見出し画像

someday

 
二年ぶりにちまきと会い、わたしはしあわせな夢を見るようになった。わたしがベランダで煙草を吸うあいだ、ちまきは台所で「塩ゆでたまご」の殻をむいている。

 「塩ゆでたまご」をつくるには殻をむいたゆでたまごを、数日塩水にさらす必要があるのだけれど、ちまきは塩水でたまごをゆでる。もちろん、「ちまきの塩ゆでたまご」には塩味がない。それでも、わたしたちふたりの間では、「塩ゆでたまご」とは「ちまきの塩ゆでたまご」なのだ。ベランダに、「塩ゆでたまご」とインスタントコーヒーという朝ご飯持ってちまきがやって来る
ちまきは朝には、あまりしゃべろうとしない。普段から饒舌なほうではないけれど、朝はとくに。起きぬけの「おはよう」と、言葉のない相槌をうつくらいだ。
 ベランダから見える用水路を眺めながら、ちまきが鼻をすすった。九月の朝は、薄手のパジャマだけでは、すこし肌寒いくらいになる。用水路のわき道を、集団登校をする小学生たちが見える。いつもの四人。深緑色のランドセルを背負ったのっぽの子を先頭に、ピンク、水色、朱色のランドセルの女の子たちが姿勢よく歩く。わたしとちまきは、それを、息をひそめて見ている。
 わたしたちの住む部屋は、けして広くはない。もともとわたしが一人で暮らしていたところにちまきがやってきて、ふたりで住むようになったのだ。リビングになっている六畳と五畳半の寝室は、うすい襖で区切られている。襖は煙草のヤニで汚れてしまっているし、たてつけが悪いせいで、開け閉めのときはちょっとしたコツがいる。けれど三畳半のベランダがあり、四畳の台所にはふた口コンロがあり、わたしとちまきはそれを気に入っていて、何不自由なく、生活している。
 ちまきは顔を洗い、前髪を二対八に分け、白いシャツを着る。わたしも顔を洗い、いつまでたっても得意になれない化粧をし、もう一年も切っていない髪の毛をひとつに結ぶ。わたしが服を着替える終わるころ、ちまきは古びたよこさげの鞄のなかを確かめている。鞄はコバルト色の、雑のうのようなものだ。古びているせいか、やたらとおもむきのあるふうに見える。持っている服のほとんどが白いシャツとよくあるジーパンというちまきの、唯一特色のある持ちものだ。
「それじゃあ、いってきます」
 玄関でちまきを見送る。ちまきは微笑んだまま、家を出た。
 ちまきがどこへ行っているのか、わたしは知らない。仕事をしている日もあれば、ただの外出ということもあるようだった。

 二年前に、ちまきはとつぜんどこかへ消えた。最近戻ってきたので、消えたというのはおかしな話かもしれないが、消えたのだ。今日と同じように、ふたりで朝ご飯を食べ、別々にしたくを整え、「それじゃあ、いってきます」と言ってレンタルビデオ屋のアルバイトへ行ったきり、帰ってこなかった。ふたりで住んでいた部屋は、ちまきが消えて一年経ったときに引き払った。二度と帰ってこないだろうと、そう思った。それでいいとさえ思ったのだけれど、わたしは日々、ちまきを思い出しながら過ごした。そしてここへ移り住んで一年が経って、ちまきは再び現れた。白シャツにジーパン、二対八の前髪。コバルト色のよこさげ鞄。二年前のちまきと、ひとつも変わらなかった。「ただいま」と言われたので、「おかえり」というと、空いた二年間は一瞬で埋まり、わたしたちはまたふたりで暮らしはじめた。

 今日の夢は、白い象に乗って砂漠を旅する夢だった。ここちよい熱風のなか、象は月の昇る方へ向ってゆっくりと歩く。象はおおきく、皮膚は固くつめたかった。わたしはあまりにも小さかったけれど、すこしも怖くはなかった。象はやわらかな紐の束で象つかいに繋がれていて。象つかいと象が砂を蹴って歩くたびに、あまい匂いのする粉塵が舞った。わたしは象つかいと、他愛ない話をした。話したことはよく覚えていないが、月が笑っていたことは、思いだせる。

 倉庫はカビっぽくてせまい。戸口の方で音がして、慌てて煙草を消した。この倉庫は禁煙ではないけれど、入荷したばかりの雑誌の在庫に煙草の匂いがつくとかで、テンチョーはあまりいい顔をしない。テンチョーは一年前に禁煙を宣言し、みごとにそれを貫いていたからやっかみもあるのだと思う。「おつかれさん」と小さい声がして、入ってきたのは、やっぱりテンチョーだった。
テンチョーというのは、あだ名だ。本当の名前をイズミさんという、フリーターの人だ。この本屋にはちゃんとした店長がいない。わたしがアルバイトをはじめてすぐ急にいなくなった。それから他店舗の店長がたまに店に顔を出すようになってこの本屋の店長の存在はあいまいになった。アルバイトのわたしとしては、気が楽だった。年長者と仕事をすることが苦手なわけではなかったけれど、レジを打つすぐそばに店長がいるという、そういうプレッシャーに弱かった。店長がいなくなり、この店でいちばん古株のイズミさんが店の大体をまわすことになった。それから新人のアルバイトの人がイズミさんを「テンチョー」と勘違いすることが、ままにあった。イズミさんもわたしも店長不在の理由をうまく説明できないため、イズミさんはすっかりテンチョーとなってしまった。イズミさんは不服そうだったけれど、イズミさんを本当の店長でないことを知っているアルバイトの人は冗談で「なんか、頼りがいがあるというか」と、うまくごまかした。わたしも、イズミさんと同じくらいの古株だった。同じフリーターで、勤務時間も仕事の量も、大体同じくらいだったけれど、わたしにはイズミさんのような、「頼りがいのあるかんじ」がまったくと言っていいほどないのだろう。そっちのほうが、いい。わたしは敬意と感謝と愛嬌で、イズミさんをテンチョーと呼ぶことにしている。
 テンチョーはわたしに気がついて、「おっ」と言って、当然のように煙草を取り出す。
「ライター、いい?」
 わたしはどぎまぎしながらライターを差し出した。テンチョーは煙草を大きく吸って、大きく吐き出した。テンチョーの胸が、ゆっくりと上下する。禁煙、やめたんですか。なにか、あったんですか。わたしは新しい煙草を吸いながら、言葉に迷っていた。
「あのさあ」
 テンチョーの唇がとがる。
「潰れるらしいよ、ココ」
「え」
「来月」
「……そうなんですか」
「オクミさんは、ほかにもバイトしてるって言ってたよね」
「はい」
「急だよねえ」
「急、ですねえ、」
 狭い倉庫の中は煙草のにおいでいっぱいになる。わたしはただ茫然と、目の前を漂う煙を見つめていた。テンチョーはすこしうつむいていたけれど、笑っていた。
「色々面倒もあるけど、よろしくね」
 テンチョーは短くなった煙草を消すと、ちりとりとほうきを手に倉庫から出て行った。蝉の羽が落ちていたらしい。テンチョーはきれい好きだった。この本屋はいわゆる「町の本屋さん」で、古いビルの中に入っているから、ハンドメイドの雑貨がおいてあるような、おしゃれな本屋さんではなかったけれど、テンチョーが趣味のように、こまめに掃除をするから、けして雰囲気の悪い店ではなかった。よく来るのは常連のおばあさんやおじいさん、仕事や学校の帰り道に立ち寄ったひととかで、お客の入りもまばらだったけれど、わたしはここで働くことが、きらいではなかった。
 アルバイトの帰り際、店の自動ドアに「閉店のお知らせ」なるものを貼った。自動ドアの硝子は、いつも通り指紋やくもりひとつなく、きれいだった。

 家に帰ると、すでに帰っていたちまきが迎えてくれた。朝よりもよくしゃべるちまきは、そのぶん表情も増える。今日はすこしにやにやしている。「見てみて」と、私をベランダに引っ張っていく。ベランダには、みたことのない七輪があった。あたらしいものだ。網の向こうに、黒い炭が見える。ときどき、ざらっとした灰色に光る。
「買ったの、」
「うん」
「そっか」
 ちまきは、七輪の使い方を知っているのだろうか。木炭に直接火をつけても、木炭は燃えない。新聞とか藁だとか、導火剤がいる。ちまきはにやにやして、ディスプレイのものみたいな七輪を眺めている。
 わたしがししゃもに塩をまぶすとなりで、ちまきはコンロで炭を焚いていた。ちまきは買った先で、使い方を習ってきたそうだ。手際がいいとは言えなかったが、それでも丁寧にやっていたので、わたしたちは一時間ほどでベランダに出て、ししゃもにありつくことができた。ちまきは七輪と一緒にゴザも買ってきていた。わたしたちはゴザの上にそのまま座って、七輪を挟んで、向かい合わせにししゃもを食べる。
「おいしいね」
 ちまきは炭がついた指先で、器用にししゃものしっぽを掴んで、ひっくりかえす。額に汗が滲んでいた。わたしは涼しいくらいだった。「おいしいねちまき」と言うと、ちまきは白い歯を見せて笑って、ししゃもをばりばりいわせながら、豪快にたべた。

 ちまきがいなかった二年間でわたしがなにをしたかというと、アルバイトをひとつ増やしたくらいだった。以前住んでいた部屋の家賃は、ちまきとふたりで折半していたので、維持するにも引っ越すにも、お金が必要だったのだ。貯えも少しはあったが、本当にわずかなものだったので、わたしは夜間営業の花屋に勤めはじめた。繁華街のなかにある花屋で、仕事のほとんどが、その界隈につとめる人たちの間でのお祝いのため、花束やらをあつらえることだ。花屋のオーナーも、もともとはこのあたりのバーのママだったらしく、お客さんとはほとんど顔見知りのようだった。オーナーは中年の女性で、六十近くと言っていたけれど、とても若々しかった。容姿もきれいだったけれど、無理して若づくりしないところとか、声の張りとかが、かんじのいい人だった。アルバイト初日、夜十二時を回るころに、あくびをかみ殺していたわたしに、「あくびをかむのがうまいなら、大丈夫」と言った。オーナーの名前はアヤさんといって、ヘビースモーカーで、前歯に三本金歯が入っている。
その日はへんに暑い日で、夜になっても熱気が街を包んでいた。
「赤いサルビアって、暑苦しい」
 アヤさんが鉢植えを手に渋い顔をした。店の前に並べ終えたわたしとアヤさんは少し荒い息のなかで、おもい溜め息をついた。「クラブヘルコ」という新しくできた店から頼まれたのは、三十個のサルビアの鉢植えだった。
「クラブヘルコって、」
 どうおもうオクミちゃん。アヤさんはローヒールのパンプスの先で、鉢植えを小突く。変だと思います、そういうとアヤさんは煙草をとりだして、サルビアに吹きかけた。赤いサルビアのよく育った花弁は、アヤさんの微かな息ではすこしもなびいたりしなかった。
サルビア、シソ科、サルビア・グアラニチカ。赤より青が有名らしい。
 しばらくして「クラブヘルコ」の従業員たちがやってきた。いわゆる黒服というやつらしく、スーツに軍手をはめてサルビアの鉢を運んでいく。淡々と、行軍のように。「クラブヘルコ」はそんな遠いところにはないらしく、黒服たちは何往復かして、お代を払って帰っていった。
「よかったら、来てくださいね」
 黒服のひとりが、勘定際にそう言った。「クラブヘルコに?」と思ったが、どうせ社交辞令だろうと思って、「はあ」と曖昧に返事をした。黒服は駆け足で、「クラブヘルコ」に向かっていく。軍手が、道に。
 サルビア。サルビア・グアラニチカ。サルビア属。花言葉は「すべてよし」。六月から十一月ごろまで開花。
「秋が終わるまで置くつもりかね」
 ヤダネ、と苦い顔をしてアヤさんはまた新しい煙草に火をつけた。煙草が与える害は、草花にはないのだろうか。しかしそれでも、草花のおかげか、アヤさんとわたしが煙草を吸うのに、店内は空気がきれいだ。アヤさんは「空気がきれいだと煙草がうまい」という。

 今朝の夢は、とても短絡的な夢だったようにおもう。本屋が潰れなくなるのだ。理由は「地域のみなさまのおかげで」という理由だった。本屋は活気づいていた。テンチョーはいつも以上に掃除をする。本棚のなかの本と本の間までを、ものすごいスピードではたきをかける。いなくなった店長もいるし、すこし前にパートを辞めたおばちゃんもいた。みんなにこやかだった。地域住民の恩恵をあずかって、急きょとりやめになった閉店。店のなかはお祭りみたいににぎやかだった。うれしかった。「またよろしくね」とテンチョーのあだなを踏みつけたイズミさんが、さっそうと店を闊歩する。わたしは嬉しくて、元気よく仕事をする。わたしのあたまは、とても単純だと思う。でも、しあわせだった。

「ちまき、七輪すきだね」
 昼間から、わたしとちまきは近所のスーパーマーケットに来ていた。ちまきが、七輪で焼きみかんをしようといったので、久しぶりに二人で買い物に出たのだ。今日のちまきはとてもわくわくしているようだった。スーパーマーケットに入って、ちまきはすぐにみかんをとった。なつみかんではなくて、すこし時期がはやいふつうのみかん。六玉入りのふつうのみかんは、すこし高かった。でも傷ひとつなく、まるまるとしていて、おいしそうだった。
 夕飯の材料も買ってしまうことになり、野菜、生鮮、精肉のコーナーをまわる。試食を配るおばちゃんが、ちまきにソーセージを食べさせていた。ちまきが「買っていい?」と聞くので、いいよと言ってわたしは乳製品がならぶ棚へ向かった。そして漬物を見ようと別コーナーにさしかかる途中、亡霊をみた。
 乳製品コーナーと、漬物コーナーのあいだに、深緑色のおおきな藻のかたまりのようなものがたたずんでいた。最初はなにかのマスコットかと思ってどきりとしたのだけれど、後ろからカートを引くおばあちゃんがその藻のようなものをすり抜けていくのを見て、なるほどと思った。 わたしは怪談のたぐいも怖いとおもったことはないし、肝試しだとか、おばけ屋敷だとかでも、特別反応がうすい方だとおもう。霊的なセンスがうすいのだと思っていたけれど、その藻のようなものを一目みて、これは亡霊だなとわかった。深緑色の中から、人のかたちがあらわれてくる。視線は交わされないが、わたしはその亡霊を見つめ続けていた。こんなにはっきりしていていいのだろうか。もっと生きているものの目をはばかるものだと思っていた。
 すっかり人型となった亡霊は、それでもまだ大きく、乳製品と漬物のコーナーのあいだに埋まっている。目があう。亡霊の目はアーモンドのかたちをしていた。にぶい金色を帯びている。口はないけれど、微笑みを向けられたのがわかった。わたしは突然こわくなった。怖いといっても、恐怖というより、緊張にほど近かった。いけないことをしているんじゃないかという不安に駆られる。片手に持った買い物カゴをしっかりと握って、亡霊と目をそらそうとした時だった。ちまきが買い物カゴにソーセージを入れた。ちまきはおどろいた顔をして亡霊のほうを見た気がするけれど、すぐ漬物の方に歩いていって、まっきいろのたくあんを選んでいる。
「ねえ、」
 いまの、
「黄色、だめなんだっけ」
 ちまきがたくあんをもとの場所へ戻す。
 ——黄色いたくあんは色付けしてあるものもあるから、白いほうがいいよ。
 黄色いたくあんが好きだったちまきに、わたしが二年前に言ったことだった。

        

 ちまきがいなかった二年間など、本当はなかったのかもしれない。ちまきはずっとここにいて、七輪を焚きたがっていたのかもしれない。けれど、この部屋に越してきたことや私のずさんに伸びた髪が、ちまきがいなかったことをたしかなものにしてしまっている。わたしのなかでちまきが消えたことなどなかったのに。
 ちまきがいなくなって、しばらくはちまきと一緒にいる夢ばかりみた。顔をつきあわせてごはんを食べたり、二人して裸でお風呂場の掃除をしたり。とてもちかい距離にちまきがいる夢を見た。その夢を見るたびに、苦しかった。夢だということがわかっていても、わからなくても、辛かった。ちまきがそばにいないことを、わたしはちゃんとわかっていたから、とてもふしあわせだった。
 いつだって、ちまきのことを考えていた。ちまきの二対八の黒々とした前髪と、アイロンがかかった白いシャツ、コバルト色の鞄を思い出しては、ああ、また会えたらいいなと、口のなかで小さな笑いを転がしていた。それはアツイ愛情だとか、恋しさとかではなくて、ささやかな追想にちかかったように思う。
 それでもわたしは、ちまきが帰ってくる夢を見たことはなかった。わたしのなかでちまきが帰ってくることは、もうないのだと思っていた。
 夕方になり、わたしとちまきはベランダにいた。小学生の叫びに似た笑い声が聞こえてくる。あのカラフルなランドセルを背負った子たちが見えた。朝とおなじ、深緑、ピンク、水色、朱色の順番で、用水路の柵に寄りかかっている。
「たまごと鶏って、どっちが先なの」
わたしが聞くと、ちまきは「たまごかな」といった。七輪の中から、アルミホイルにくるまったみかんを取り出す。ちまきは指先で器用にアルミホイルを剥がしていく。「熱くないの」と聞くと、「熱いよ」と言った。アルミホイルから出てきたのは、焦げ目のついたみかんで、黄色が深みを増していた。今日は少し寒い。七輪のあたたかさと炭の焼ける匂いで、胸がつまりそうになる。
「なんでたまごなの」
「たまごから鶏がうまれるから」
 ちまきは焼きみかんを食べながら、淡々という。わたしは熱くて、皮も剥けない。みかんのあまい匂いがふと鼻先をかすめたけれど、すぐ炭に匂いに消えてしまった。
「でも、鶏がいなかったらたまごは生まれないんだよね」
 ちまきはふたつめの焼きみかんを食べる。今日は、ものを食べるのが、はやい。わたしはようやくひとつめの皮をむく。皮よりも、なかみが熱かった。みかんの白い筋が、皮と一緒にはがれていく。やわらかな果肉は、あたたかく、しっかりと血のかよう指のさきのようだった。
 用水路のほうから声が聞こえる。小さく高い声の列が、わたしの耳に流れ込んでくる。ベランダから見下ろせば、四人の小学生が青ざめた顔でこっちをじっと見ていた。深緑のランドセルの子がわたしのほうにひとさし指を立てて、弧を描き、用水路のなかへと誘導した。
 用水路のなかに、スーパーマーケットで見た亡霊がいた。けれど目を凝らすと、それはまた人型に変わり、女の子に変わる。セーラー服を着た、十四、五歳の女の子だった。肌がほとんど黄土色のように黄色かった。
「だから、ほんとうはどっちでもないんだよ、きっと」
焼きみかんをほおばる、ちまきのくぐもった声が聞こえた。

 本屋に行くと、「長らくのご愛好、まことにありがとうございました。」云々の張り紙が出されていた。わたしは今日、ここに働きにきたのだ。閉店はまだ先のはずだ。自動ドアは勝手に開く。中でテンチョーが一心不乱にはたきをかけている。店内は暗い。「おはようございます」と声をかけると、テンチョーはほうきを持ちだして、無言で床のごみを掃きはじめた。ほこりは思いのほか積もっていて、ちりとりはすぐいっぱいになった。わたしはレジに立ってその様子を眺めていた。お客さんは来ない。テンチョーは掃除機を持ち出して店のなかをぐるぐるぐるぐる回る。掃除機の排気音と、有線のノクターンだけが、店に響いている。ほこりはいつまでたっても消えず、むしろほこりは波を打つように、店を覆い始めている。咳がとまらない。わたしは入荷したばかりの雑誌や、予約されていた本を上へ上へと積み上げているうちに、ほこりにのまれてしまった。テンチョーのかける掃除機の排気音だけが、耳の奥で鳴りつづける。
 
 目が覚めると、「クラブヘルコ」の中だった。黒いソファに凭れてぼうっとしていると、黒服が「大丈夫ですか」と肩をたたく。目の前にはお酒のボトルがあり、溶けかけの氷がグラスの中で傾いている。お酒を飲んでいるときに、寝てしまったみたいだった。「クラブヘルコ」はバーで、開店のときから繁盛していた。今日もお客さんは多い。店内のいたるところに赤いサルビアの鉢が置いてある。黒いテーブルや椅子の中に赤いセルビアというのは、アヤさんの言うとおり、暑苦しく感じた。わたしは背筋を伸ばし、黒服に謝る。一体どれくらいここにいて、どれほどのお酒を飲んだのか、覚えていない。黒服は笑顔で「いつもありがとうございます」と言って、サルビアの鉢を渡してきた。わたしはとつぜん癇癪を起した。赤いサルビアが、気に入らなかった。鉢をなぎ倒して、わたしは鳴きわめきながら、繁華街を走る。アヤさんがわたしを追いかけてくる。カルメンの衣装を着て、まっかな口紅と、赤いハイヒールの踵を鳴らしながら、タンバリンを首に下げて。アヤさんの声が聞こえる。掃除機の排気音だ。わたしの背中に赤いセルビアが咲いた。アヤさんの金歯が抜け、転がり、わたしの足をもつれさせる。わたしの泣き声はいっそう大きくなる。
————これは、夢だ。
 
        

 しばらくして本屋が潰れ、テンチョーはイズミさんにもどった。「また、会おうね」と言われたけれど、それ以降連絡はない。花屋のアヤさんはおおきなクワズイモを抱えて腰を痛めたけれど、相変わらず快活なひとだ。「クラブヘルコ」はたった一ヶ月で潰れ、あたらしくキャバクラが入った。入荷を頼まれたのはリーガルリリーだった。ユリ科ユリ属、多年草。花言葉はしらない。アヤさんは三本の金歯をひからせて、「意味なんてない」という。アヤさんはカルメンを知らなかった。
 わたしはあたらしく、スーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトをはじめた。理由は二年前と一緒だ。深緑色の亡霊は、今でもたまに見る。スーパーの中を徘徊しているときもあるが、定位置は乳製品コーナーと漬物コーナーの間だ。目があっても、怖いとも感じない。彼は、もしくは彼女は、ただそこにいるだけなのだろうとおもう。
 再びちまきが消えて、しばらく経つ。わたしはしあわせな夢ばかりを見ることもなくなった。今度はさすがに泣けるような気がしたけど、いつも涙はすんでのところで止まっていた。とうとう、七輪を公園でたたき割る夢を見た。ほんとうのところ、わたしは涙がでるほど悲しんでもいなかったし、憤ってなどいなかった。しあわせな夢をみないことに、落ち込むこともない。
 ちまきはもう二度と、帰ってこないのだろう。
あの日、わたしはベランダでちまきのつくった塩にぎりを食べながら、小学生の集団登校を眺めていた。ちまきは部屋のなかで、アイロンをかけていた。となりで煙草を吸うと、アイロンの蒸気を一緒に吸い込んで、肺がやわらかくうごくのがわかった。
 二対八の前髪と、白いシャツにジーンズ。そしてコバルトの鞄。中には新書と、財布と、電池がいっぱいになった携帯電話と、塩にぎりがふたつ入っている。
「それじゃあ、いってきます」
 ちまきは微笑んでいた。
 あの混沌とした夢らしい夢から覚め、私は泣いていた。ひとりきりにおびえていた。それでも、できるだけ静かに泣いた。となりで眠るちまきを起こしてしまわないようにするためだった。ちまきはいま、幸せな夢を見ているかもしれないと思うと、とてもじゃないけれど、ふしあわせにはなれなかった。寄り添うちまきの体は、ふるえるほど冷たかったのを覚えている。
 ちまきが消え、ちまきの持ちものを捨てようとしても、できなかった。ちまきのものなど捨て去るほどこの部屋には残ってなかった。ベランダに置き去りされた七輪と、さいごにちまきがにぎってくれた塩にぎりがひとつだけ。ちまきの塩にぎりは、まったくといっていいほど、塩の味がしなかった。

 end              

(旧題 ここへいないあなたへ 2011年筆)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?