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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 江戸時代 津山藩医 箕作家の活躍-)36 #085

みなさん、こんにちは。

先日、津山駅姫新線の駅)に行ってきました。そこには、今回、お話しする箕作阮甫の銅像があります。

津山駅



箕作阮甫


今回は、津山藩医、箕作阮甫、省吾、秋坪についてお話ししたいと思います。


1.箕作阮甫の業績

阮甫の業績は大きく3つ挙げられます。

①著作を通じヨーロッパ文化を導入

阮甫の著作は99部160余冊と言われています。

1836(天保7)年から刊行された『泰西名医彙講』は医学総合雑誌の初めとされています。

『素晴らしき津山の洋学の足跡』より



『和蘭文典』前編は1842(天保13)年、後編は1848(嘉永元)年に出版しました。これはオランダ語の文法書で、蘭学入門期の教科書として広く使われました。


②幕府の外交交渉で活躍

1853(嘉永6)年6月、ペリー来航時、箕作阮甫と宇田川興斎はアメリカ国書の翻訳を命ぜられました。

黒船騒動の収まらない中、ペリー来航の1ヶ月後に、ロシア使節プチャーチンが長崎に渡来し、通商の開始と千島.樺太の国境交渉を要求しました。

阮甫はこの時の交渉団の一員に選ばれ、文書の翻訳を命ぜられました。

プチャーチン
『素晴らしき津山の洋学の足跡』より



プチャーチンは翌年10月、下田に来航。その時も、阮甫と興斎は下田に赴きました。そして、12月、日露和親条約が締結されました。


豊富な海外知識をもち、几帳面で責任感の強い阮甫は、幕府の信頼もあつく、のちに、蕃書調所教授職に登用されました。

③研究、教育を通し蘭学(洋学)の確立に貢献

開国した日本を支える人材を育成するため、天文方付属の蛮書和解御用が改組され、1856(安政3)年に蕃書調所が設けられると、阮甫は教授職を命ぜられました。

翌年に、幕臣と子弟191名が入学しました。阮甫の任務は翻訳研究に加えて、新しい世代への教育という新しい分野へと広がったのです。

阮甫の娘たちのこと

阮甫には男子がなく、4人の娘がいました。(次女は夭折)。


次のお話は、三女つね、四女ちま、そして阮甫が迎えた養子(省吾)についてです。

2.真摯な省吾の話


省吾は陸奥水沢の武士出身。江戸で阮甫に入門しました。

阮甫は、真摯で学問に対して熱意を持っていた省吾をいたく気に入り「娘婿に」と望み、1844(弘化元)年、阮甫の養子に迎えられます。

その時、「つねとちま、好きな方を選び、養子にならんか」と言ったそうです。その時、省吾は「美人のつねさんはどこへでも嫁にやれるから、私は不べっぴんのちまさんでいい」と言いちまを選んだそうです。

前回の記事で紹介しましたが、省吾は、1844(天保15)年、世界地図『新製輿地全図』、1845(弘化2年)、世界地誌『坤輿図織』などを刊行しました。

『新製輿地全図』


『坤輿図織』


幕末維新の志士に多大な影響を与えた、省吾でしたが、結核を患い、26歳の若さで亡くなりました。

残されたちまは、加賀百万石(石川県)の前田公の側室へ一生奉公へ出されました。


阮甫は、門人だった菊池秋坪を養子に迎え、と(三女)つねと結婚させました。

3.秋坪の結婚と活躍の話

秋坪は備中国阿賀郡呰部(現在の岡山県真庭市)生まれです。

1861(文久元)年、蕃書和解御用、蕃書調所教授手伝となり、同年、幕府が西欧各国へ派遣する、使節を命ぜられます。福沢諭吉らが通訳として同行しました。

右端が秋坪、その隣は福沢諭吉


1866(慶応2)年には、ロシアに派遣され2度の渡欧を経験しました。

秋坪が多忙を極めていた頃、今度はつねが38歳で亡くなりました。そこで、一生奉公に出ていたちまを呼び戻し、秋坪と再婚させました。

明治維新後、東京日本橋蛎殻町の津山藩中屋敷に、英学塾「三叉学舎」を開設し、日本近代化の中で活躍する人物を多く育てました。

卒業生には、東郷平八郎、原敬、大槻文彦をはじめ、ここを卒業した者は数百名におよび、福沢諭吉の慶應義塾とともに東京における洋学塾の双璧と称されています。

晩年の箕作秋坪


津山の蘭学(洋学)を振り返ると、宇田川家に芽吹いた津山藩の蘭学は、津山の箕作家で大樹となり、日本の近代化に貢献しました。

その根底には、津山藩主が学問を奨励したことがあったと言えます。


4.次回のこと

ここまで見てみると、海外交渉に津山藩医の活躍があることに驚きます。日本の歴史の中に、大きく関わっていた津山の偉人たち!

次回は、ペリー来航と津山藩の対応について調べていこうと思います。


5.おまけの写真集

津山駅を少し遠くから


箕作阮甫の隣には、明治時代に走っていたC11型の蒸気機関車があります。これについては、明治時代のお話で紹介できたらと思います。


津山洋学資料館の箕作阮甫を紹介します。

左に描かれているのが箕作阮甫
奥の建物が津山洋学資料館


箕作阮甫の石像


↓「クラフト津山城」。今回は、手前の部分を作りました。

津山城完成の道のりは遠いですが、お楽しみに!

遠くから望む津山城(2月の写真)


次回もよろしくお願いします。


【参考文献】
『津山市史 第四巻 近世Ⅱ 松平藩時代』 平成7年3月 津山市
『津山市史 第五巻 近世Ⅲ 幕末維新』昭和49年3月
『わたしたちの津山の歴史』平成10年1月 津山市教育委員会
『郷土 津山』津山市教育委員会 平成25年3月
『ペリーが来たぞ!』津山洋学資料館 平成20年10月
『資料が語る津山の洋学』津山洋楽資料館 平成22年3月
『岡山蘭学の群像2』山陽放送学術文化財団 2017年4月
『素晴らしき津山洋学の足跡』津山洋学資料館 平成16年
『津山藩』岩下哲典 現代書館 2017年10月

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