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デザインの世界への招待状 #5(最終回) デザイナー像の刷新によるデザイン新時代へ

こんにちは。アートディレクターの三宅佑樹(@yuki_miyake)と申します。ビジュアルデザインやブランドコンサルティングなどを行うICVGというデザイン会社の代表をしています。

デザインの社会的活用を推進するためにはデザインをもっと身近な存在にする必要がある。その方法の1つとして、他分野からデザインの世界に入ってみようかなと考えている人をメインの対象として、広い意味での「デザイン」の世界を案内する「デザインの世界への招待状」という連載をお送りしています。

前回の記事はこちら↓
デザインの世界への招待状 # 4 デザイン界が置かれた現状
たくさんのスキやシェア、ありがとうございました!


いよいよ最終回となりました。
最後のテーマは「デザイナー像の刷新によるデザイン新時代へ」。

これまでの4回の総まとめとして、現在に至るまで非常に長い間社会の中で持たれてきたデザイナーのイメージと、それを刷新した上で今後新たに作り上げるべき(と私が考える)デザイナー像についてまとめてみました。

それでは早速見ていきましょう。


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これまでのデザイナーは多くの人にとって珍しい存在だったと思います。家族や親戚にアーティストやデザイナーがいるという環境でもなければ、「自分とは違う世界の人」という印象を持ってもおかしくないでしょうし、一生出会う機会が無いという人も多いかもしれません。

連載で述べてきたように、これからのデザイナーは専門性は高めつつも存在としては身近であるべきだと思います。

デザインの重要性が認識されつつあること、デザインの定義が拡張していることを鑑みれば、今後はある程度の規模(例えば20人以上)の組織であれば、「○○デザイナー」と呼ばれる人が必ずいたり、総合大学にデザイン学部学科が当たり前にあってデザイン系の学生と文系・理系の学生が日常的に交流したり、義務教育課程にデザインが組み込まれて小学校の頃からデザイナーと接する機会がある、という状況になっていくことが望ましいと思います。


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「感覚的で何も考えていない人」「ちょっと変わっていてまともに意思疎通をとることが難しい人」といった昔ながらのデザイナーのイメージが一体どこから来ているか、原因は定かではありませんが、そうしたイメージが日本社会に根強く残っていることは確かです。

真剣にデザインに向き合っているデザイナーとある程度の期間共に仕事をしたことがある人であれば、デザイナーが論理的思考の持ち主でもあることにすぐに気がつくのではないかと思います。なぜこの色なのか、この形なのか、この順番なのか、それを考え、組み立て、人に説明するにはロジックが必要だからです。

もうそろそろ、「感覚的で変わった人」というイメージは払拭されてよいのではないかと思います。そのためには、後述の「言葉で説明できる」「耳を傾ける」「多分野の知識を身につけて共通言語で話せる」などがポイントになってくるでしょう。


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おそらく現状ではデザイナーといえば「色・形を設計する人」と考えられていて、体験やシステム、制度を設計するデザイナーがいる、ということは世の中の多くの人にはまだ知られていないのではないかと思います。

課題の本質に意識を向け、良い状況を導くための最適な解決法(時には造形、時には体験やシステム、制度)を設計する人、という広義のイメージにこれから少しずつ変わっていくでしょう(これは変えていくというより、時代の流れとして自然に変わっていくような気がします)。

その際に発生するであろう、「デザイナー」という職能範囲の曖昧さへの疑義については一人一人のデザイナーが自らの領域の確かな専門性(知識+技能)でもって応えていくしかないと思います。


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特に伝統的な造形のデザインの世界では、デザインについて言葉で説明したり発信したりすることを「ダサい」と見る向きが今でも根強く残っています。

「商業美術」という言葉に見られるように、アートと近接した職業であることからそうした風潮が生まれたのだと思いますが、現実の経済や社会を動かす1つの歯車としての役割も持つデザインの場合、関係各所とのコミュニケーションは仕事の大きな部分を占めるわけで、当たり前ですが本来はデザインを言葉で説明するということは非常に重要であるはずです。

身の回りの人工物のすべてに関係するものでありながら、これまで社会の中でデザインの重要性がなかなか理解されてこなかったその原因の1つは、言語化や発信に消極的だったデザイナー側の姿勢もあるのではないかと私は感じています。そろそろ、この呪縛を解き放ち、デザインの言語化を奨励するような空気に変わるべき時なのではないかと思います。それは間違いなく、デザイン界全体に大きなメリットをもたらすはずです。

私自身、つい最近まで呪縛に囚われていた人間の1人で、そこからの脱却のためにこの連載を始めました。結果、デザイナーではないけれどもデザインに関心があるという人から「分かりやすい」「こういうのを待っていた」といった反響を沢山頂けて、やはり言語化の意義は大きいなと感じました。


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これまでのデザイナーは自分の感覚を絶対的に信じ、「自分が作るのだ!」という意識が強かったのではないかと個人的には思っています。しかしここ数年、そういう意識ではデザインの仕事はやっていけなくなりつつある空気を感じます。(「元々そうだろ」と言われればそうかもしれないですが...)

情報の非対称性がネットにより弱まり、発注側も様々なデザインを見聞きしているために制作に参加する意識が強くなっていること、同じくネットにより発注先の確保が用意になり、耳を傾ける姿勢のないデザイナーはすぐに交代させられる可能性が高くなったこと、価値観の多様化によりデザイナー自身の価値観とターゲット層のそれに乖離があることも多くなり、自分の考え方に固執すると状況を見誤る可能性が高くなってきていること、などが要因として挙げられます。

デザイナーとして自分の感性を日々磨き、それに自信を持つことは決して悪いことではないですし、その自信と他者の声に耳を傾けることのバランスが非常に難しいところではあるのですが、関係各所の声に一通りしっかりと耳を傾け(本質的に完全におかしいと感じることを除き)、それらの要望を形にまとめ上げる過程で自分の感性が必要になる、と考えれば、自信とのバランスをとることもできるのではと思います。

(このあたり、興味のある方は建築家の隈研吾氏の最近の著作をおすすめします。)


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ここ最近、デザイナーの「ファシリテーター」としての役割に注目や期待をする声をよく聞く気がします。

これは幾つか理由があり、1つはデザイナーの「本質」に意識を集中する性質が議論を正しい方向に導くことにつながるということ、普段から膨大な諸条件を考慮しながら形にまとめ上げる仕事をしているため、検討事項のバランスや優先順位を整理することに長けていること、ビジュアルで書きながら考えることが習慣になっており、議論を図で整理できること、などが関係していると思います。

従来のデザイナーは「これをこの予算で、この大きさで作ってほしい」などと、要件が決まった後で声をかけられることが多かったと思いますが、デザイナーのこうした能力が広く認知されていくと、企画段階や要件を整理する段階から声をかけられることが増えていくのではないかと予想されます。


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これまでのデザイナーは、デザインのことしか知らない・興味がない、というイメージを持たれがちだった気がします。(そのイメージは全体としては間違っていると思いますが、中には当てはまるデザイナーもいるのは事実かもしれません。)

デザインの力を、デザイナーの力を社会の中でもっと活用してもらうようにするためには、経済、ビジネス、テクノロジーなどデザインの仕事に関連する領域の知識を身につけ、他分野の関係者と共通言語で会話できるようになることが重要だと感じます。

やはりデザイナーはまだまだ、一般的に「世界が違う人」「かっこいいものを作ることしか興味がない人」というイメージを根強く持たれているため、こうした共通言語を話すことでそのイメージが覆り、「議論できる相手」と認識してもらえるようになると思います。(そしてそのことが生む効果は絶大だと思います。)


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これまでのデザイナーは誰かから依頼の声がかかるのを待って動く、という受動的な姿勢が基本だったと思います。今後、デザイナーはより企画側に回って動くケースが増えていくのではと感じます。

具体的には、前述のようにデザインの力が社会の中で少しずつ認められていき、企画段階から相談を受けたり、さらに言えば経営に参画するケースが増えていくと予想されるということ、また、デザインの技能を発揮する方法として、デザイナー自身が自分で(誰かの依頼を待たずに)サービスを世の中に提示するという道も当然あるわけですが、ハード・ソフト両面のインフラの発達によって一昔前に比べてその道に挑戦しやすい環境になっている、ということです。

これはデザイナーに2つのリターンをもたらすと思います。1つは自分の考えを100%思い切り表現できる場所を作れるということ、もう1つは自分が主催者になることで事業のリスクや難しさを知り、クライアントの気持ちを理解したり、マネジメントやマーケティング、オペレーションなどの共通言語を獲得する機会になるということです。


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これは今すぐ180度変わるということではなく、徐々に割合が移っていく、ということですが、1つには急速に変化する時代のスピードのため、1つには誰でも使えるツールの発達のため、1つにはユーザーが参加できることに価値が発生する時代になるため、デザイナーが完璧で固定された一点物のデザインを作る仕事から、他の人がカスタマイズして利用したり楽しむためのフォーマットや仕組みをデザインする仕事へと変わっていく可能性が高いということです。

これは元々チームラボの猪子さんが9-10年前に発言していたことなのですが、

“プラットフォーム”を作ることがこれからのデザイン
(2009年4月「TOKYO SOURCE」猪子寿之インタビューより)

2018年の今、確かにそうなりつつある気配を多くのデザイナーが感じているのではないかと思います。これからこの動きが加速していくとすれば、デザイナーのこれまでのマインド(自分が作る、完璧なものを作る、依頼を受けて作る、など)は大きく変革を求められるはずです。


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これだけは変わらない、ということです。「圧倒的な設計力」こそ、デザイナーがデザイナーとして呼ばれ続けるための根拠になるでしょう。

デザインの対象がモノからコト、造形から体験・システム・制度へと広がったり、「魅力」の意味が変質したり、作業フローやマインドが変わることはあるかと思いますが、時代に適応しながら、誰もが認めざるを得ない圧倒的な設計力を発揮すること、それがこれからもデザイナーに求められる役割なのだと思います。

これまでの項目で見てきたように、デザイン以外の知識を習得したり、言語化を求められたりと、デザイナーに求められる努力の種類は今までよりかなり増していくことが予想されます。でも、それを乗り越え、知性・美的感覚・技術力を兼ね備えたクールな存在になるというのは、挑戦しがいのあるチャレンジなのではないでしょうか。

「デザイナー」と聞かれて「格好いい」と言われた経験はデザイナーなら誰しもあるのではないかと思いますが、「格好いい」と言われながらその実、価値は低く見なされてきたこれまでの時代から、「格好いい」と言われるその言葉の通りに価値も認められる存在へ、そしてイメージだけでなく社会に確かなインパクトを与えられる存在へとデザイナーの姿が昇華したとき、世の中はきっと今より美しく、楽しく、創造性溢れるものになっているのではないかと思います。

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デザインの世界は今、本当に大きな変化の真っ只中にあると思います。

私自身、その変化に適応しようともがいている最中です。変化の先が楽しみになる瞬間もあれば、不安になる瞬間もありますが、23歳までデザインとは無縁の世界で育ち、それからデザインという思想に出会ってその価値に魅了された者として、そして現場で毎日クライアントと向き合っている一人のデザイナーとして、これからもデザインの力を信じ、その価値を社会に伝えるために微力ながら貢献していければと考えています。

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連載「デザインの世界への招待状」はこれで終了となります。これまで5回に渡り、自分が思っていた以上に多くの方にお読み頂き、また、感想や反響を頂いて、本当に嬉しく思います。ありがとうございました。

業界の外の人をメインターゲットとして始めたものの、途中、デザイナーに向けて書いているように見える部分も正直あったりと(笑)、多少のブレはありましたが、それでもtwitterでの反応を見る限り、業界の外の方からも「分かりやすい」といった声が寄せられていて、当初の目的はある程度達成できたのではと感じています。


次は「創造性とビジネス」をテーマにした連載を始めたいなと考えているので、引き続きご愛顧頂けたら嬉しいです。

感想その他、twitter(@yuki_miyake)やmailなどでお気軽にご連絡頂ければと思います。

それではまた!

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