ある日、切れて 5【最終話】

「気を悪くしたら、ごめん」
「……いえ。別に不思議じゃないですし」
 章は自嘲気味に笑う。
 遠くで、通学中の子供たちの声が聞こえる。昨日見たアニメの話。誰かが見つけた綺麗な小石の話。毎日の中にある、くだらないけど、楽しいものを語る言葉だ。
「この生活をする前に、俺にも恋人がいてだね」
 男は、ぼそりと呟く。
「男の?」
「そりゃあ、そうだ。ゲイだもん。年下だったんだけど、頑固な人でね。真面目で、なんでもコツコツ頑張る人だった。そんなんだから仕事もできて……それで会社で虐められるようになってね。今で言うパワハラってやつかな」
「……」
「たまに、上司の文句は言ってたけど、滅多に愚痴も言わない人だったから、気にはしてたんだけど、自殺しちゃってね」
 男は、まるで遠くの国で起こっている出来事を語るように、淡々と話す。
「本当は、訴訟も起こしたかったんだけど、遺書もなかったしね。俺もなんだか、疲れちゃってね。自分のことを責めたり、社会を憎んだり、右往左往してみたんだけど……やっぱり今になっても、あいつに言いたい言葉は、変わらないんだ。生きていれば、いいことがあるよって」


 生きていれば、いいことがあるよ。


 章は、その言葉を胸の中で繰り返す。
「君にも、言ってやりたいんだ。生きていれば、いいことがあるよって」
 章は膝の上で握りこぶしを作っていた。男がその拳の上に手を重ねた。
「ぼちぼち、家にお帰り」
 そう言われて、体が何故か震えてくる。涙はあとから出てきた。章は、なんとなくわかっていた。そう言われることを。
「君は、まだ君自身も知らないものを、沢山持っている。俺には、なんとなくそれがわかる」
 涙は、とめどなく零れる。あれから何度も泣いたけれど、今流している涙とは、少し違うような気がした。何かを許すような、何かに許されるような、絶望とは違う意味の、そんな涙だ。
「君は大丈夫だよ。人を見る目もあるし、ゲイと過ごす度胸もある。まあ、天然なのかもしれないけど」
 章は、泣いたり笑ったり忙しい。自分の勘は、どうも正しかったらしい。この男の出現は、神の采配であることは、きっと間違いない。
 教えてくれたのは、現世からの脱出ではなく、現世への戻り方だったけれど。

      *

 章は、自宅に戻ってきた。
 スマホの充電はとっくに切れていて、充電しながら風呂に入った。暖かい湯に体を沈めると、思わず変な声が出た。風呂の湯は真っ黒になり、髭もきちんと剃った。鏡を見ながら、髪を切りに行こうと思う。風呂から上がってスマホにきていた連絡を確認する。親から着信があったので、折り返し電話をする。友達の家に泊まっていて、携帯の充電が切れていたのだと説明をする。まあ、嘘ではない。 
 以前勤めていた会社の人間からラインがきていた。
 夢に出てきたあの先輩社員だ。
 あの職場を来月退社することにしたらしい。
 いつでもいいから、今度飲みに行こう。田中のことは、少しとっつきにくい変り者だとは思っていたけど、真面目で性格も優しかったし、俺は仕事がしやすかったよ。あの時、力になれなくて後悔しているくらいなんだ。
 ラインを読んでいると、また涙が出てくる。信じられないくらい、ここには光があふれている。
 久しぶりに、章は自分のベッドに入った。
 男は、シマを変えると言っていた。だから、ここにきても、もういないよと、別れ際に、男はそう言った。
 章はすぐに眠くなる。寝る前に、急に祈りたい気持ちになった。
 名前も知らないあの男が、幸せになりますようにと。健康で、食べることに困りませんようにと。
 余計なお世話か。
 一瞬、そんな風に思ったが、章はそのまま眠りについた。
 夢は見なかった。

     *
 
 床屋で髪を切った帰り、章はハンバーガーショップによって、そこで夕飯を済ます。ジャンクフードはやはり旨くて、反動でしばらく通ってしまいそうだ。食べ終わってから、スマホを眺める。あれから、自分のことは検索していない。ふと、ブックマークに入れておいたブログを開いてみた。章に対して、同情的だったあのブログだ。記事が更新されている。しかし、時事ネタではなく、いつもとなんだか違う。
「ひょっとして」
 読んでいると、心臓がバクバクと音を立てているのがわかった。


【願いが叶ったので】
 今日は、いつもと違う感じで、更新したいと思う。読んでいる人には意味がわからないかもしれないが、ま、それでも読んでくれると嬉しい。ちょっと、俺の話をしたいと思う。
 実は俺はゲイなんだけど、四年前に、恋人を自殺で亡くした。自殺の原因は、恐らく社内いじめを悩んで……だと思う。五年以上付き合ってて、結婚が可能なら、結婚していたし、それくらいのパートナーシップはあったけど、こんな絆は、なかなか社会的には役に立たない。あいつが勤めていた会社相手に、訴訟を起こそうとしたけど、できなかったのは、まあそんな理由もある。 

 俺は社会にブチ切れて、通常の社会で生きることをやめた。恋人を殺したこの世界から、逃げ出したんだ。半分ホームレスみたいな生活を続けたけれど、ここはとても過ごしやすかった。何より、人間が優しかった。いろんなことを受け入れる術も学べた。

 そんな時に、ある青年と出会った。実は、わりと好みだったんだけど、ノンケにアタックするような勇気はなかった。話を色々と聞いたら、恋人と似たような境遇の持ち主だった。そして、俺が一番、出会いたいと思っていた人だった。ここは深く話せないことを許してくれ。

 俺は、生きていれば、いいことがあると、その青年に言った。恋人が死んだこともあるが、自分を見捨てる寂しさを、俺が何より知っていたからだ。
 俺の願いは叶った。出会いたい人に出会って、言いたいことを言えた。これは、一種のハッピーエンドみたいなものだろう?
 だから、俺も、自分のホームに戻ろうと思う。
 いま俺は、自分にも言ってやりたいんだ。生きていれば、いいことがあるよってね。
 あの日、ぶち切れて、終わりにしようとした人生を、やり直してみるよ。あの青年が頑張るんだ。俺だって、頑張らないとね。時間はかかるかもしれないけど……だから、このブログも、今日で最後に……

 
 章はブログを読んでいる途中で駆けだした。ハンバーガーをテイクアウトで買って店を出る。走りながら、もういないかもしれないと思ったが、走らずにはいられなかった。
 投稿日は、今日の朝だった。せめて、あの近くにいてくれたら。ありがとうだけでは、とても足らないものを、あの男からもらっている。まだ間に合うだろうか。わからないが、走ることをやめたくなかった。
 ハンバーガーショップの袋が揺れて邪魔だ。
 章は、袋を握りなおして、走り続ける。

               
                                了

お読み頂きありがとうございました。
後日、あとがきのようなものを書かせて頂きたいと思います。


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ヨシダ

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