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テレビ

テレビが壊れて、はや一月ほどが経とうとしている。
いまだに買っていない。
テレビを買うなら、実際に映像を見てからが良い、などという話を聞いたので、夫が電気屋へ走り、見に行った。

色々なメーカーのものを比べてみると、ひと口にテレビと言ってもその映像にはとても差があったようだ。
一応、メーカーと大きさは決めたものの、まだ購入には至っていない。

私はテレビが無くても平気なのだが、夫はそろそろ我慢の限界のようだ。
二階の寝室にテレビがあるので、夫は日本シリーズなどはそっちで見て、朝は一階のリビングのテレビを点けて、真っ黒な画面をラジオ代わりにしている。
そんなことをしていて気がついたことがある。
NHKは(ニュースに限るが)、画面が無くても概ね平気である。
まんまラジオである。
子どもは今は映らないテレビを「虚無の箱」と呼んでいる。
とんだホラーだ。

テレビをラジオ代わりに点けていて困るのは、何かの拍子に映らないことを忘れて、テレビの方にクルッと振り向いてしまうことだ。
食卓テーブルの私の席からは、4時の方向である。
やすこか…
それを見た夫が「引っかかったな」くらい言う。
それが少し悔しかったりする。
今朝も、
「昨夜のハロウィンの…」
というアナウンサーの声に、不覚にもクルッと振り向いてしまった。
いかん。

私は日中もテレビを点けないのだが、テレビが(映ら)無いという事実を意識すると、一人の静寂というものが、ことの他沁みてくる。
今、このnoteを書いている間も、聞こえてくるのは洗濯機が回るかすかな音と、冷蔵庫と思われるモーター音、遠くで聞こえる救急車のサイレンくらいだ。
サイレンが無ければ、なんだか世間と切り離されているようだ。

音楽でも聴こうか。
いや、待て待て。
ここで音を聞くなどするな。
この静寂を楽しむのだ。
耳を、いや五感を研ぎ澄ませて無音を感じるのだ。

なんて思っていたのだが、飽きてきたのでNetflix でもみることにする。

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