協力などの社会的活動に出ることがある)生き物だから。

人によって多少違いはあると思いますが、
まず目的やコンセプト、クリアしていないといけない諸条件を確認し(論理) → 一旦感性の領域に飛んで発想を膨らませ(感性) → 考えたアイデアをもう一度論理的に検証する(論理)
という順番を辿ってデザインを行うデザイナーが多いのではないかと思います(この論理と感性の往復を、何度も、時には高速で繰り返してデザインを構築していく)。

優れたデザイナーほど、論理的思考能力が発達していて、ゆえに人に説明するのも上手いものです。


デザインの力を信じる

音楽家が音楽の力を信じるように、科学者が科学の力を信じるように、本気でデザインの道を歩んでいるほとんどのデザイナーは「デザインの力」を信じていると思います。

最も大切な医療の現場を例にとれば、デザイナーは、5分後や5時間後に死んでしまうかもしれない人を目の前にしたときには、何の役にも立たない無力な人間かもしれません。しかし、5年後に死んでしまうかもしれない人に対しては、医療器具のデザイン、救急搬入ルートの最適な動線の設計、伝達ミスを防止するコミュニケーションフローのデザイン、モニターに映る数値やグラフのビジュアライゼーション、薬の飲み忘れを防ぐメディスンケースのデザインなどを通じて、人の命を救うことに具体的に貢献することができます。※3,4

罹患前の予防段階でも、親しみやすく、快適な病院のインテリアデザインや、待ち時間を少なくするサービスデザイン、使いやすく安価な検査キットのプロダクトデザイン、堅苦しくなく気軽な気持ちで受診できそうに思わせるグラフィックデザインなどは、定期検診に訪れる受診者の人数や回数を増やしたり、自宅で簡易診断をする人の数を増やし、予防医療に貢献することができるでしょう。

日常生活に目を向ければ、デザインが活躍できる機会はさらに大きく広がります。着ていると自信が湧いてくるファッション、土地の記憶を現代に継承する建築、機能と美観が一体となった流線形の機体、美味しさを感じさせるパッケージ、使っていて楽しさを感じさせるユーザーインターフェースなどなど、様々な場面で、デザインの力を有効に活用したケースを見ることが出来ます。

良いことばかり書きましたが、当然ながら、デザインが悪ければ、結果にも悪影響を与えます。安全なデザインの裏返しは危険なデザイン。売上を上げるデザインの裏返しは売上を下げるデザイン。責任は重大。だからこそ、デザイナーは最善のデザインを提案できるよう思考力と技術力を磨くと同時に、その提案にきちんと耳を傾けてもらえるように、まずは社会から信頼を勝ち得る必要があります(だから、もうそろそろ「変わった人」のイメージから脱却したい)。※5

また、テクノロジーの力によって急激に変化していく社会の中で、デザイナーもまた考え方の変革を求められつつあります。(このお話は#3か#4で) 

もちろんデザイナーにも課題が沢山ありますし、万能なわけではありません。

それでも、真っ白なキャンバスから魅力的な造形や体験を創り出し、人の心を動かすことで経済活動を促進したり社会の課題解決に貢献できる、デザイナーにはそういった力があると私は信じていますし、その力を社会の中でもっと積極的に活用してもらえるように、1人のデザイナーとして微力ながら貢献していければと考えています。

長くなりましたが、ここまでお読み頂き、有難うございました。早くも本当にあと4回書けるのか!?と自信が無くなってきていますが(笑)、次回の記事が公開されましたら引き続きお読み頂ければ幸いです。

Twitter / @yuki_miyake:お気軽にフォローをどうぞ。

最後に、今後の連載の目次(予定)です。

目次(予定)

# 1 デザインの世界へ
# 2 デザインの学び方
# 3 拡張するデザイン領域
# 4 デザイン界が置かれた現状
# 5 デザイナー像の刷新によるデザイン新時代へ

(12/23追記:#5「デザインの学び方」→#2に変更)

それではまた次回、お会いしましょう。

※1 「モノ・情報と人とのインタラクション」も含む。
※2 ここでは分かりやすい表現として敢えて「変わった」と書いているが、厳密には変わっていることが悪いわけではなく(人間誰しもどこかしら変わったところはあると思うので)、「論理的な思考や意思疎通ができない」という意味。
※3 インダストリアルデザイナーの川崎和男氏は人工臓器のデザインまで手がけた。
※4 米国に本社のあるデザインファームIDEOはセントルイスのSSMデポール病院からの依頼で、新しい病棟の設計に際して「医療側の合理性を重視した視点」と「患者側の不安な感情に配慮した視点」を両立した患者体験の設計を行ったり、カイザー・パーマネンテからの依頼で「看護師間の患者情報の引き継ぎの仕方」をデザインするプロジェクトを行った。(『デザイン思考が世界を変える』)
※5 洞察が不足したデザインは人を傷つける道具にもなり得る。間も無く邦訳が発売される『悲劇的なデザイン』は、特にUI/UX領域のデザイナーにとって参考となるかもしれない。

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