ある日、切れて 4

       *

「……そんなことまで、やってるんですか?」
 男が今、口にした言葉に、章は信じられないような思いで小さく叫んだ。男は、相変わらず、無邪気に笑う。
「わりと、面白いよ」
 章は、眩暈を覚えそうになった。いつもより食事が少ないせいかもしれないが、男は、章の予想を超えたところにいる。
「スマホはなんとなくわかりますが……アフェリエイト? 広告収入? それすでに、ホームレスじゃなくて、ノマドワーカーじゃないですか」
「定職がないから、結構、暇な時間が多いんだよ」
 男と過ごし始めて三日が経過した。男はいくつかサイトやブログを運営して、小銭を稼いでいるのだという。
「ブログの読みにくいところに、わざわざ広告が入っているところがあるだろう? あれを訪問した人がクリックしたら、少しお金が入るというわけ」
「……段々、本当にその生活に憧れてきました」
「そうは言うけど、俺の月収なんて微々たるものだよ。高校生のアルバイト以下だ」
「でも、生活はできてますよね」
「天気の悪い時は大変だよ。体調が悪くなっても、病院に行けないし。家族の誰かに何かがあっても、助けてやれないんだよ」
 男は、冷静にそう言う。その声色は、章を諫めるものだった。
「社会に、帰りたくないです」
 諫められているのがわかったからか、そんな言葉が口から出た。
「どうして?」
 男の問いに、章は答えられない。黙ったままの章を、男は随分と長い間、待っていてくれたが、何も言うことができなかった。
 今夜も、神社で夜を過ごしている。地面は、やはり寝にくいし、体も痛くなる。たまに野良猫が喧嘩をしている声で、起こされることもある。けれど、そんな状態に、章は少しずつ、馴染み始めている。
「今日はもう、寝ようか」
 何も言わない章に、男はそう言った。社会に戻りたくない理由を、なんと説明したらいいのか、章にはわからない。むしろ検索をしてくれた方が楽だし、話が早い。男に背中を向けて、章は横になる。男も、寝床を作ろうとしているのが気配でわかった。
「……あの」
 背中を向けたまま、章は言う。
「検索、してみてください」
「何を?」
「おれのことです」
「……君のことって」
 男は、少し戸惑っている。確かに、これでは伝わらないだろう。
「『S区 ニ十七歳 会社員飛び降り』で検索したら、多分、出てくると思います」
 背後で、男は何も言わない。検索をしているのか、していないのかもわからない。涙がぼろぼろと零れてきた。言葉として口に出したら、こんなにこみあげてくるなんて、今まで知らなかった。
 嗚咽をかみ殺している章の後頭部を男が撫で始めた。鼻をすする音が聞こえる。確認はしていないが、恐らく男も泣いている。どうして、この人も泣いてるんだろう。そんな疑問が浮かぶが、それを聞くことができない。男も、章に対して何も言わない。
 しばらくして、章はそのまま眠ってしまった。
 明け方、また夢を見た。
 会社のデスクで、書類と戦っている。
 書類には、意味不明な記号が書いてあり、章はそれを懸命に解読している。
 いやだなぁ、いやだなぁ。そう思っていると、章の目の前を、他の社員が歩いている。章はそれを知っているが、顔を上げようとしない。
 いやだなぁ。誰か、教えてくれたらいいのに。
 いやだなぁ。
 いやだなぁ。
 夢の中の感情を味わいながら、章は目を覚ました。
 最近、早朝に目が覚めるようになった。まだ覚醒していないまま、目の前の小石を眺める。
 夢の中で、目の前を通ったあの先輩社員は、わりと話のわかる人で、優しい性格だった。勤めている時も、章に仕事を頼む時に「わかりにくかったら、言ってね」と、一言添えてくれるような人だった。
 章は目をこすってゆっくりと起き上がる。
 夢の中で、聞けば良かったのかもしれない。この暗号、どうやって解くんですかと。そういえば、部長には怒られてばかりだったけど、優しくしてくれる人も、いた。
 鳥の声を聞きながら隣を見ると、男がいない。
「……あれ」
 トイレだろうか。いつも、隣の公園のトイレで用を足す。章は起き上がって公園に向かう。トイレに男はおらず、ついでに用を足してからまた神社の方に向かう。どこに行ったんだろう。久しぶりに感じる心許ない気持ちだ。
仕方なく拝殿の後ろにしゃがみこんでいると、男が戻ってきた。
「おはよう。早いね」
「どこに行ってたんですか?」
「朝飯の調達に」
 男が手にしている袋を見て章は声を上げる。ハンバーガーショップの袋だった。目の前に座った男は、章にハンバーガーとコーヒーを渡す。男と過ごしたこの数日で、一番豪華な食事だ。
「なんかね、君に食べさせたくなっちゃってね。まだあったかいから、お食べ」
 驚きながらも、章はそれを食べた。
 口の中に、肉の味とマヨネーズの味が広がる。食べながら、体がそれを欲していたことに気が付いた。
 男は、まるで父親のような視線で見つめる。
「そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」
 結局、章はハンバーガーを二つ食べた。
「旨かった?」
「生き返りました」
「だろう?」
 男は章の横に移動する。そういえば、まだ男の名前を聞いていない。
「食べましたか?」
「ん? 寝起きに少し食べたよ。俺のことは、気にしなくていいよ」
「……名前を聞いても、いいですか。会話しにくいし」
「知らなくていいよ」
 男は即答する。
「名前なんか知ったら、情が湧く。飼い猫と野良猫の違いは、つまりそんなものだろう?」
 急に男が境界線を引いたように感じて、章は少し寂しくなる。拝殿の壁にもたれかかった男は、小さくため息をついた。その横顔を、章はちらりと見る。この人は恐らく、まだ三十代だ。
 章は、そんなことに気が付いてしまった。そんな視線に気が付いて、男が笑う。
「なんだい。ちらちら見て。惚れちゃったかい? 目覚めちゃった?」
「い、いえ。そういうわけでは……ただ、三十代なんだろうなぁと」
「ま、そうだね。君と十歳違いだから。惚れてくれてもいいのに。つまらん」
 そう言われて、章は男と抱き合っている自分を想像してみたが、全くときめかないし、下半身がムズムズすることもない。こればかりは仕方ないので「すみません」と謝る。
「君は、とても真面目なんだろうね」
「そうでしょうか」
「真面目ないい子だよ」
 段々と陽が強くなってきた。人々が動き始める時間帯だ。
「君の顔を、どこかで見たことがあるなって、やっと思い出したよ。ネットで少しだけ、君の写真が出てたから」
「……」


<次回、最終回です>

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ヨシダ

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