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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代  宇田川榕菴 最終回- ⑨マルチな才能3選)33 #082


みなさん、こんにちは。
3/20春分の日の岡山県は極寒で、翌朝、雪が少し積もっていました。3月初旬に車のタイヤを替えていたのですが、道は凍っていなかったので良かったです。

今週末から気温が上がり、春がやって来そうですね♬嬉しいです。



さてさて、本題に入ります。

岡山県津山の歴史、今回は宇田川榕菴の最終回です。

榕菴は、医学.薬学.植物学.化学などの洋書を翻訳しつつ、地理学.オランダ史.ドイツ語.天文.軍事等、様々な事に関心を持って研究しています。

その中で、3つ紹介したいと思います。


1.和蘭カルタ

榕菴の「和蘭カルタ」は有名です。津山洋学資料館入場券にもなっています。



和蘭カルタ」は今のトランプで、1821(文政4年)、榕菴24歳の時に製作したものです。


榕菴と和蘭カルタの出会い(可能性)

長崎出島のオランダ商館長が、江戸の長崎屋に宿泊した際、榕菴は何度もそこを訪ねていました。そこで、トランプに興じるオランダ人を見て、トランプを模写させてもらったのかもしれません。

『資料が語る津山の洋学』より


和蘭カルタの特徴①


53枚
縦8.9cm 横5.9cm
木炭紙のような西洋紙
♣︎♠︎♥︎♦︎が各13枚
数字は書かれていない
♥︎「4」が+1枚
♣︎「9」が無く「8」が2枚
ジョーカーは無し(ジョーカーは19世紀にアメリカで生まれたもの。この時代には無かった)

『津山洋学』より


和蘭カルタの特徴②


西洋紙の紙箱入り
箱の裏に「W.Yooan」と記されている

↓カルタの包み紙

『津山洋学』より


2.温泉分析

1828年(文政11)年3月。榕菴の養父である玄真(61歳)が痔疾のため、伊豆の熱海に湯治に行く際、榕菴に温泉の成分を調べさせました。


湯治の歴史

これがきっかけで、1843年頃まで16年間ほど日本国内の温泉を科学的に分析しました。

有馬. 諏訪.薩摩など全国の「温泉.冷泉」を友人からもらい、この頃、榕菴は江戸にいたため、津山藩士に岡山県県北(美作地方)の《湯原》《湯郷》《真賀》の水を届けてもらったそうです。

榕菴の実験内容

①色や匂いを観察し、自ら飲んで味を確認。

ホクトメートル(浮き秤)を使って比重を測定。薬品や熱を加えて反応を記録。

結果は、『諸国温泉試説』『榕菴雑記 温泉記事』の自筆稿本にまとめられ現存しています。

『津山洋学』より



岡山県北の温泉紹介

現在の岡山県北の「美作三湯」は《湯原》《奥津》《湯郷》です。これらと、榕菴の調べた《真賀》の紹介をします。

《湯原温泉》…岡山県真庭市
泉質…単純温泉


《奥津温泉》岡山県苫田郡鏡野町
泉質…アルカリ性単純温泉


《湯郷温泉》岡山県美作市
泉質…ラジウム気泡を含む塩化物泉



《真賀温泉》岡山県真庭市

泉質…アルカリ性単純温泉



3.榕菴のドイツ語の点数は?

榕菴は、オランダ語の他に、ドイツ語.ロシア語.アラビア語.英語などにも興味を持ち学んでいました。榕菴のドイツ語の理解度について、岡山大学の教授は「私の学生だったとしたら60点。ドイツ語を独学で60点を取るのはすごい」と言われていたそうです。

4.次回のこと.ミニおまけ

ここまで、宇田川三代の業績をまとめて来ました。ご覧いただきありがとうございました。

ここで、改めて“江戸時代の津山”目を向けてみました。すると、「江戸幕府と津山藩主と津山藩医の関係」が見えて来ました。


次回から、この関係に焦点を当ててお話を進めていこうと思います。次回は、進め方を整理したお話です。

よろしくお願いします。


ミニおまけ

前述した湯郷温泉で、先週、お雛祭りが開催されていました。この時期は毎年、温泉街に雛人形がたくさん飾られます。

温泉のホテル(元)の駐車場



ミニおまけ2

普段、私はグミを食べないのですが、コンビニでなんとなく買ってみたこのグミに、1ヶ月ほど夢中です。

写真撮る前に袋を開けかけ…
セーフ



【参考文献】
『津山洋学』 津山洋学資料館 1980年3月
『資料が語る津山の洋学』 津山洋学資料館 平成22年3月
「本の万華鏡−国立国会図書館−」
「文化遺産オンライン」
真庭観光WEB
奥津温泉観光協会
美作市ホームページ
湯郷温泉ナビ

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