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時空軸概念を超越した、自分軸による 超自然体


自分という「軸」を大切にして生きること、他人の評価に惑わされずに自分自身を表現していくこと、それに対する覚悟と責任が自分の信念となり、意思エネルギーとなり、世界を形作っていく。そこには自由があり、喜びがあり、希望があり、感謝があり。そんな生き方は、心の平穏を感じさせてくれる。

あらゆる執着がなくなると、自分を受け入れたり、事実を受け入れたりするのが容易くなる。

3ヶ月のオーストラリア滞在という短い期間で、気づいたことがたくさんありました。

まず、今まで感じたことのなかった寂しさが出てくるようになりました。海外生活10年目で、1人で生活することの孤独というか、家に帰って来ても愛する人が誰もいない虚しさや(笑)、1人で休みの日を過ごすことのつまらなさを感じるようになりました。

今まで仕事(サッカー)一筋のように生きてきて、それが全てのような感覚だったのか、他のことは結構どうでもいいと思っていたのかもしれません。

家族と離れて暮らすことも苦ではなかったし、むしろ自分の一度きりの人生だし、成し遂げたいことのために、自分のやりたいように自由に生きていきたいと思っていました。

誰かに教えられたり(1から10まで全部)、縛られたり管理されたりすることを極端に嫌う私なので、そういった感覚を感じないような選択をしようとしてもできなかったり、まぁ、結構自分自身と戦っていました。

さらに、色々と成し遂げたいと思ってたことを早い段階でほぼ成し遂げてしまい、そこで見えた景色や、そこからしばらくたって見えた景色などの影響もあり、自分の心の感じ方に変化が生まれてきました。

誰と何をして過ごすのか。

愛する人がいて、愛してくれる人がいて、家族がいて、ノリのいい友達がいて。そういった人たちが近くにいれば最高に幸せだということ。

誰かに認められようとしたり、応援してもらおうと思ったり、ただお金持ちになろうとしたり、有名になろうとしたりだとか、そういうのは本当に真の幸せではないな、と、はっきり強く感じるようになりました。

そういった自分軸があると、他人に必要以上に干渉したり、批判したり、傷つけたり、、、そういうこともしなくなると思います。


自分が興味を持ったことにだけ集中することは悪なのか?

はっきり言って、私は自分の興味のあることにしか集中力や好奇心を発揮することはできないし、それ以外のことに対して、無理やり取り組もうとしなくてもいいと思っています。

自分の興味って自分にしかわからないし、他人が興味あることに自分が興味があるとも限らないし、それに合わせる必要なんてないと思うんです。だから、自分が何に興味があるのかっていう「本質」を知ることってものすごく大切だと思っています。

結局、興味のあることしか自分の中に入ってこないし、真の意味で身につかないし、それは致命的でもなんでもなくて、それこそ最高な集中力。

なぜ、私たちには科学では説明できない能力が備わっているのか?

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みんなが協力しあって生きていける社会へ。愛と共感力で、豊かな世界を創っていきたい。サッカーが私にもたらしてくれた恩恵を、今度は世界に還元していきたいです。